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生の実感、人生の俯瞰

林道を散歩したり、満点の星や満開の桜を見たり、人間のいた形跡がわずかしか残っていない廃墟を訪れたり、自分の昔の思い出を懐かしんだりしたときに、「自分は今生きている」ということを実感する。特に、永い時間の経過を思わせる風景に出くわすと、「人間の命は長くても100年くらいしかななくて、自分はそう長くない(長いことには長いが)うちに死ぬんだな」などと考えたりする。

そういう実感には、憂鬱になるどころか幸せを感じる。

こうした認識に長らく出会わないと、淡々と起き、食べ、寝る。淡々と授業を受けては課題を出す。淡々と部活をこなす、といった具合に味気ない、モノクロの日々を送ってしまう(しかも、そのことを自発的に自覚できない)。

冒頭に挙げたような悠久の自然、栄枯盛衰を思わせる風景に出会ったときに起こる、「これからの人生はそう長くない、明日さえ来るかどうか確証はないのだから、今日を大切に生きよう」とか「あの人は少し苦手だけど、お互い短い人生を歩む道中なのだから少しは辛抱するか」とか「いつかやろうと思っていたけど、他でもなく今日やろう」、「あの人と行きたかったあそこに行こう」という動機は、人生をカラフルに、彩りあるものにしてくれる。

そういう体験を、頻繁に日常に取り入れてきたい。

ではまた。

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