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こま犬物語(創作民話)

 今から七百年ほど前、尾張の国の木曽川にそった小さな村に、次郎吉という名の25、6の若者が住んでおりました。
 次郎吉の家はたいへん貧乏でした。次郎吉はずるい庄屋にだまされ、みんなからばか者あつかいにされてもいっこうかまわず、いつもまじめに働いていていました。
 次郎吉の両親は早くなくなり、たった一人の身内である弟の三郎は、いつも遊び歩いて、次郎吉のもうけた金をだまって持ち出しては使ってばかりいました。こんなわけで、次郎吉の家は働いても働いても貧乏でした。

 きょうもまた、三郎は次郎吉の金を持って家を飛び出してしまいました。それを知った次郎吉は急に悲しくなり、村はずれの小さな神社へ行って、神様にお願いしました。
「神様、私は人間をしているのが、もういやになりました。神様どうぞ私を犬にしてください」
 でも、神様からは、何の返事もありません。
「神様まで私をおきらいになったのだ。人間以外のものになれないのなら、ひと思いに木曽川に身を投げて死んでしまおう」
 次郎吉は、ふらふらと木曽川に向かって歩いていきました。途中、小さな石につまづいてころびました。立とうと思いましたが立てません。びっくりした次郎吉は、ころんだまま、はって川のほとりに行きました。そして、川の中をのぞきこんでびっくりしました。
 川の水面に写った次郎吉の顔は、人間のものではありません。耳はびんと立ち、 ロは裂けてひげがはえ、鼻は黒くなっています。おどろいた次郎吉は、急いで手を見ると、茶色で毛がいっばいはえ、指は短かく、つめがするどく光っています。犬のつめです。ころんでから立てなくなったはずです。神様が次郎吉のねがいをかなえられたのです。

 あまりのことに、次郎吉は、しばらくぼうぜんとしていましたが、急に三郎のことが気にかかり、家に行きました。家は戸がしまっていました。そこで犬になった次郎吉は、家の外に積んであったまきの山にかけのぼり、まどから土問におりました。三郎はまた酒を飲み、よっぱらって寝ているのが見えました。犬の次郎吉は、隣のへやからふとんをひっぱり出してきて、三郎のからだにかけてやりました。そして自分は土間で寝ました。

 翌朝、犬の次郎吉は、窓から差しこむ太陽の光で目をさましました。 三郎がまだ寝ていたので、村はずれの神社に行って神様にお礼を言い、もどってくると、三郎が起きて顔を洗っていました。犬の次郎吉が土間に入っていくと、三郎が、
「ゆうべはうるさい兄きがいなくてせいせいしたぜ」
 とひとりごとを言っていたので、犬の次郎吉は腹を立て、
「ウー、ワンワン」
 とほえました。それに気づいた三郎は、
「おっ、よしよし、迷いこんできたんだな」
 と、犬の次郎吉の頭をなでました。次郎吉は、
「こんな三郎にも、いいところはあるんだな」
  と、心の中で思いました。

 こうして2,3日、次郎吉は、犬として三郎と暮らしました。その間、三郎はあい変わらず遊んでばかりいましたが、犬の次郎吉はいつもかわいがられ、三郎をだんだん見直すようになってきました。
 しかし、5日めの夜、次郎吉は、寝ていると、急にからだが軽くなるのを感じました。ふしぎに思った次郎吉は、目をさまして見ると、自分の犬のからだがありません。びっくりして土間を見ると、犬、い や自分の死体があります。そして、三郎が家の中て、肉を煮ています。そうです。犬の次郎吉は寝ている間に三郎に殺され、肉を取られたのです。三郎には、もう、食べ物を買うお金も、替える品物もないのでした。
 次郎吉は、もう、怒る気さえありません。そのままあの世へ行き、 天国でもまじめに暮らしていました。

 ある時、次郎吉は、神様から呼び出しをうけ、神様の前に行き、ひざまずきました。すると神様は、おごそかな声で、
「次郎吉、そちはむかしからまじめだと思っていたが、このほど、そちを神の位につける。それ!」
 かけ声と同時に、次郎吉のからだには、急に力がわいてきました。
 そして、次郎吉は神様の命をうけて、尾張の国を見に、雲に乗って旅に出ました。尾張といえば、弟の三郎がいるところです。次郎吉はようすを見にいきました。
 ちょうどその時、三郎は庄屋の家にどろぼうにはいるところでした。それを見た次郎吉は、とても腹がたって、三郎を、
「えいっ!」
 とばかり、かけ声もろとも石の犬にしてしまいました。しかし、そのあとで次郎吉は、
「いくら悪いことをしたとはいえ 、自分の弟ではないか。私はその弟を石の犬にしてし まった。私には人間の心がなくなってしまった。悲しいことだ。私も石になって罪をつぐなおう」
 こう言って自分も石の犬になりました。

 その2匹の犬は今も残っているのです。どこからどう聞いたのか村人たちが、次郎吉をたいへんあわれに思い、三郎の石の犬といっしょに、村はずれの神社の守り役として、神社の入口に置いたのです。やがて、その話を伝え聞いた、よその村の人々が、自分の村の神社の前にも置いたので、今ではどこの神社でも見られるようになりました。

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