しゅんしゅん

ラオスでの7か月間駐夫生活を終え、日本で勤務再開。中学生の時にロンドンに4年間、留学でシェフィールド(イギリス)とパリに約半年ずつ、社会人になってから東ティモールに3か月、コートジボワールに3年間、その他ミャンマーに出張で通う等、放浪生活を堪能。趣味は音楽、写真等。

しゅんしゅん

ラオスでの7か月間駐夫生活を終え、日本で勤務再開。中学生の時にロンドンに4年間、留学でシェフィールド(イギリス)とパリに約半年ずつ、社会人になってから東ティモールに3か月、コートジボワールに3年間、その他ミャンマーに出張で通う等、放浪生活を堪能。趣味は音楽、写真等。

最近の記事

【帰国子女シリーズ4】ロンドンでの生活は始まったものの・・・

2004年、家族でロンドンに移住した際の話。 赴任した当時は、家の整備やらなんやらで、私の夏休みもずっと母親と共に家で待機。 海外赴任者の方にとってはおなじみの光景だと思いますが、洗濯機は壊れる、直しに来るといった業者は別の用事が入ったと言って何回も延期する、直したかと思えば火花吹いてまた壊れる・・・ 家族全員初の海外生活で、てんやわんやでした。 私の母は、ほぼ全くと言っていいほど英語ができないので、修理業者が来ても身振り手振りでなんとか意思疎通。日本人向けの不動産会

    • 【帰国子女シリーズ4】現地校交流ーその①

      私が通っていたロンドン日本人学校では、毎年現地校交流というものがありました。 簡単に言うと、現地校の生徒たちが日本人学校に来る日、日本人学校の生徒が現地校の授業を体験(半分ぐらいは当日用の遊びですが)する日の合計2日間です。(連続2日ではありませんが) 私が小学校5年生の時には、まず現地校の受け入れがありました。 受け入れと言っても、彼らが日本語の授業を受けられるわけではありませんので、完全に文化祭みたいな日本文化体験になります。 メイン(?)は剣道体験。 日本人側

      • 駐夫生活を終えて

        2024年、明けましておめでとうございます。世界情勢の悪化、元旦からの地震と人々を苦しめる出来事が続いてしまっていますが、これからは少しでも良い方向に向かうことを願っております。また、紛争や災害によって被災されている皆様には心よりお見舞い申し上げます。 さて、久しく記事を書かずに過ごしてしまっていました。 駐夫生活を始めたことをきっかけに約1年前から書き始めましたが、あっという間に昨年5月末で7か月のラオス生活を終え、その後は東京にて再び会社員生活を再開しております。 妻も

        • 【帰国子女シリーズ3】ロンドン日本人学校ってどんなところ?

          当たり前と言えば当たり前ですが、日本人学校は日本人コミュニティです。 何を言いたいかというと、あまり日本の小学校から転校しても違和感がありません。(他国で現地校経験して転校してきた人等、海外生活が長い友人もいましたが。) 授業もほぼ日本のカリキュラムと同じです。算数、国語、社会、理科(←なぜか理科はあまり記憶にないんですが・・・)、体育などなど。家庭科とかもちゃんとありました。 では、なにが日本の小学校と違うのか? 今はもうだいぶ変わっているかもしれませんが、私が通っ

          【帰国子女シリーズ2】日本人学校?現地校?インターナショナルスクール?

          お子さんと海外赴任となった時に、迷う一つのポイントが、学校選びではないでしょうか。 日本人学校のある国では、①日本人学校、②現地校またはインターナショナルスクール等の選択肢があるかと思います。 私は2004年から4年間ロンドンに住んでいましたが、そのうちの1年目を日本人学校、その後3年間はインターナショナルスクールで過ごしました。 より具体的には小学校5年生の2学期から小学校6年生の1学期まで日本人学校、Grade 6の始めからGrade 8終了(Middle Scho

          【帰国子女シリーズ2】日本人学校?現地校?インターナショナルスクール?

          【帰国子女シリーズ1】子どもからみた海外への引っ越し

          以前、個人ブログで記載していた内容をこちらのNOTEにまとめ直していきたいと思う。主に、私が小学5年生から中学3年生までロンドンに滞在した経験にまつわる話です。 まずは、改めて私の今までどんな場所に住んできたかをまとめてみると、こんな感じになる。 生れ:兵庫県 0歳~小学校1年生1学期の途中まで:千葉県(幼稚園+公立小学校) 小学校1年生1学期の途中から5年生1学期終わりまで:愛媛県(公立小学校) 小学校5年生2学期から6年生1学期まで:英国に引っ越し、ロンドン日本

          【帰国子女シリーズ1】子どもからみた海外への引っ越し

          蚊帳のすすめ(@コートジボワール)

          コートジボワールでは日々の移動のためにドライバーさんを雇っていた。 タクシーで移動できないこともないのだが、やはり毎日の通勤にずっとタクシーを使うのは気疲れする。また、自分で運転したいと思ったりもするのだが、数センチギリギリを攻めるテレビゲーム(難易度最高)のような運転の中で、どう考えても生き残れる気がしない。 ということで、平日および土曜日の午前中にはドライバーさんに私の車を運転してもらっていた。(一応、自分で購入した車なのだが、自分で一度も運転せずに終わったため、「初め

          蚊帳のすすめ(@コートジボワール)

          いざ、4000の島(シーパンドン)へ(2) コーン島(@ラオス)

          世界最大幅の滝、コーンパペンの滝にひとしきり圧倒された後、一泊目の宿泊を予定するコーン島へ向かった。 コーン島(Don Khon)はメコン川の中州に位置する島で、4000の島を意味するシーパンドンという地名の由来となっている島群の一つである(なお、メコン川を数キロ上ったところにKhong島という大き目の島もあってややこしいのだが、そちらではない)。 中州ということで、船に乗って移動する必要がある。船着き場までレンタカーで行き、6人程度がぎりぎり乗れる程度の小型の船(船外機付

