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日間賀島探検隊【2/6】受付のお姉さんに撮影をお願いしたら「いいですか? では皆さん、『ミツカ~ン、酢!』」

半田の豊場屋本店で焼きあなご寿司をいただいた探検隊は、すぐ正面の『ミツカン・ミュージアム』に向かいました。

ご存じのようにミツカンは食酢のトップメーカーです。
「食酢」の売れ筋ランキングというのを調べてみたら、トップ10の中にミツカン製品が7つも入っていてたまげました。

江戸時代、半田では酒造りが盛んでした。初代中埜又左衛門が、米から酢を作るよりも酒粕から作る方が安価であることに着目し、文化元年(1804年)に粕酢製造業を開始。
半田運河沿いに酢の醸造蔵が並んでいて、酢は運河から尾州廻船によって江戸に運ばれ、江戸の町で庶民の間ににぎり寿司が普及する要因となったそうです。

半田でカブトビール【1/3】まずは江戸のにぎり寿司ブームを支えた町の歴史など|谷 俊彦
半田運河
ここから食酢が江戸に向けて出荷され、江戸前の寿司文化を支えた

さて、予約までして入場したミツカン・ミュージアム(MIM)ですが……

クラシックなMIM正面玄関
ミュージアムの脇には鎮守社の鳥居が…
かつては、企業や工場の敷地内に神社を祀る例が数多くありましたね
赤い鳥居に向かって手前右側には『水琴窟』もありました

ミュージアムは江戸時代の酒粕から酢を造る工程を再現したゾーンと、その酢を入れた樽を江戸まで運ぶ帆船の実物大巨大模型が目玉でした。

仕込み工程
樽に詰めて出荷する工程
全工程のジオラマ
酢を江戸に運んだ「弁才船(べざいせん)」
右下の舵だけで大人より大きいサイズ
創業者が「いかに目の付け所が良かったか」
江戸の握り寿司ブームを支えたか
……などを力説!

まあしかし、このミュージアム、コスパ(入場料¥500)タイパ(約90分)を考えると、やや疑問符が付きました。
特に最後、劇場の観客席のような場所に案内されたので、何か面白い映像が流れるのかと思ったら、これがほぼ会社イメージアップを目的をしたある種のCMでしたね。こんな映像は受け付けの前で開始時間を待っている場所で流せば十分です。後で聞いたら、全員眠かっただけ、と言っていました。
入場料¥500の中にこんな時間を入れていちゃいかん!

例えば、大都市横浜・馬車道にある『日清カップヌードルミュージアム』とは違って、お客は電車賃使って半田まで来ているわけなので、やはり。ここならではの『非日常体験』が欲しい!

例えば……そうですねえ……

江戸の街角に出ていた江戸前寿司の屋台が紹介されていましたね
今で言えばマックのようなファストフード
当時の握り寿司は今よりサイズが倍で、酢飯は粕酢の赤い色が着いていた

この屋台を出して、実際に注文を受けて握り寿司を(有償でいいから)提供してはどうでしょうか?
もちろん、食品衛生法などのルールをクリアする必要はあるでしょう。でも、かなり高付加価値の『体験』になります。

ちなみに、同じ半田市内の『豊場屋南店』(本店から暖簾分けしたお店のようです)では、事前予約すれば当時の握り寿司が食べられるようです:

さて、ミュージアムの見学を終えた我々6人は、建物の前、および運河の前で集合写真を撮ろうではないか、ということになり、隊長(私)が受付のきれいなお姉さんに恐縮しながらお願いした。

受け付けに戻ってお姉さんに撮影を頼んでみる

「いいですよ!」
明るく引き受けていただき、一緒に外に出た。
するとお姉さん、

「じゃあ、いいですかあ、みなさーん、ハイ、『ミツカ~ン、酢!』」

「ミツカ~ン、酢!」

場所やポーズを変えて6枚ほど撮っていただきましたが、そのたびに、

「撮りますよう、ハイ、『ミツカ~ン、酢!』」

「ミツカ~ン、酢!」

うーん、ミュージアムで一番印象に残っているのがこの、

「ミツカ~ン、酢!」の唱和

── 偉大なお姉さんでありました。

酒粕を原料として昔ながらの製法で造った粕酢「山吹」
皆さん、お土産に買っていました……

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