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さいさんの地方創生 note【多極分散へ。間違いだらけの政策とこれからを本気で考える⑥「一隅を照らす大切さとその光がもたらす Well-being」】

選挙のネタなどもあり、ちょっと間が空いてしまいましたが本題に戻って今月進めていきたいと思います。
 
前回はこちらで、手段と目的をはき違えるリスクや多産多死の起業がなかばブームのようになってしまっているリスクとその環境整備(セーフティネットや再起に関する社会の理解と制度の拡充)が追い付いていない現実といったことに触れました。

今回からは、前回も少し触れた Well-being という観点、指標からの多極分散やこれからの職業観といった部分についてみていきたいと思います。

☆Well-being とは?

さて、僕は現在、ウェルビーイング研究の第一人者である慶應義塾大学大学院システムデザイン・マネジメント研究科教授兼武蔵野大学ウェルビーイング学部長・前野隆司さんが主催するウェルビーイング・デザイン研究会・4期生としてこの「Well-being」を学んでいます。

そして日本人あるあるですが、こうした流行語のように生まれるキーワードは、調べもせずに「イメージ」で都合よく使われてしまいがちです(特に、いわゆる意識高い系【ちょい左寄り】の方々にありがちな)。
 
Well-being is a positive state experienced by individuals and societies.
Similar to health, it is a resource for daily life and is determined by social, economic and environmental conditions.

で、こちらが【WHO】で用いられ、よく指標とあげられる一文です。
きちんとこうした源流や原文に触れていく。そんなファクトに触る習慣こそ今の大人たちに必要とされているようにも思いますが、これをどう訳し、どう解釈するかというところですね。
 
「ウェルビーイング」とは①身体 ②心理 ③社会的(つながり)において良好な状態であることを指しますが、僕自身は上記のフレーズから、自分だけではなく、自分たちが、チームや組織が、社会が今日より明日、明日より明後日、来月、来年とよりよい状態を実現していくイメージを受け取ります。

これはラグビーの一人はみんなの為に、みんなは一人の為に(One foe all , All for one)といった言葉や「利他」という信念。あるいはアドラー心理学における「全体論」、成人発達理論の「つながり」にも通じるところがあると言えるでしょう。
 
一見当たり前のようにも思いますが、この当たり前をより高水準で、より質の高いレベルで実行していくことが、今の社会のあちこちに表出化している。だからこそ、この言葉を丁寧に見つめなおしていく必要があるのだと思います。

少なくとも、みんなで!とかオール東京!とか言いながらも、そのオールに最初から入っていない仮想敵集団がいるような人たちの世界には、ウェルビーイングは存在しないように思います。

☆誰が為の「起業」なのか?

そして改めて「社会起業家」という言葉の表面的なキラキラ。
そのキラキラを演出する人々に、気を付けてみてみたいと思うわけです。
 
社会というつながりの中で、何か「大きな(インパクト)」ことをしなければ意味がないとか価値がないという世界観の中には、ウェルビーイングはどう存在するのでしょうか? その挑戦に失敗した人には、ウェルビーイングは「ない」という結果になるのでしょうか?
 
例えばで、あるパン屋さんのお話をしましょう。
そのパン屋さんは東京でも売れっ子のパン屋さんでした。しかし、その職人さんは数年後に地方へと移ることを決意し、地域の名店へとポジションを変えていきました。

そして、このパン屋さんは規模(インパクト)は小さくなりましたが、職人さんの心身の健康は大幅に上昇することになった(Well-being の向上)わけです。

その理由としては、都会で朝から晩まで機械のようにパンを作り続け、お客さんお顔を見る暇もなく過ごし、閉店後には売れ残ったパンを廃棄し続ける。そんな毎日に「心」が日々壊れていくのを自覚していたから・と。

そして今は、地方でお客さんの顔が見える場所で、お客さんとの何気ない対話をして、きちんと売り切れるだけのパンをつくっていく日々。それが職人さんの心身にとって、生きがい、働き甲斐として比べ物にならない幸福感を与えている・ということです。

☆一燈照隅 萬燈遍照

これからの日本の地方創生で不可欠なマインドセットには、このパン屋さんにおける変化。個人の幸福があり、全体の幸福につながっていくという状態目標が不可欠であると考えています。

そしてこの点で「一燈照隅 萬燈遍照」という四字熟語はまさに、この部分を示すものと言えるでしょう。この言葉を伝えた伝教大師も

【片隅を照らすなどと、心細いことを言われたのか・とよく考える人がある。 大光明を放つとでも言ってもらいたいところです。 しかし聞くだけなら愉快だが、人間みずから大光明を放つことなど、どうしてなかなか出来るものではない。つまらない人間も「世界のため、人類のため」などと言います。あれは寝言よりももっと悪い。なにも内容がない。自分自身のためにも、親兄弟のためにも、ろくなことができない人間が、どうして世界のために、人類のために、なんて大口きけるか。それよりも、自分が居るその場を照らす】

とも伝えています。
*うちの会社名「星巡る旅人」はこの言葉にインスパイアされてもいて、宇宙(夜空)のような中で一隅を照らしている星と星をつないで、星座のようなインパクトのある形で人々に視えるようにしていく・という役割を示しています。

福沢諭吉翁の言葉にも「一身独立して一国独立す」があり、この一身独立する小さな燈を増やしていく。一見、遠回りに見えても、この土台の再生こそが地方創生、多極分散の根っこなのだと。

最近は確信に近い感触すら得ているわけです。

*と、長くなってきましたので、次回に続きます!


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