神様との等価交換?
『すずめの戸締り』を見る前に新海さんの映画を見返していました。
『天気の子』は2度目ですね。
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ヒロインが神社でお祈りをすると天候を操作できる力を得る。
しかし天候操作は代償が重く、歴史の中でその力を持つものは人柱として犠牲になると言われている。
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これがストーリー中盤でわかる情報。
ただちょっと気になってたことがありまして。
人柱というと人が人を捧げる、という印象がありました。
調べると
人柱を立てることは建造物に人を捧げ、その人の魂を建物に宿して強固にするという考えのよう。
『天気の子』の文脈は天気を正常に戻すためにヒロインを神様への生贄にすること。
これは神様への捧げ物とも言え、それは人身御供と言われます。
人柱も人身御供も共通しているのが
人が"人"を捧げること。
つまり生贄になる人を決めること、告げることはあくまで人が行います。
では『天気の子』ではヒロインに生贄になることを告げる人・強要する人はいるのか。
いないんですよね。
ということは『天気の子』のヒロインは人柱や人身御供とはズレているような気がしませんか。
そこで私は神様とヒロインの間で交わされたものは契約または等価交換ではないか、と考えました。
神様がヒロインに天候操作の力を与えた、その支払いとしてヒロインの存在を求めた。
これは
神様とヒロインとの直接契約
とも言えるのではないでしょうか。
シンプルに
求められたから答えた、ただじゃないからお返ししてね。
という話。
仮にヒロインが「天気を晴れにして下さい」という要求ではないお願いをしていたら、また違ったストーリーが生まれていたかもしれません。
願い事によっては母親のために幸せな思い出を作ろうと奔走する話になっていたかもしれませんし、その中で出会った人たちの物語があったかも。
お願い事をするときは代わりに何を自分は支払うのかを考えないと、たとえ叶ったとしても後々反動が来るということですね。
「女優の〇〇みたいな人と付き合いたい」とお願いして付き合えたとしても実は浪費家だったとか。
めちゃくちゃイケメン高収入だったけど極度のマザコンだったとか。
だから本当にお付き合いしたいと思う人に見合うだけの自分を作ろうとしている前提でのお願い事ならば、そこにかけたリソース自体が支払いに値するものでしょう。
お願い事をする時にそれが叶うだけのリソースをかけた日々を送っているのか。
それが問われるのかもしれません。
いやぁ身が引き締まる思いですね。
そんな日々を積み重ねるために今日も一本歯下駄を履くとしましょう。
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