憑依2.5(短編小説;11,000文字)
致死性感染症パンデミックの中、個体隔離が進み、《接触》概念の変化が人間関係を変え、社会をも変質させる……。
その夜、私はマユミと並んでソファに坐り、ニュース番組を見ていた。
『── 致死性接触感染ウィルス《デスタッチ》の、先月の新規感染者数は、個体隔離の徹底が成果を上げ、最も多かった昨年4月に比べ5%まで減少しました。しかし政府は、感染者数が目標値以下になるまで個体隔離政策を続ける、と声明を出しました』
「まだまだ続きそうね、サトル」
マユミは頭を私の肩にもたれさせ、少しけだるそうに言った。
「そうだね。一緒に暮らすのは、もう少し先になりそうだな」
私は彼女の、結婚当初に比べて明らかに肉付きのよくなった肩を抱きよせた。
(自粛生活による運動不足のせいだろう)
皮膚に常在する溶菌性ファージが変異し、猛威をふるい始めたのは、一昨年冬のことだ。最初の感染者発見から2か月で、陽性者は1万人を超えた。
皮膚と皮膚の接触のみで感染する、このたちの悪いウィルスは、表皮細胞から血管に入り込み、わずか数日で全身の動脈に狭窄や閉塞を引き起こす。
感染後10日の間に患者の半数が心筋梗塞や脳梗塞に陥るため、当時多くの重症患者が各地の病院に担ぎ込まれ、救急医療は崩壊の危機に瀕した。
政府の対応は珍しく迅速だった。
最初の2か月が過ぎる前に、乳児と母親を除いて人と人の皮膚接触を一切禁止する、罰則付きの時限立法《個体接触禁止法》が成立した。
不慮の接触も処罰の対象となるため、社会の維持に必要なキーワーカーを例外として、外出自粛はもちろんのこと、家族間の直接接触も避けなければならなかった。
「厳格な個体接触禁止は3か月で解かれたけど、結局あれから2年近く、隔離政策下で在宅勤務が続いている。会社での実験も、遠隔操作で行ってきた。食材や生活必需品はデリバリーボックスへの配送だし、本当の意味では、ほとんど誰とも会っていない」
「誰がウィルス持っているか、わからないものね。ほら、半年ぐらい前、陽性判定された人が隔離病棟から抜け出して、街を歩く人にかたっぱしから抱きつく事件があったじゃない」
「ああ。《接触監視警察》に射殺されるまでに、36人が被害に遭った。そのほとんどがデスタッチに感染した。── ひどい事件だった」
「でもアタシ、それまで結婚願望なんて全然無かったけど、デスタッチ隔離で人と会わない生活が続いてるうちに、誰かと暮らしたい、触れ合っていたい、って心の底から思うようになったの」
「僕も同じさ。それに」
私はマユミの肩を抱く手に力を入れた。
「── 個体隔離が続くうちに、人肌が一層恋しくなるのは全人類共通のはずだ、と考えた。それで、研究中だった《Whatever》の完成を急いだんだ」
私は、バイオテック・ショート・サーキット(BSC)社で、Human-Machine-Interfaceの研究開発を行ってきた。
デスタッチ禍が始まった頃に取り組んでいたのが、《圧迫する》《撫でる》《突く》などの刺激を検知する触覚センサに、《変形》機能も持たせた、生体模倣デバイスの開発だった。
わずかな変形量だけなら、これまでも電圧で変形する高分子や複合材料で実現できた。我々の開発目標は、圧力を検知しながら大きく外形を変えることができ、弾性率も制御可能な、粘性可変流体だった。
当初、BSC社では、開発品の応用先として、《器用な作業》を実現するヒト型ロボットの、手のひらや指先を想定していた。
しかし、デスタッチ禍で個体隔離生活が始まり、当時付き合っていた恋人とも会えなくなった。もちろん、ビデオ通信アプリで毎日語り合っていたが、《触れ合う》ことがままならない中、結局別れることになってしまった。
── そして、失意の中で悟った。
(この技術の真の応用先は、人間のからだを瞬時に、恋しい人の元に物理的に届けること、テレポートさせることだ!)
「アタシたちが結婚したのは《Whatever》の試作品ができた時だったわね」
「ああ、自ら試してみる、と会社に申請したんだ」
しかし、実際は、個体隔離中にマッチングアプリで知り合ったマユミとの結婚を決心したのは、試作品が完成したからだ。
《Whatever》が無かったら、ビデオ通話する以外、ずっと離れ離れの結婚生活を維持できるかどうか、まったく自信がなかった。
「ほんと、サトルの発明ってすごい。《Whatever》が市販されて、まだ3か月ぐらいかしら。《Withデスタッチ社会》で最大のヒット商品って言われてるものね」
マユミは私の頬に唇を寄せてきた。残念ながら、その唇に香りはない。
「ああ、確かに……」
私も唇で答えた。軽い、シングルリップキス ── 今のところ、これが限界だ。
「《Whatever》って名前付けたのもサトルなんでしょ?」
「ああ。どんなものにも姿を変えられる、何にでもなれる ── ということで名付けたんだ」
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