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万博の『目玉』【2/4】
万博の建設・運営費用は当初の予算を大きく超え、しかも目玉企画がなく、多方面からの批判にさらされていた。
私は勤務先のBSC(Biotech Short Circuit)社に提案し、会場を訪れた個人客の案内役となり、しかもそれ自体が未来社会へのレガシーとなり得る ── 『目玉』を開発した。
万博会場で人気パビリオン『O-TA-KU館』を訪れた私は、そこでコンパニオン役の『目玉』が関係しているらしい逮捕シーンを目撃する。
〈さ、次はどこじゃ、どこに行きたい?〉
シアターからの出口も、他の観客とは別の通路を利用できた。── まあ、それなりの金額を払っているのだから当然かもしれないが。
「そうですねえ……『O-TA-KU館』には、『VR聖地巡礼』とか『メタバース・コスプレ』とか、いろいろアトラクションがあるようだけど、ここはもういいかな。『SA-MU-RAI館』が海外観光客に人気があるって聞いたんで、そこに行きたいな」
〈お安い御用じゃ〉
『O-TA-KU館』から、これも関係者外禁止の区域を通って出ると、既に送迎車が待っていた。真っ赤な2人乗りオープンカーで、もちろん自動運転だ。
〈万博用に開発されたFCV ── 燃料電池車じゃよ〉
「なかなかかっこいいですねえ」
〈さあ、乗った乗った、『SA-MU-RAI館』にはほんの5分で到着じゃ〉
「オヤジさんの動力源もFCなんでしょ?」
ぎょろりとした目玉がこちらを睨みつけた。
〈なぜ知っておる?〉
「……いや、その……燃料電池は排気が水だけのクリーン・システムだし、二次電池のように頻繁な充電は不要だって聞いたんで……」
〈ほう。一般には知らせてないはずじゃがの……燃料が水素だってことで警戒するニンゲンもいるらしいからのう〉
実際には水素はガソリンなどよりはるかに安全だ。漏れても軽いからすぐに大気に拡散していく。
「その目玉部分が高圧水素タンクなんですよね」
〈ああ、球形ほど内圧に耐える構造はないからのう……〉
そんな話をしているうちに『SA-MU-RAI館』に到着した。
30分おきの予約入場を待っている客は ── ここは『O-TA-KU館』以上の比率で、ほとんどが外国人のようだ ── 当然ながら。
〈日本の文化が楽しめる、と海外向けのガイドブックで評判らしいからのう〉
こちらの心を読んだかのように『目玉』が言った。
ここももちろん、『STAFF ONLY』ドアから堂々と入る。
『SA-MU-RAI館』では、巨大建築物の中に江戸の城下も城内も再現されている。入場客はいくつかのコースを選び、職業を選んでコスチュームを借りるのみならず、職業自体も体験できる。城下の街では買い物も楽しめるしサービスも受けられる。
「コスチュームレンタルして街に参加するのは別にオプション料金が要るんですよね」
くああ、追加料金を払わずに、VRや離れた席から街や城内を見るという選択もあるがの〉
「『SA-MU-RAI館』だから、客の多くは武士になりたがるのでしょうね?」
〈いいや〉『目玉』は首を ── いや、目玉を横に振った。
〈事前にネット情報を得ているのじゃろう、武士を選ぶのは男連れの、それも少数派じゃのう。チャンバラのようなことは江戸の街ではほとんどない、城に上がっても堅苦しいしきたりばかり、とみんなよく知っておる。カップルや家族連れは商人や職人、その一家、町娘や茶屋女のような町衆になりたがるのう〉
「……なるほど。それにしても、関西で開催するのに、どうして江戸の街なんですかねえ」
〈そこなんじゃ。ほれ、会場建設費用不足が明らかになったじゃろう? あの時、国庫からの追加援助と引き換えにこの条件を吞まされたんじゃ。『Edo』というのは街の名でもあり、時代の名でもある、世界中に知れ渡っているから観客動員も見込める ── というのが建前じゃ〉
「── 本音は?」
〈結局、この国は中央集権、東京一極集中を是認しておるんじゃろうなあ。東京さえ国際都市として発展すればそれでいいのよ。その結果、ブラックホールのようにニンゲンを呑み込み、災害にもテロに対しても脆弱で、組織犯罪やその予備軍、それに海外スパイが跋扈する危険な都市になっておる。困ったもんじゃ。 ── ま、いずれ、何とかするさ〉
(……いずれ、何とか……?)
