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シリーズA→Bの3年間。凡人の経営者トライ(は続く)
会社としては5期目になりました。
多くの方の支えと凄まじい努力があり、スタートアップとしては普通じゃない、当初に思い描いた進捗ができています。
参画から1年後くらいに書いた前回のnoteは、思った以上に、投資家や候補者の方から、読みましたという声を頂きました。
内容の青さは恥ずかしい限りですが、自分の成長の証として記録しておこうと思います(本当は書き換えたい)。
会社も大きくなり、一層飾ってしまいそうなので、社内の新卒メンバーや関係の深い特定の方に向けた形として、ありのままの言葉・表現、個人的な言及をご容赦ください。
founder ceo/ctoの田代・小間という2人の天才に挟まれ、かねてより凡人の自負があるぼくが辿った思考・日々は、多少なりとも僕のような役割もいいなと思ってくれる新卒や若手の方には参考になってほしいと思います。
3人の役割分担→中野の役割は、参画以来変わらず(田代小間が最も得意なところ以外)。
ミッション達成・企業価値最大化のために、この役割分担が現状は最適解だと思っていますが、あくまでも今の話です。
逆を言えば、ここの発展次第で会社の成否を分けることにもなるため、そのための交代・委譲、登用・採用を実現していかないといけません。
ちなみに、ぼくは2022年4月に入社。同年10月に執行役員にしてもらって、今年の10月にCOOをつけてもらいました。
今は、いわゆる常勤の経営メンバーは、執行役員のぼくと代表取締役CEOと取締役CTOだけになっています。
ギャップフィラーが埋めるギャップは2つあった
スタートアップに関わる方なら一度は読んだことのある本に、「創業期には神のようなイネーブラーが現れ、色んな抜け漏れをすべて拾い、たくさんの実行を支えてくれる。但し、それはたった一度の天からの贈り物。スケールにあたってはそれにいつまでも頼ってはいけない」といったような一節があります。(爆速成長マネジメントだったかな)
これは、スケールの観点で、創業者・CEOに対して示唆のある言葉だと思いますが、ぼくは登場人物側?として、この言葉に妙に納得しました。
ぼくが神でないことはもちろんそうとして、少なくともそうあろうとしてきた創業からの4年だったと思います。
なお、このようなイネーブラーは、上記の要領から、ギャップフィラーとも呼ばれます。
ギャップフィラーが埋めるギャップは、実際には2つあります。
部門・業務レベルの抜け漏れを拾う水平的なベクトル
組織拡大に伴う役割・責任のレベルという垂直的なベクトル
N=1のサンプルながら、感覚的には、水平→垂直の順番で移ってきました。
そして、レベル2の垂直的なベクトルも、ギャップフィラーの域は出ません。
ここからは、ギャップフィラーでない根本的な気構えというか、それに基づく思考・行動・結果がより求められていく(もう求められている)と思います。
戦略
銀行員時代にも、何度も耳にはした、また偉そうに使っていた気もする言葉です。
恥ずかしながら、その意味するところは、全く分かっていませんでした。
逆説的ですが、それに気づいた今、少しだけ理解できた気がしています。
戦略とは「リソースの配分である」という最も有名な定義があります。
また、「戦略と戦術との違いは、whatかhowか、抽象的か具体的か、時間軸が長いか短いか...」といった言説が溢れています。
一度自ら通った人であれば、それはその通りと思うのでしょうか。本を読んだりあれこれと考えてみても、凡人で経験もないぼくの理解には殆ど貢献しませんでした。
戦略なんて高尚な響きがするものが、リソースの配分?ちょっと落差があり過ぎやしないか?「左と中央に50騎ずつ!」と決めるだけなら、めちゃくちゃ楽そうじゃないか?
