この地の人びとの、鯱(しゃちほこ)への《偏愛》を語る
定期検診のため、久しぶりに地下鉄に乗りました。
彼 or 彼女のポスターにも久しぶりに会った。
そう、名古屋市交通局のゆるキャラ、《ハッチー》です。
名前の由来は間違いなく、名古屋の「市章」である「丸八」マークから来ている。
そして、このマークの由来は、
➀ 尾張藩の略章として、小使提灯、小者用の紋所、小荷駄などに使用されていた《丸八印》。
➁ 「末広がり」でめでたい!
私は一市民として長らく、この単純かつ「ダサい」デザインを恥ずかしく思っていたが、不思議なことに近頃は愛着をおぼえている。
むしろ、極限まで「虚飾」を削ぎ落とした、
《Best Simple》
では?……とまで。
プロサッカーチーム「名古屋グランパスエイト」の『エイト』もこの「丸八」由来であーる。
いや、今回は「丸八」は脇役、主役はハッチ―の頭部、魚人の「魚」部分である。
これは当然、誰がどう見ても、
《金シャチ》です!
この街・名古屋の住人による「鯱」への《偏愛》はかなり激しく、他所者の想像をはるかに超える。
私は名古屋市立の小学校から中学、そして市内の県立高校を卒業したが、小学校と高校の校章には鯱がデザインされていた。
数年前にその小学校のグラウンドで創立ウン周年を記念した学童による人文字作成&航空写真写真撮影が行われたそうですが、人文字のデザインは、ウン周年の数字と向かい合った2頭の鯱の絵、ただそれだけでした。
卒業した高校は、校章が2頭の鯱であるばかりか、このマークが、例えば野球部のユニフォームにもデザインされており、いまや「ダサさを通り越した斬新さ」で、夏の県大会のたびに(勝てば…)注目される。
(旧制中学時代も基本的に同じデザインで、1度だけ夏の大会で全国優勝している!)
そればかりか、体育館の名称は「鯱光館」!
こいつらみんな、どこまで鯱が好きなんだ!という話です。
ここまで来たら、高校卒業後は金城学園大学、に進むべきところですが、当時は「金城女学園」だったのでそうはいかない。
ただし、金城学園の校章デザインは十字架で、そこに鯱はいません。
でも、名城大学の校章にはちゃんと鎮座しています。
ちなみに、1936年から1940年までの間、この地には
《名古屋金鯱軍》
というプロ野球団があり、1936年2月9日に(当時は)名古屋郊外の鳴海球場で行われた、
名古屋金鯱軍 対 東京巨人軍
が日本初のプロ野球球団間の試合であり、既に巨人軍の大エースだった沢村栄治をノックアウトした金鯱軍が10-3で勝利しました。
つまり、
日本のプロ野球史上初勝利は、《金シャチ》がもぎ取った
という次第です!
「鯱もなか」や「金しゃちパイ」のような土産物には驚きませんが、海老の天ぷらやエビフライを鯱に見立てたメニューには脱帽です。
こんな《お座敷芸》もあるようです。
トライしてみたいけれど、かなりの訓練が要りそうですな。
さらに、東京の「はとバス」に相当する観光バスは、当然「鯱バス」。
名古屋市が発行するプレミアム付き商品券の電子マネーはもちろん、「金シャチマネー」!
それにしても、なぜこの地では、ここまで「金シャチ」がスーパースターなのだろうか?
名古屋城の天守閣に金の鯱が備え付けられたのは1612年、尾張徳川家の権威を誇示するためだったようです。
東海道を行く旅人も、
「天下様でもかなわぬものは 金の鯱ほこ 雨ざらし」
と、金鯱を雨ざらしにする尾張藩の豪気を称えたそうです。
この後は私の個人的な感想ですが:
信長・秀吉を輩出した尾張の民は、徳川御三家といえども、「郷土のヒーロー」の後釜を占めた三河人・家康の間接的支配に対して、けっこう複雑な心境だったのではないでしょうか。
上記の「天下様でも…」というあたりに、
《三河の田舎モンが大挙して移り住んだ江戸には、負けとれせんがね!》
というような心意気ではないでしょうか。
(いや、……私が田舎モンと思っているわけではなく……)
まあしかし、何であれ、ひとつの象徴への過度な依存は危険でもあります(ほぼ独裁の某国を見ても瞭然ですね)。
名古屋港水族館は第2期開館の目玉として、シャチ(Killer whale)の導入にこだわり、無理をしたのに間に合わなかったり大金を費やしたりと、いろいろ物議を醸しました。
「金シャチ」信仰がなければ、あれほど無理をすることもなかったのではないでしょうか。
そもそも、これ(Killer whale)は:
天守閣に載ってる鯱じゃないし……。