見出し画像

長い困難を乗り越えた人々の物語


「Humankind/希望の歴史-人類が善き未来をつくるための18章-」 (2021年 ルトガー・ブレグマン著)


こんにちは、MOBRICの尾崎俊介です。

今回は、上述の著書の”第6章”を読んでみて、所感を簡単に纏めてみました。コロナ禍の難しい時代を生きる私たちにとって、何かヒントになることはないか、そんな目線で読み進めております。最後まで目を通していただけると幸いです。

日本では2021年7月に発行された本書は、オランダ出身の若きジャーナリスト(1988年生まれ)ルトガー・ブレグマンが、「人間の本質は善である」とのメッセージを込めて、「人間を悪者」と捉えてきた通説を次々と覆していきます。

日々マスコミが拡散しているニュースを摂取し続けていると、人間はなんて罪深い存在なのだろうかと、嫌気がさしてしまう内容にばかり目がいってしまいます。しかし、人間の歴史は決して悪いことばかりではなく、「機知と粘り強さによって長い困難を乗り越えた人々の物語」も数多く存在することを、著者は私たちに教えてくれます。

性善説 vs 性悪説
「飛行機が墜落して、三つに割れたとしよう。機内に煙が充満してきた。早く脱出しなければならない。さあ、何が起きるだろうか??」

(A)「惑星Aでは、乗客は、近くの人々に大丈夫ですかと尋ねる。そして助けが必要な人から機外に助け出される。乗客たちは望んで自分の命を犠牲にしようとする。たとえ相手が、見ず知らずの他人であっても。」

(B)「惑星Bでは、誰もが自分のことしか考えない。パニックが起きる。押したり、突いたり、たいへんな騒ぎとなり、子供や老人や障害者は、倒され、踏みつけらえる。」

ここで質問です、私たちはどちらの惑星に住んでいると思いますか??

ホッブズの性悪説 vs ルソーの性善説

多かれ少なかれ、誰しもが一度は考えたことのある問いだと思います。

著者はデイビットヒュームの言葉を引用し、この問いについて歴史を遡ることで人間の本性を探ろうと試みます。
「人間は、いつの時代も、どこの場所でも、非常に似ている。したがって、この点に関して歴史は新しいことや予想外のことを語らない。歴史の最も良い利用法は、不変で世界共通の、人間の本性を見つけることだ」(デイビット・ヒューム 1711-1776)

スクリーンショット 2021-08-18 11.39.19

イースター島の謎

さて、ここからこの第6章での筆者の論をまとめていきます。

現代に入り、人間は自然状態だと凶暴で互いを憎しみ合う獰猛な生き物であるという通説、通称「ベニヤ説」の反証は多く見つかった。しかし、先史時代の全てを完璧に知るのは不可能です。
そこで、孤絶した状態で発展した社会は、どんな社会になるのか、実際に起きたケースを例に洞察を行っていきます。誰もが名前を聞いたことのある、イースター島の謎です。

イースター島は今から約500年前の1722年、伝説の「南の大地」を見つけるために3隻の船と70台の大砲、244名の乗組員を引き連れて船体を指揮していた、オランダの探検家であるヤーコプ・ロッヘフェーンが発見しました。
周囲2,100km(北海道の最北端から鹿児島の最南端までの距離に相当する)以内に人の住む島や大陸はありません。
ヤーコプたちが島に到着すると、島民たちは彼らを受け入れました。

そんな孤島に「モアイ」と呼ばれる高さ3.5mの像があちこちに置かれていました。重さは平均で20トン。50kgの重さの人、40人に相当します。

島民はどこから来たのでしょうか。巨石をどのようにして運んだのでしょうか。
巨人説、インカ人の末裔説、宇宙人の贈り物説など、今でもイースター島は世界で最も謎の多い場所として知られています。

これまでの通説

数々の冒険家や科学者がDNA検査などを駆使して謎の解明に乗り出しますが、最終的に世界的に著名な地理学者であるジャレド・ダイアモンドのベストセラーである「文明崩壊-滅亡と命運を分けるもの」の中で以下の事実が列挙されました。

・西暦900年ごろからポリネシア人が住んでいた
・島の人口はピーク時に1万5000人に達した
・モアイのサイズは次第に大きくなり、労働力と食料と木材の必要性も増した
・石像は倒した状態で木の幹に載せて運ばれ、その作業には大量の労働者と木、強力な監督者が必要とされた
・やがて木が一本もなくなると、土壌は侵食され、農業は停滞し、飢饉が島民を襲った
・1680年ごろに内戦勃発
・ヤーコプが到着した1722年には島民は数千人まで減り、互いを食べていた