でも実際にはめちゃくちゃ難しい。なぜか、なぜだったのか。
戦略という考えは、そもそも戦・戦場から来ているのに、その戦場が前提としている「勝つ」ということ(負けたら死ぬ)をまったく認識できていなかったのです。
49騎か51騎かへの本当のこだわりなんて、本気で勝とうとしている奴からしか生まれません。
僕はキングダムという漫画が大好きで、定期的に漫画喫茶や銭湯で、戦いごとに読み返すのを楽しみにしているのですが、戦国時代というか戦時、その言葉が生まれた場所である、勝たなければならない戦い、を想像して、恥ずかしながら、初めて理解できたのでした。
勝つ、という前提がないと、そもそもリソースが有限だなんて思えない。特に大企業の中で視座が低かった僕は、その所属している大企業が勝つためには、なんて到底考えられない。自分が戦場にいて、死ぬかもしれないという前提がないと、本気でなんて捉えられない。
リソースが有限な中で、勝とうと思うから、配分を真剣に考える。
そして、最初の一歩である、本気で勝とうと思うのが難しかった。
死ぬわけでも、分かりやすく勝ち負けが決まるスポーツでもないため、気付きづらい。
ビジネスの世界においては、大きな責任を本当の意味で持ってないとそうは思えない。
そして、経営は結果責任。勝つことが責任、その責任を負う。ただそれを負えなんて、辛すぎる、キツすぎる。
でも、だからこそ、真剣に考えられる、考える。
そうして戦略思考が必然的に必要になってくる、という順番なのだと思います。
その最初の関門さえ理解できれば、戦略の要諦とか有名な先人の本を読み、唯一得意である企画脳を発揮して実践で使うことを繰り返すことができれば、どうにかなっていくと思います。凡人にはそれくらいでまずは十分でした。
もう一つだけ、自分の理解を助けたものがあるとすれば戦略は「選択的」でないといけないということ。
リソースの配分というのは言い得て妙で、片方を51にしたら片方を49にしないといけない。
当然にSumは変わらない前提なのだから、選択的になる。
つまり戦略の決定時には複数の候補があるはずであり、構造的なトレードオフが生じる。
だから、やらないことが明確に言えない戦略はダメなのだと理解しています。
田代さん含む先輩に教えてもらいました。
責任とは言い訳なしのゲーム
笑ってしまうようなエピソードですが、あるチームメンバーの方に資料づくりをお願いすることがありました(資料しか作れなかった奴が偉そうになりました)。
とあるお客様への提案資料です。
ぼくはある一枚のスライドに指摘をしました。
分かりづらいかも、要は何が言いたいのかな、みたいなことを。
そしたら「いや、これ中野さんが過去につくったやつですよ笑」と言われました。
笑い話ならここで終わりですが(実際に後日めちゃくちゃ笑ったのですが笑)、話は続きます。
そんなコミュニケーションをしてしまう自分は棚に上げておいて...
一つ思考実験ですが、
彼は、資料=成果物、アウトプットの完成・全体に責任を負っていたと言えるでしょうか。どう思いますか。
(大前提、彼はめちゃくちゃ優秀な方です。ぼくの年齢になるときにはぼくなんかゆうに超えられるはずです)
ぼくのつくったそのスライドとコミュニケーションはクソとして、少なくともぼくは、彼がその資料(もっと言えばそれを用いるお客様との商談)に責任を負っていないと感じてしまいました。
資料に責任を負おうとしているなら、そのスライドを入れることは彼が決めたことであり、修正・変更しないことも彼が決めたことです。
どんな理由であれ、自分のせいではないと言ってしまうことは、責任を取ろうとしている人間の言動ではなくなってしまいます。
今では彼との間でも笑い話ですが、彼にとっても色んな意味で笑、記憶に残ったエピソードのようです。
本当の意味で言い訳できない、最後の責任から逃れられない、とはどういうことか。
短い時間で意思決定を求められた...検討の時間がない...とは言えない、とはどういうことか。
「責任感のある人」というと、どういう人を思い浮かべるでしょうか。
