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「火薬類取締法違反だ」と言われた街の交番(高校時代への小さな旅 【2/4】)
野蛮だった時代から美しく変貌を遂げた徳川園をあとにしました。
徳川園・徳川美術館・蓬左文庫を囲む長い長い塀を左に見ながら東に進み、出来町通に出る。
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お! ……これは確か……。
東警察署の旭丘交番です:
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懐かしい!
この交番には高校時代、お世話になりました。
といっても、手錠を架けられしょっぴかれた、というような武勇伝ではありません。
たぶん、1年の時だったと思いますが、悪友とふたり、文化祭で何かやろうぜ、話しているうちに、
・ペンシル型ロケットを校庭から打ち上げよう!
ということになりました。
文化祭の出し物は生徒自治会の許可が必要ですが、面倒なのでモグリで打ち上げてみんなを驚かせよう、という作戦でした。
可燃材の炭粉と酸化剤の硝酸カリウムを混ぜて着火すればいけそうだ、と簡単な設計図を書いて化学の先生に相談に行きました。
「先生、……というわけで、硝酸カリを手に入れたいのですが」
化学実験室にオフィスを持つ教師、この人は昨年亡くなった六代目三遊亭圓窓に顔が似ているというただそれだけで、生徒たちから『圓窓』と呼ばれていたが、
「うーん、ちょっと待てよ。その前に1度警察に聞いてみた方がいいぞ。問題なければその先に進めばいい」
今から思えば、きわめて適切な対応でした。
そこで、悪友とふたり、この旭丘交番まで歩いて行き、中にいたお巡りさんに尋ねてみたのです。
今から思えば(ということばかりですが)当然のことに、
「それは、たぶん、火薬類取締法違反だな」
と言下にお巡りさん。
「もっと正確に調べて欲しければ、本署に問い合わせるが……」
と電話をかけようとするのを、
「あ、……い、いいです、わかりました」
とすごすごと引き換えし、計画は頓挫しました。
まあ、かなりいいかげんな計画だったので、実行していたら指の1本か2本、無くしていたかもしれません。
出来町通に沿って中央線を渡ります。
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名古屋市東区の辺りは、江戸期初期の名古屋城築城に伴って清洲から町ごと引っ越しを行った、いわゆる『清洲越し』の際に、清洲にあった寺をそっくり移したため、寺が多い。
けれど、やはり1945年の名古屋大空襲により、ほとんどの寺院が焼失し、移転したものも結構あるという。
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尾張徳川家六代継友公の実母泉光院殿が実父の菩提のため1728年に創建
東西を走る出来町通が、ナゴヤドーム方向から南下する環状線と交差するのが「古出来町交差点」。
高校時代、この交差点の4つの角のうち3つまでがパチンコ店で、学校からは近いが、先生と出くわすので入らない方がいいぞ、と部活の先輩から言われたものだった。
パチスロは大規模店として郊外に移り、ここには今や1軒もありません。
2年の時だったか、現代国語の時間、生徒全員に俳句を作らせ、発表後に人気投票をしたことがありましたが、その第一位が、
古出来町 四方を囲む パチンコ屋
「パチンコ」は冬の季語だとどこかにあったが、本当だろうか?
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