          いざ、4000の島(シーパンドン)へ(2) コーン島(@ラオス)

          いざ、4000の島(シーパンドン)へ(@ラオス)(1) コーンパペンの滝

          ラオスで観光と言えば、最も有名なのは恐らくルアンパバーン。某有名作家の旅行記でも「ラオス」という単語が本の題名に入っているものの、実際に滞在しているのはルアンパバーンのみのようだ。 ということで、ルアンパバーンのことを書くかと思いきや、せっかくラオスに住んでいるということで、もう少しマイナーなラオス最南端のシーパンドンへ行った時の話を書く。 日本(や他の国から)ラオスへ旅行に行って、シーパンドンまで行ったという方はなかなか多くはないのではないだろうか。何しろ、ビエンチャン

          いざ、4000の島(シーパンドン)へ(@ラオス)(1) コーンパペンの滝

          もち米・ラープ・豚スープ(現地料理を作ってみる@ラオス)

          ラップのノリでタイトルをつけてしまったが、ラオス語の先生からラオス料理を教えてもらった時の話。 ある土地に長期間住む、といった時に楽しめることの一つが現地料理を作ってみることである。現地の人に教えてもらうのが最も手早いし、なにより家庭料理が学べる。 ということで、普段はラオス語を教えてくれているアジャーン(ラオス語で先生)に何品か教えてもらうこととなった。 というのも、すでに2か月前ほど、私は以下の見た目が非常に魅力的な道具を買ってしまっているのである。名前はモーヌンカ

          もち米・ラープ・豚スープ(現地料理を作ってみる@ラオス)

          家庭という「職場」

          いわゆる専業主夫という立場になって、約5か月(それまでは大学卒業後、5年半ほど企業にて勤務)。主夫としての十分な働きができている訳では全くもってないが、自分自身でやってみると、新たに見えてくることや想像していたものと違うことも多少ある。 世の中の家庭、百種百様であるとは思うが、専業主夫(一部は専業主婦の方にも当てはまるかもしれない)を「仕事」として捉えた場合の話を少し書いてみたいと思う。(もうちょっと旅行記っぽい記事を書こうとは思っているんですが、たまにはこういうものも書い

          家庭という「職場」

          儚き青信号

          ああ、儚い・・・ なぜそんなに儚いのか・・・ 緑色の人型よ・・・ その点灯時間、約3秒。交差点の歩行者青信号である(@ラオス)。 いわゆる発展途上国の特徴の一つとして、道路の作りが歩行者に親切でないことが多い。というか、異様なまでに不親切だ。 だんだんと街が発展していき、経済発展によって車やバイクの交通量も増え、十分に制度設計がなされないまま道路や信号が整備されていると思われる。道もがたがただし、だいたい車が路肩に止まっているので、歩行者は道路をあるかざるを得ないことも多

          各国の「目覚まし」

          皆さんは目覚ましに何を使われているだろうか。スマホ?あるいはアナログの目覚まし時計? 私は通常アナログの目覚まし時計を使っている。スマホを使ってしまうと、朝からスマホの通知に縛られてしまう気がするから。ただ、そんなもの使わなくたって、自然(?)の音でも起きられる!ということで、今回は海外生活で私にとって印象的だった「目覚まし」について記憶を掘り起こしてみる。 鶏の鳴き声(時刻:日の出、音量:大) 日本の都市部では、もはや漫画の世界にのみ存在する事象になってしまっているよ

          各国の「目覚まし」

          ຮຽນພາສາລາວ ラオス語を学ぶ

          以前の投稿で、ラオスに渡航して駐夫生活3か月、時間を持て余していると書いた。ただし、その間にもそれなりに本気で取り組んでいることがある。ラオス語の習得だ。 習得と書くと大層な話に聞こえるが、実際には週に2回、超絶フレンドリーなラオス人の先生(仮にヴォン先生と呼ぶことにする)にオヤジギャグ満載のレッスンをしてもらっている。 本記事のタイトル前半はラオス語で「ラオス語を勉強する(ヒエン パサ ラオ)」と書いている訳であるが、ご覧の通りこの表音文字は一筋縄ではいかない。くねくね

          ຮຽນພາສາລາວ ラオス語を学ぶ

          朝日とともにタートルアンへ (2)

          タートルアンの前の長大な列の中に場所を確保してから約40分。空にオレンジ色の光が差し始めた6時半、ちょうど足が痺れ、周りの皆さんがひたすら自撮りをしているのを見るのももう良いかなと思っていたころ、とうとうそのイベントは始まった。 恐らく、ラオス国内で最大規模の托鉢行事の開始はまず読経からスタートする。日本の仏教系の学校に行かれたことがある方なら一部聞き取れるかもしれないが、何を言っているのだろうか・・・ ・・・と考える暇もなく終わった。その間、約10分ほどである。読経の間

          朝日とともにタートルアンへ (2)

          朝日とともにタートルアンへ(1)

          日が昇る前の朝5時半。まだ風が少し肌寒いとも感じられるような中、ビエンチャンの中でも中心的な寺院であるタートルアンの前には数万人とも思われる人々が集い、ゴザを敷いて座っている。女性は皆ラオスの正装であるシン(ラオスのスカート)を身に着け、男性も含めてパービアンと呼ばれる布を肩から掛けている。いわゆる仏教行事での正装だ。 そう、2022年11月には新型コロナ以降3年ぶりに代表的年中行事の一つ、タートルアン祭りが再開された。11月8日の早朝は特に重要な托鉢が行われる日であり、全

          朝日とともにタートルアンへ(1)