任された仕事の期限を必ず守ろうとしている、目標達成やタスク完了のために自ら周囲に働きかけている、などでしょうか。
また、責任を持つ、責任を負うということは、その対象があるということです。
その対象はどれくらいの広さ・外周でしょうか。また、それは広げられるでしょうか。
大きかろうと、小さかろうと、追うと決めた範囲の責任においては、そこで生じる全てに対して、言い訳はできようもないでしょう。
もし、言い訳をしてしまったとしたら、それはその責任を全うしていない、もしくは負おうとしている責任の範囲は、自らの能力・器に対して、過大だったということになってしまう。
なのに、その負っている(と錯覚している)責任範囲の中でたまたま生まれた果実(=成果)を自分のもののように捉えてしまったりする。自分が実際には追っていない責任範囲の果実を、よもや自分の成果だなんて言動に表してしまったら、そんな人は誰も応援したくなくなる。
そしてこれに気づけていないことがとても多い。ぼくもそうでした。
「責任をとる」ってそういうことであり、どの範囲の責任を実態的にとっているのか、それは日々の業務やコミュニケーションでモロバレします。
大きい責任をとれ、と言っている訳じゃない。自分が負おうとしている責任にできるだけ正直であってほしい、そうすることでしか大きい責任は取れるようになっていかない、とは思います。
難しい、ぼくもできません。でも常に、そう思おうとはしています。
COOはミニCEOか
COOはミニCEOと言われます。この手の話を担うことが多いからでしょうか。オペレーションオフィサー、オペレーションとは要するに実行部分の全てだと思います。例えば、組織(HR)も本来というか、特に立ち上がり期においては、この実行の一部だと思います。
銀行におけるXX企画部くらいに、名前からは何をやっているかわからない存在です。
結論、ぼくは、ミニCEO的なCOOもいれば、CRO的なまたCHRO的なCOOもいる、と思いました。
シンプルフォームにおいては、CEOを含む他のCクラスの責任範囲で規定されていない領域すべてが、COOの領域というのが、最もしっくりきます。
田代さんは常に、不測の事態などにおいて自分の代わり(CEO)ができることが、Cクラスの条件だと言います。
僕らの場合はそうというだけですが、個人的にはしっくりくるというか、そういう組織は強いだろうなと純粋に思います。
結論、領域はなんでもいいけどって思ってるCクラスが特に向いているのがCOOなのかなと思います。
CEO以外のCクラスが捕球できなかったものの責任が全てCEOに行くように、それをさせない動きをするのが(むしろCEOの代わりにその責任を取ろうとするのが)COOだとすると、確かにミニCEOなのかもしれません。
天才じゃない人間のリーダーシップ
いろんな方に教えていただいたり、学ばせてもらって、結論、今のぼくにとってはこの3つになりました。
①目的
これは、最低条件・必須要件です。
逆に言えば、これさえあれば、下手であっても、リーダーにはなれる。
リーダシップ論が多数ある中、プリミティブすぎて見落とされがちな気がしますが、戦略が戦場で生まれたように、リーダーは目的を達成するために生まれたと思います。
リーダーシップはそのための手段です。
そして、その必須要件が目的という…
リーダーシップという言葉から、ビジョンとか、指針とか、壮大なものを一足飛びに連想してしまいますが、凡人には目的という言葉で十分です。
天才はそういう大きい言葉で本質を理解できるのでしょうが、ぼくの場合はそうはいきません。
もっと小さいものを想像する。そうすると目的という言葉で十分。そこにもリーダーシップはある。そもそも、リーダーシップに自信がない人間は、横着せずに、そこから始める。
②持って生まれたものに気づけるか
リーダーシップを一言で言い表す、芯の食った表現をなかなか見つけられてなかったのですが、とある先輩経営者に教えていただいた言葉が最も腑に落ちました。
リクルートマネジメントソリューションズさんの研修?の一説だそうです。
