
【エニアグラム】タイプ3マザコン説
実質ただの悪口。春眠ねむむです。
タイプ3と言えば、皆さんどんな姿を想像されるでしょうか?
格好いい大人、勝ち組、スーパービジネスマン、承認欲求に取り憑かれた哀れな人……思いつく姿はさまざまでしょう。
今回はそんなタイプ3が標的です。格好いい社会人としての素顔を台無しにしてしまいましょう。
タイプ3と養育者像
タイプ3マザコン説。これは、なにも無根拠に貶めようという意図で提唱しているわけではありません。しっかりと根拠らしきものは存在しています。
その根拠が、現在絶版となってしまった「性格のタイプ」という書籍の記述ですね。
タイプ3は養育者像に結びついた。
幼いタイプ3は、他者が示す感情の状態に敏感に順応したり反応したりして、養育者像が示す反応や半ば無意識の期待に合わせることを学んだ。
途中少し端折りましたが、それはまあご愛嬌ということで。
さて、ここで言う養育者像。これが今回唱えるマザコン説の要ですね。
人は保護者像(父親的存在)と養育者像(母親的存在)の2つの大人像を見たり、密接に接したりして幼少期を過ごします。
タイプ3が接する……もとい意識するのは、養育者像。つまるところ母親的な存在です。
この母親的存在は、もしかしたら本当の母親ではないかもしれません。ですが、母親的存在とながついている限り、その人物は母親と同じような役割を担うと言えます。
人は幼少期の自分を世話し、支えてくれた人に母親としての姿を見ます。そう考えると、養育者像は広義の意味では全て母親と言っても差し支えないでしょう。
タイプ3マザコン説
さて、養育者像の解説は程々に……改めて、タイプ3の親との定位について大事な部分をもう一度抜粋してみましょう。
幼いタイプ3は、他者が示す感情の状態に敏感に順応したり反応したりして、養育者像が示す反応や半ば無意識の期待に合わせることを学んだ。
これこそが、タイプ3マザコン説の根拠です。
要するにこれ、母親的存在の反応を見ながら期待されたことをやるように学んだと言っているようなものです。
母親の望むままに振る舞う、すなわちタイプ3は母親がなければ成り立たない。
母親の期待に応えようと健気に奮闘するのが幼少期のタイプ3だとすると、当然タイプ3が母親に向ける感情はネガティブなものにはなり得ません。
仮に実の母親にいい思いをしていなくても、養育者像に対しては非常に深い情愛、敬愛を覚えていることでしょう。
これこそがタイプ3マザコン説の正体。タイプ3の性格形成の基本骨子です。
母親的存在が大好きでなければ、当然「養育者像の期待通りに動く」という学びを得ることもありません。むしろ反発することを覚える可能性すらあるでしょう。
タイプ3は養育者像には逆らわない。なぜなら、その期待に応えるべきだと学んだから。
母親のために頑張り、母親の笑顔を見れるならと自分すらも封印し、その期待に応えるために何でもやる。
その「母親の期待に応える」がやがて「周囲の期待に応える」に変わっていき、いつか見た母親の笑顔を周囲の人たちの満足と重ね……と、こんな感じでタイプ3が形作られていくのかなと。
繰り返しになりますが、タイプ3がみんな実の母親大好きとは限りません。大好きなのは、養育者像です。
ですが養育者像=実質的な母親と定義した場合、タイプ3はマザコンというトンデモ説が成り立ってしまうのです。
幼少期のタイプ3については自前のブログでもまとめています。こんなトンデモ説ではなくもっと客観的な視点から見てほしいという方はそちらをどうぞ。
まとめ
今回はタイプ3マザコン説についてお話ししていきました。
ただ承認欲求が強いだけではなく、その承認欲求強めの人物に育つには、しっかりとした生い立ちも関係しているわけですね。
全タイプ、必ずと言っていいほど何かしら性格形成に至った生い立ちが存在しています。タイプ3の場合、それが母親からの期待だったわけですね。
タイプ3の承認欲求の原初は、母親思いのいい子です。
やがて母親の期待は周囲の期待になり、「お母さん褒めてくれるかな?」が「みんなに認められなければ」という意識につながり、次第にみんなよく知るタイプ3になっていきます。
どのタイプも何らかの歪みがあって、そこから性格が形成されていきます。その辺りを知るのも、結構面白いかもしれませんね。
今回はここまでです。他にもここではもちろん、自前のブログでも色々好き勝手にエニアグラムについて考察しています。興味がおありでしたら、ぜひそちらもご覧ください。飛んで喜びます!
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