妙な言い回しだった。
私は何に扮するか ── 既に決めていた。『同心』の下で街の治安を預かる『岡っ引き』だ。といっても、この呼び名は蔑称で、正式には関八州では『目明し』、江戸では『御用聞き』などと呼ばれていたらしい。十手を使えるのは同心までで、御用聞きなどが持つのは非合法だったようだが、ここ『Edo-City』ではコスチュームとセットになっていた。
くおう、トミー、なかなか似合うのう!〉
股引きに小袖を着流してロッカーから現れると、『目玉』は ── もしこれが既に目玉そのものの彼でなければ眼を見開いたところだったろう ── 感嘆した声を上げた。
『Edo-City』の再現は本格的だった。
動画生成AIの活用で出演依頼が激減したという大部屋俳優陣を使っているらしい主催者側の江戸人と、私のような参加観客とは、挙動からはっきり区別できた。後者は写真を撮りまくっているだろうから当たり前だって ── いやいや。
『江戸時代には存在していない』── という至極当然の理由で、スマホやカメラなど携帯機器の『Edo-City』への持ち出しは禁止され、全てロッカーに置いていかなければならなかった。その代わり、客は街のあちこちに潜ませてある撮像装置によって知らぬ間にスナップ画像や動画が撮られ、それらのファイルが収められたメモリーは、退館の際、各人に無償で渡される仕組みになっていた。
ただし、『目玉』ユーザーだけはこの街でもヘッドセットの装着が許されており、他のゲスト江戸人の目からは違和感を持たれたことだろう。いや、同行する、目玉のみの頭部を持つ5歳児大ロボットの方がはるかに奇異な存在に違いなかった。
十手を持ち、裾をからげて広小路を歩く私の横を、荷車を曳かせた馬が通過した。荷車には米俵が積んである ── ように見えてどうやら、実際は小売商で販売する観光客用の土産物を運搬しているらしかった。
荷を曳く馬が立ち止まったかと思うと体を震わせて大きな糞を3つばかり道に落とし、再び歩き始めた。
すると、どこからか下帯に半纏の軽装で男が現れ、素早くちりとりのようなものに馬糞を集めた。
「あれは? 会場の清掃業者もあんな格好しているんですね?」
〈いや、違う〉
『目玉』は首を ── いや、目玉を横に振った。
〈あれは実際にあった職業じゃよ。人間の糞尿と同じく、馬糞も集められて、乾燥して燃料として売られたり、農家の肥料になったんじゃ。江戸というのは多くの物がリサイクルされておった ── 究極の循環型社会だったんじゃよ〉
「ええ? ……ってことは、ここのトイレも?」
〈ああ、無論、汲み取り式じゃ〉
「汲み取りって! ……江戸時代はエコ社会だったって聞いたことはあるけど……まさか、万博会場でもそれを実践しているなんて!」
〈『SA-MU-RAI館』の本来の目的はそれじゃ。現代人に真の循環型社会を実践させることなんじゃよ。やるならここまでやらんかい!と言っとるわけじゃ〉
そして、私を見つめ、ゆっくり説くように継いだ。
〈『Edo-City』は『Eco-City』、未来の手本は、過去の中にもあるんじゃよ〉
大路を歩いていると、『小間物』と書かれた看板を掲げた商家があり、女性客で賑わっていた。
〈あの店では、櫛や簪、白粉などを売っておる〉
「いいねえ、何かウチの奥さんにも買って帰ろうかな。あ、でも、スマホは置いてきたからなあ……カードで買えるかな?」
〈ここの通貨 ── 金貨、銀貨、銭貨に両替する必要がある。ではまず、両替商に行くとするか〉
広小路を進むと、さらに多くの客でごった返す大きな商家があった。
〈ここが『Edo-City』の両替屋じゃ。どこの国の通貨であろうと、カード決済であろうと、『Edo-Money』に替えてくれるぞ〉
行列の末尾に並ぼうとしたら、
〈トミー、お主はこちらじゃ〉
ここでも特別扱いだった。
現地通貨に替えるために並ぶ客 ── 武士と奥方のカップルもいれば、町人姿もいる。なぜか花魁姿で高いぽっくり下駄を歩きにくそうに前に出す外国人女性も混じっている。
その時である。
『目玉』の『眼』が一点を凝視したように見えた。その先には、列の一番前、クレジットカードを手に、金色に輝く小判を掴もうとしているアジア系らしき町娘姿の客がいた。
彼女が小判を3枚と一分銀を幾つか巾着袋に入れて立ち去ろうとした時、どこからか同心姿の侍が現れた。
〈さ、トミー、お主も行かんか! 捕り物じゃよ!〉