画像2

通説の誤り

人間は本質的に利己的で攻撃的で、すぐにパニックを起こすという神話「ベニヤ説」に従うのであれば、絶海の孤島で外部と完全に遮断された環境に何百年も暮らすイースター島の人々の物語も、こうした悲しい結末となることは腑に落ちるでしょう。
しかし、このような残酷で悲惨なストーリーは果たして真実なのでしょうか。

本書の著者であるルトガー・ブレグマンは徹底的に疑ってかかります。
ジャレド・ダイアモンドが示したピーク時の島民の人口の計算根拠における矛盾点などを改めて洗い直しました。
そして、最新技術により訂正された、この島に人が住み始めた時期が西暦1100年ごろであることから、1722年にオランダ人探検家ヤーコプ・ロッヘフェーンが上陸する頃の人口は多くて2200人であることを突き止めました。
島民同士での殺戮により人口が急減したのではなく、そもそも2000人前後しかいなかったのでした。

また、石像を運ぶために木を使いすぎて土壌が荒廃した点については、1000体の石像を運ぶのに必要となる木の本数(1万5千本)と、イースター島に生えていたと予想される木の本数(1600万本)を比較し、石像を運ぶのに十分足りる木が生えていた可能性が高いことを明らかにしました。

奴隷船の悪夢

著者の主張によると、イースター島を破滅させることになった疫病神は、島民ではなく、ヨーロッパ人でした。
1722年にロッヘフェーンが島に上陸した際に、最初に陽気に近づいてきた第一島民をはじめ、浜辺にいた島民たちを銃撃し、10名ほどを殺害しました。
1862年にはペルーから奴隷商人が来て島の人口の1/3に相当する1400名ほどを連れ去りました。
そのうち、翌年に島に戻ることができたのは結果的にわずか15名。それも天然痘ウィルスとともに島に戻ったのでした。
1877年に疫病が収束した際、島民はわずか110名しか残らなかったそうです。

スクリーンショット 2021-08-18 14.59.18

イースター島の物語から何を得られるのか?

さて、ここまで2つの大きな説を見てきましたが、最初に述べたような、自己中心的な島民が自らの文明を破壊尽くしたという物語は果たして真実であったのでしょうか。イースター島はわたしたちの未来を象徴しているのでしょうか。
著者は、現代の私たちの最大の関心ごとの一つである気候変動を引き合いに出し、「運命論的な崩壊のレトリック」に疑問を投げかけます。「わたしたち人間は生まれつき利己的であり、さらに言えば、地球にはびこる疫病なようなものだ」というレトリックです。このような逃れる道がないような考え方を「現実的」だとは決して思えないと著者は主張します。

人間の回復力を過小評価しているのではないか。実際に、「イースター島では最後の木がなくなってから、農業を見直し、新たな技術を開発して、収穫を大幅に増やした。」そうです。イースター島の物語は、「機知と粘り強さによって長い困難を乗り越えた人々の物語」として希望が湧いてくる物語であると、筆者は述べてこの章を締めくくっています。

数々の歴史の一節を垣間見ると、悲観的な結末を迎える物語が多く語り継がれています。
現在の世界でも、コロナ禍・気候変動・自然災害と悲観的な結末を予想するのには十分な素材がすでにあるように思います。
そういう時は、運命論的な悲観論に傾きがちになることは、私たちも肌感覚で何となくわかると思います。

そのような社会環境において、現在変革中もしくはこれから変革を迎える企業・組織をサポートしている立場にある私自身も、この章から数多くの示唆を得ました。
業績悪化、事業承継、新規事業の失敗、外部環境の変化などなど、企業には悲観的な結末を想像するのには十分な素材がすでにあります。

しかし、いま私たちが本当に必要にしていることは、筆者のいうような「機知と粘り強さによって長い困難を乗り越えた人々の物語」なのかもしれないと、私はこの章を読んで改めて思い返しました。

当時のヨーロッパ人のように武器によって制圧をするのではなく、常に好奇の目を持って相互の理解を深め、困難を乗り越えていけるような物語を1つでも多く紡いでいきたいと思っています。

MOBRIC 尾崎俊介

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?