まず、リーダーシップとマネジメントは違う。
マネジメントは模倣可能で再現性があるが、リーダーシップは先天的なものである。
そして、リーダーシップとは、言ってしまえば、人の心を、人の足を動かす力。
ということです。
そして、何で動かすのかというと、やはり言葉です。また、背中(自らの行動)です。
これは持って生まれたものであるそうです。
自分は何で人を動かせるのか、どういう言動が最も人を動かせるのか、周り(フォロワー)は自分に何を言ってほしいか。
それに気づけているか否か、は確かに同じ優秀さを有していても、本当に人によって差が大きいと思いました。
ですので、みんな大なり小なり、その可能性はある。ただ、本能的であれ、理論的であれ、それに気づけるか、は先天的な才能と言われるのだと思います。
それくらい確かに差が大きい。
ぼくがジョブズの言葉を喋っても、響くことはない。誰の心も、誰の足も動かせません。
これを知ると、本当の自分の強み弱みを知れると、リーダーシップは発揮しやすいと思います。
そしてそれはその人にとって唯一無二のものとなり、名実ともに強みになります。そして、それは3つ目のかっこよさにも繋がっていきます。
③かっこよさ
またまたキングダムですみません。
那貴という登場人物がいまして、途中で自分がついていくリーダーを主人公の信に変えたのですが、最後にまた桓騎という元のリーダーのところに帰るシーンがあります。
この桓騎が最後の死に際のときのことです。結局助からないのですが、最後くらい桓騎の近くにいたいと言って、強引に信の元を離れます。
そのときにその場にいた摩論だったかな?が「あなたなら、これ以上理由を聞かなくても分かるでしょう。結局桓騎は男が惚れるくらいかっこいい男なんです。」みたいなことを言いました。好きなキングダムの中でも、結構痺れたワンシーンです。
(単行本でも出たので良いかと思い…アニメの方はネタバレすみません)
このかっこよさは、ある種、目的すら必要としません。確かに今回これが発揮されたシーンは平時でなく、戦時ではあるのですが…
ぼく自身、男として、やはりかっこよくはありたい。
たくさんのアニメの主人公に憧れて、この力で負けること、その戦いから降りてしまうこと、はやはり自分に対しては、ダサく感じてしまいます。
ぼくだけでしょうか。そして、こういうダサいことを平然と言えてしまうのがぼくでもあります。
さて、ここからの挑戦。何を考え日々を戦っていくのか
とりあえず、2025年は、自ら描き、結果を出す年にします。
これまで目を瞑ってきた弱み、に向き合います。
先行ビジネス、マクロ環境の解像度(先を読む)
ビジネスじゃなくてエンジニア、ジュニアじゃなくてシニアの方とのコミュニケーション
大胆な決定とミスしてでも大局を動かす(正しいリスクを取る)...
人間的な成長がひと段落することはありません。プライベートも、まだまだであり、家族にもいつも迷惑をかけています。
本当に申し訳ないし、情けない。そこも大きな進歩がある一年にしたい。
シンプルフォーム物語も第一章の集大成、いい悪いはさておき、その成績が出ます。どうにか良い形で終え、第二章に繋げたい。
ちなみに、以下はぼくが意識している日々のメンタリティです。悩んだり、迷ったときにはこれを思い出します。
日々のメンタリティ
毎日は120%でやる(タスクが変わる)
1週間は最低1テーマを達成する(ジョブが変わる)
1ヶ月は戦略に基づく結果を出す(目標が変わる)
3ヶ月は一連を通じ成長を心から実感する(景色が変わる)
1年はもはや別の人間になっている(人格が変わる)
3年はこれを繰り返して社会に差分を与える(周りが変わる)
3年後にはシリーズCが終わっているはずです。ぼく自身そこに持っていけるでしょうか。持っていかないといけません。
また次、何かの節目でnoteを書くときには、このnoteが青く見え、恥ずかしくなっているくらいには、成長していないといけないですね。
読んでいただきありがとうございました!またお会いしましょう!