わけがわからないまま、『目玉』に促されて前に出た。
「ちょいとすまねえな、おめえさん、そのカードをもう一度見せてくんな」
縞の着流しに黒の紋付羽織 ── その裾を帯の中に巻き上げて挟み、刀は水平にカンヌキ差し ── 間違いなく、町奉行所の同心が日本語で言うと、どこからか翻訳された外国語が流れ、件の女性客は顔を顰めた。
私も十手を振りかざし、事情がわからないまま叫んだ。
「御用だ! 神妙にしろい!」
町娘は店の外に駆けだそうとしたが、同心が道をふさぎ、手際よくその手に縄をかけた。
突然の捕り物にどよめく店内には、数か国語で音声が流れた。
「お騒がせして申し訳ありません。偽造クレジットカードが使われた疑いがあり、町奉行所が下手人を捕獲いたしました」
「あれ……やらせ、……じゃないよね」
町娘が ── おそらくは番所?に ── 引っ立てられた後で尋ねたが、
〈さあなあ……〉
『目玉』はとぼけたままだった。
「でも、おやじさんがあの客を睨んだ後で役人が現れたみたいだけど……クレジットカードが偽物だって、こんな離れたところから見てわかったの?」
〈さ、両替をして、小間物屋に参ろうではないか〉
なおも尋ねようとすると、『目玉』は私を睨んだ。
〈そんなこと、ニンゲンは知らん方がいいんじゃよ〉
さらに、
〈悪いことは言わん、いろいろ知りすぎると、ろくな目に合わんのじゃ〉
そう付け加えると先に立って両替屋を出た。
── ニンゲンは?
『目玉』プロジェクトは確かにBSCで我々のチームが企画したはずだ。ニンゲンたちが造ったのが『目玉』だった。
知らないところで何か本質的な改変が行われている気配を感じたのはこの時だ。
万博予算が膨らんだのは、建設関連だけが原因ではない。警備費も増大の一途だった。
(『目玉』にコンパニオン役だけではなく、同時に警備の支援も担わせる、というアイディアは確かにオレの提案だ)
けれど、両替屋で見た捕り物は、想定をはるかに超えていた。
『Edo-City』で2時間ほどを過ごした後、私たちは『SA-MU-RAI館』を後にした。
この日は他に、外国館をいくつか回った。
どのパビリオンでも、5歳児大の『目玉』は注目の的で、他の観光客から頻繁に写真撮影させて欲しいとの依頼を受け、その都度彼は目玉の両側にピースサインを掲げた。
他の観光客が ── その多くは海外からの客だったので、外国語で意思伝達しているのだろう ── まったく同じ子供サイズの『目玉』を連れて歩いているのも見かけた。
すれ違う時、小さなコンパニオンたちが何らかの交信をしている気配が感じられた。いや、バス運転手のように手を挙げるわけではない、ただ、気配を感じたのだ。
〈さて、トミー、まもなく閉館の時間じゃのう〉
「はい、今日はどうもありがとうございました」
腰をかがめて『目玉』に頭を下げると、ギョロリ、こちらを見上げた。
〈お主、そろそろその付け髭とカツラを外したらどうじゃ〉
「え、……わかってたんですか?」
〈当り前じゃ。赤外線のエネルギー値で一目瞭然じゃよ。皮膚から生えている人毛とは温度分布が異なるでのう……〉
私たちは朝『目玉』をレンタルしたサイトまで戻った。
「オヤジさんのおかげで、今日一日、楽しく過ごせました。名残惜しいなあ」
〈そうか? ま、そのうちどこかでまた、会うことになるじゃろう。トミー、元気で過ごせよ〉
『目玉』はそう言い残すと、今朝と同じ、茶碗の中に、
〈よっこらしょ〉
と入っていった。茶碗風呂に腰を下ろすと、朝自分で外した水素充填ソケットを今度は首の後ろに差し入れ、茶碗の縁に腕をもたれさせた。
もう一度、彼に頭を下げ、帰路に就いた。
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自宅に帰ると、『Edo-City』で買った簪を妻に、『O-TA-KU館』でダウンロードした、ユーザーが自在にデザインできるゲームアプリを息子に、万博土産として渡した。
『目玉』と過ごした1日を語ると、
「僕も行きたかったなあ」
早くも土産のゲームで遊びながらも羨まし気に言う息子に、
「あ、そういえば、『そのうちどこかでまた会う』って言ってたよ」
そう付け加えたが、『目玉』の話題はもう、それきりになった。
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【3/4につづく】