見えなくなったらいけないもの
2021年8月。
昨年頭からの異常事態で、世の中は未だ混沌としている。一年以上経っていても、未だ皆が納得し、心から賛同できる解決策は出てきていない。人は今まで以上に助け合う人と、そうじゃない人で分断されつつあり、今の環境に慣れてしまったことで、あまりその問題にも気付かずに過ごしている人も多い。
仕事でも、なんでもそうだけど、このような状況のときに、人の本質は現れるのだと思う。今まで余裕があり「出来ていた」ことが、この1年半以上の環境の慣れにより、「出来なくなった」人は、皆さんの周りにも少なからずいるのでは?と思う。「出来なくなった」というよりは「見えなくなった」というほうのがあってるかもしれない。
今までお世話になった人、面倒をかけた人、支えてくれた人、自分達が思っている以上にその方達のことが見えなくなっている人達が、これから浮上していく未来で活躍し、輝けるだろうか。
実は7月末に僕自身が少し入院をした。今流行りの感染症ではない。オペもした。入院は4日間だったが、今の社会情勢下で“病院”にお世話になった。ありがとうございました。そんな中で感じたことは、当たり前なんてないなということと、文句なんて言ってる場合じゃないなということだった。感染症が感染拡大してるからってことを理由に甘えたことを言ったり、やらないといけないことをせずに誤魔化したり、なにかにつけて文句を言ったり、誰かのせいにしたり。
失礼な状況を作り出していないか?
不義理になるようなことをしていないか?
不誠実な対応になっていないだろうか?
今まで自分達がやっていたこと、大事にしていたこと、気がついてケアできていたこと、それらが出来なくなっている人、大切にしなければいけないモノがみえなくなっている人。
仲間、友人、家族、親族、付き合っていく人、続けていく仕事、関わってきたこと、自分自身でしっかりと考え、選択していくことは凄く大切。今までと、これからと、考えているならそれは自分の判断であり決断だから責任を取れば良いだけ。ただ、考えもなく「見えなくなってしまった」人達は知らず知らずのうちに周りにいた人達は離れていき、今の環境とは自分が望むこととは違う形に大きく変わっていくだろう。
僕自身はこの3月頃から、自分をしっかり見直していこうと、足るを知る生き方を心がけ、周りで気づいたことは押し付けじゃない形で、感謝という意味を考えていけるようになるよう、伝えるようにしている。余計なお節介と思えばそれまでだから構わない、その人には二度は言わないようにした。
大切にしないといけないこと、大事にしないといけない人、重要なモノやコトは人それぞれ。見えなくなったらいけないものが自分にとってなんなのか?この今の混沌とした社会に甘え、疎かになっている可能性がある人達は、今一度足元を見直し、自分自身を確認したほうがいいかもしれない。
忘れちゃいけないのは、どんな状況でも今からの未来はあるということだ。その未来をどうしていくかは、人では無く自分自身の言動次第である。