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カラオケ進化の過程で気付く、情報量の増大に伴って退化する想像力について

「今の若いモンは知らんだろうが……」
ジジイになったらこんなセリフ言ってみたいものだ、とかねがね思っていたら、あっという間にジジイになっていた ── このセリフを言う暇も無く。
いつ玉手箱を開けたのだろうか?
乙姫様や鯛・海月クラゲと飲めや歌えの楽しい日々を送った記憶はないのだが……いや、あるかな……

── それはともかく

先日、久しぶりにカラオケスナックで絶叫して、想い出したことがありました。

学生時代、既に8トラックのカラオケシステムは存在していたけれども、普段は居酒屋で飲んでいたし、たまに先輩に連れていかれるバーでも ── 装置が高価だったのだろう ── 見たことはなかった。

会社に就職した頃からかなり一般的になってきたけれど、その頃のカラオケは、曲を選んだ後、該当する8トラックカセットを再生装置に入れ、歌詞ブックを繰って、もう一方の手でマイクを握り、歌ったものです。
当時、よくやった失敗は、カラオケ音楽と自分の歌がずれても気付かないまま絶叫し続け、友人たちが顔を顰める……

── その時は気付いていなかったのだが……

間もなくレーザーディスクを使うカラオケが登場した。
モニター画面に歌詞が現れ、文字色の変化を追うことにより、かつてのような『致命的なズレ』は無くなった ── 当初はいいことずくめと思っていたけれど。

ある時、職場の宴会の流れで上司を含む数人でレーザーカラオケのある店に行った。それぞれがマイクを持つ中で、上司もお気に入りの曲を歌った。
歌い終わった後、彼は不愉快そうに言った。
「この機械は安っぽい映像で、ボクがこの曲に対して持っていたイメージを、見事にぶち壊してくれた」
はっきりとは憶えていないが、歌のテーマは恋愛で、モニターには ── 歌詞を教える背景として ── 確かに相当テキトーに作られたのであろう、男女のジェスチャー映像が流れていた。

(……なるほど。そりゃそうだ)
歌詞ブックの文字を追っていた頃は、間違いなく、我々の脳裏にはそれぞれの『想像イメージ』が流れていたのだ。

その後、ミュージックビデオに大きな資金が投入されるのと並行するように、また、カラオケの通信化とも相まって、こうした『背景映像』の質が上がった。
けれど、それはつまり、この時の上司が『安っぽい映像だからこそ』気付いた『各個の想像イメージぶち壊し』が知らず知らず進行していくことでもある。
より正確に言えば、『イメージ画一化』によってそれぞれが『想像力』を使う必要が無くなった、ということでもある。

── それはおそらく、気付かぬうちの『想像力退化』につながるだろう。

そんなことないだろ……そう言う方に別の例を:

お気に入りのマンガがTVアニメになった時、私たちは最初、主人公の『声』に違和感を持つ。
紙の本 ── そこに音声情報はない ── を読んでいる時、私たちは想像で『声』を補っているから感じるのだ:
「こんな声じゃない!」

けれど、何回か視聴しているうちに、必ず慣れる
そしてそれは、想像が『画一化』されたということだ。
慣れた後で紙のマンガを読んでも、私たちの頭に響いているのはあのアニメの声である。

ということで、ジジイが心配していることがある。
情報量が多い世界で育った人類は、『想像』トレーニング量が少なく、何にせよ、『オリジナル』を生み出すことが難しくなってこないだろうか?

「No Problems!」
あなたは言うかもしれない。
「そんなの、全部AIがやってくれるんだから!」

そりゃ……そうかもしれないね。

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