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『FIFAワールドカップ2002』日韓大会決勝戦チケットで、なぜかタイに行くことに(一部再掲)

先月Bangkokで入ったレストランの紹介記事にこんなことを書きました:

タイに初めて来たのは2002年日韓ワールドカップの年だったけれど(この経緯はけっこう感動的です)、現地ガイドはニューハーフ(という言い方も古くなりました)のお姉さん(お兄さん?)でしたね……。

マジメなBangkokのレストラン『Cabbages & Condoms』|谷 俊彦 (note.com)

そうしたら、その『感動的な経緯』を知りたい、というコメントが100件以上寄せられました(ウソです)。
別アカウントで、私の『くじ運の強さ』を証明する例として書いたことがありますが、1度きちんと整理しておくのもいいか、と思いました。

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FIFAワールドカップサッカー大会は2002年、日韓共同という形でアジア初の開催となりました。
この年の1月1日、研究領域を同じくする他社の先輩知人から年賀メールを受け取りました。
この人は当時既に50歳前後でしたが、草サッカーチームに所属し、年間数十試合を行う現役選手で、80歳までプレイする、と公言していました。

型通りの年賀挨拶の後に以下のような文面が書かれていました:

私は20代の時、会社サッカー部の先輩に誘われて1978年アルゼンチン大会を現地で観て以来、これまでに6回連続でワールドカップ決勝を観戦してきました。4年に1度行われている決勝戦をスタジアムで見るために4年間必死で働いてきたと言っても過言ではありません。

けれど、日本の、しかも私が住む横浜で決勝戦が行われる今回のチケットに限り、未だに入手できていません。入手できる目処めども全くたっていません。

そこでこのメールを受け取った皆様にお願いがあります。
富士通が主催する観戦チケット抽選クイズのウェブサイトで、決勝戦のペアチケットにエントリーしていただきたいのです。

そして、見事当選したあかつきには、ペアチケットの片方に私の名前を書いていただきたい。そのようにしていただければ、お礼にハワイ往復チケットを差し上げます。

2002年元旦に受け取った依頼メールのほぼ内容

宛先に私の個人名はなく、メーリングリストでかなり多くの知人に送付していることは明らかでした。
案内されたウェブサイトに行くと、日韓大会に関わる、けれど誰にでもわかる簡単なクイズがあり、希望する試合のチケットを指定するようになっていました。
確実に日本が出場し、既に相手国も決まっているグループリーグの試合には人気が集まることが予想されましたが、もちろん決勝戦は相当高い倍率となるに違いありません。
PC上でクイズに答え、決勝戦チケットを選び、そのページを閉じました。
── そして、日常の忙しさの中に忘れ去りました。

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3月か4月だったか、私は唐突に、
《決勝戦ペアチケット当選!》
を知らせる郵便を富士通から受け取りました。
ネットで調べると、決勝戦チケットの当選確率は500分の1以下でした。1番倍率の高かったのはグループリーグの日本対ロシアで、700倍ぐらいでした。

「お父さん、すごいじゃん! ……でも」
高校生だった長女が言いました。
「その人にわざわざ連絡する必要なんてないんじゃない? だって、その人はお父さんが申し込んだこと自体も知らないし、当たるなんて思ってないだろうし、その人にチケットあげる義理なんてないじゃん。家族で行こうよ」

もっともな意見ですが、私に迷いはありませんでした。
「それは違う。オレはその年賀メールが来なければ、そもそもそんな抽選企画があるなんて知らなかった。そのメールが来なければ申し込むこともなかったし、申し込まなければ当選することもなかった。
つまり、彼の《依頼》とお父さんの《決勝戦チケット当選》の間には、明確な《因果関係》がある
人生において、こういう『明確な《因果関係》』がある場合は、その関係性を大切にしなくてはいけない
「……ふうん。ま、いいけどさ」
彼女が自身サッカーでもやっていれば、あるいはもう少し食い下がったかもしれないし、私も迷ったかもしれなかった。

彼に連絡し、1枚を譲ることにしました。しかし、事情を聞くと、毎回ワールドカップを見に行く親しい友人もチケットを入手できていないという。J リーグでもスタジアムに足を運んだことのない私に比べ、その人が観戦する方が価値が高い、と思えました。
結局、チケットは2枚とも進呈し、その謝礼としてハワイではなく、タイ旅行2人分(4泊か5泊)をいただきました。
決勝戦のチケットは希少価値から何倍もの高値で取引されており、かなり安価に譲ったことになります。

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ワールドカップ終了後の初秋に休みを取り、同居人とふたりでタイに出かけました。自由時間の多い緩いパックツアーで、客は我々と若い女性ふたりの4人のみ、ミニバンに運転手とニューハーフのガイド、という一行でした。
自由時間にはチュラロンコン大学教授に就任していた元上司を訪ねたり、ニューハーフショーを観たり、タイシルクの老舗『ジム・トンプソン』本店でネクタイを買ったりしました。

タイ旅行で一番印象に残っているのは、チュラ大校舎を先生と歩いていると、すれ違う学生が皆、立ち止まり合掌、という独特の挨拶をすることでした。
特に女子学生は、合掌も上半身も、わずかに(5-10°ぐらいかな)傾けるのです……これがなんとも……。

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その年の暮れ近く、ある研究会でその人と顔を合わせ、休憩時間に雑談しました。
「今年、ウチの会社では大規模なリストラがありましてね。周りの人が退職したり、関連会社に移ったり、ボーナスなども、かなり厳しい年でした。でも」
彼は深々と頭を下げて続けた。
「谷さんのおかげで、とてもいい年になりました。感謝してもしきれません」
その人はアマチュアサッカーの世界ではけっこう有名で、彼の7回連続決勝観戦は、故郷の新聞に大きく取り上げられていました。記事のコピーをいただきましたが、そこにも『谷さんのおかげ』のフレーズがありました。
「……いや、正月にあんなメールを出しましたが、正直、期待してはいませんでした。だって、あのメールを読んだ人の中で何人がわざわざサイトに行ってその通りに申し込んでくれるかわからない。そして、申し込んでくれても当選確率は非常に低い。それに、万が一当選しても、私に連絡してくれるわけがない。
でもね、アルゼンチン大会以来、6大会連続で現地に行って決勝見てるのに、7回目が横浜であるっていうのに……と思うと、諦めきれずに、藁にも縋る気持ちでメールを出したんです。
もしあの決勝チケットがなかったら……本当に最悪の年でした」

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彼はその後も決勝観戦を続け、次の2006年ドイツ大会の後、『8回連続で決勝観戦したサッカーファン』としてNHKの特集番組にも出演しました。
私のアシストパスが無ければ、『6回』でストップしたかもしれない危機だったわけです。
2010年の南アフリカ大会決勝を観戦したところまでは知っていますが、その後はどうなったのか……?

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