所信表明ver1.2

最近はラジオを聴きながら道や電車でも我慢せずにまあまあの声で軽く笑ってしまうことが増えた。

昔から口を押さえて必死に堪えてたけど、もうリミッターがバカになってしまった。
久々のひろしのコーナーを夜の五反田を歩きながら聴いたら、もう堪えようとも思わなかった。

明らかにヤバいやつだけど、我慢しきれずブフォと吹いてしまうよりかはキモくないし
車内で電話や大声で独り言話す奴らよりかはマナーを守っている。
誰も金髪メガネがひとりでイヤホンつけて笑っているぐらいならどうも思わないだろう。
笑いたい時に反射的に笑えた方が気持ちいい。

でもささやかな社会への反抗心なのかもしれない。
迷惑なマナーのラインがわからない。
車内での電話はNGで会話はOKなのは何なんだろう。
ほんとに迷惑なら笑うのもやめようと思う。


五反田のおにやんまの券売機がキャッシュレスオンリーに進化していた。領収書も出る。
発券しただけで厨房に注文が届くシステム。
あそこはなぜいつも券売機が最新鋭なんだろうか?
そんなことが気になる性格に疲れる。どうでもいいことにただでさえ少ない脳のキャッシュを使う。いやだけど楽しいとも思う。

noteを書き始めて1ヶ月以上経った。
書いていると自分の中の変に気になってしまう癖も整理できるし、書くと集中力が上がってその後の作業もいい方向に働く。

過去の話を書くと、全く別なところにあった記憶と記憶が結びついて良いアイデアも出てくる。

書くことは全く苦じゃない。むしろ良いことしかない。
直近で感動したことを書くのがすごい楽しい。
まだまだ書きたいことが湧いて出てくる。


note読んでくれているとメッセージが結構来てうれしいです。ありがとうございます。

noteで続けようか悩んではいる。
ただの日記というか、自分の変な長文の記録を伝えたい人たちだけに見てもらいたいから。

現状、完全にクローズドな環境ではないけど、今の所どうせそこまで見られてないだろ。
書きたい気持ちはほんとにあるので、自分のサイトを作ってブログを書いてた方が良い気がする。
とりあえず別の環境を見つけるまでここで書こうと思う。
書いてる側は楽しいが、もしこうやって書くことが、社会のマナーではなくてマイナスなプロモーションになってたらやめる。

noteをはじめたのは、ほかのSNSは嫌いだけど自分の考えや共感してほしいことはたくさんあって、それをどうにか共有したかったから。
自分の想いは、ちゃんと文章に起こせば伝えたい人には伝わると思う。

人生の楽しさをインスタに載せること
それができない、楽しめない。
なぜできないかとかを分析して文章に起こす方が生きてる感覚になる。
それがナナメってことか。
カッコつけるのも疲れる、でも絶対やったほうがいい。


世間とずれている部分を公にさらすことはみっともない。

だからみんなSNSでずれてない部分だけを見せたり、ずれててもずれてないようにかっこよくみせてるんだろう。

でも、自分は、みっともない部分をなるべく見てもらいたい。

まだ何者でもない自分を知ってもらいたい。

全裸より恥ずかしいぐらい文章で自分を出していかないと、伝えたい人に伝えられないと最近思った。
それは作品でもなんでもそう。


とはいえ、世間とずれまくっていくのも違う。
はみ出したことに挑戦して、注意されないのはこわい。そういうとこの臆病さは一生なのかもしれない。

フワちゃん騒動でその恐怖心は前よりも大きくなった。
指摘するのがダサいという風潮。
時代に生かされて世間に殺されたフワちゃんを見ると、はみ出していく種族はもう未来がないんじゃないかとまで思った。
日本にいるなら世間というものから逃げられない。

つまり、みっともない部分を言語化して、
その上で世間からはみ出ている部分のギリギリのラインを攻めていく勝負

そう考えれば、すごい楽しそう。
ほかの人には幅がなさそうに見える部分が、自分には広く感じる。
好きなことのギリギリで生きていく。

だから、まずは外でラジオを聴いて一目を気にせず笑うところから。いや違うか。



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