「誰でも起業/子供もビジネス」時代に
「すぐそこにある」シリーズでは、いよいよユウタくんが児童会長に就任し、『自ら稼ぐ児童会』を標榜しました。
腰を抜かす教頭先生を尻目に、各委員会が競争して広告代理業などビジネスに乗り出すようです。
本作について、夏木凛さんからご心配をいただきました:
うーむ。確かに、このオハナシを読んだ良いコたち(読まないか?)が、あるいは児童会ぐるみで真似をして、法に触れることがあっては大変です。調べてみましょう。
映画などの「子役」はOK、など例外もありますが、それはともかく、
即ち、例えば近頃耳にする成功譚、
・小学生YouTuber
・小学生起業家
なんてのは、誰かに使用され賃金を支払われているわけではないのでOK、というわけです。
じゃ、ユウタくんたち児童会はどうか、といえば、
「廃品回収を手伝って収益を学校に収めるシステム」
と同等、で読み取れば、問題なさそうです。
実際、「子供YouTuber」や「子供起業家」のニュースって、今や《美談》、とまではいかなくても、《賞賛》を持って語られますね。
時代は変わりました。
我田引水になって恐縮ですが、私は今から35年以上前に、ユウタくんのような子供が登場する小説を書いています。
主人公のひとり娘・木村照美さん(小学校3年)は、どの子も塾通いで忙しく、なり手がなかった子供会の会長を引き受ける代わりに、世話役の大人に改革案を認めさせました。
改革案の骨子は、『子供会の催しによって上がった収益金は一切寄付せず、子供たちで分配する』でした。
この「秀吉の刀狩をも連想させる徹底的な回収」というフレーズ、とても気に入っています。
どこにも『癒着』があります。ローカルになればなるほど。
それを排除しなくてはなりません。たとえ自分の親類やしがらみがある業者であろうとも。
構造的にそれができないのが、『世襲議員』です。
映画では、木村照美役を岩崎ひろみさん、ライバルのローカル廃品回収業者を竹中直人さんが好演していました。
しかし、この小説はマジメな人たちには顰蹙でしたね。
最たる者が私の父で、彼はこの本を何度読み始めても、老人や児童を使うビジネスに怒り心頭!で、最後まで読むことはなかったそうです。
さて、この小説を書いて3年ほど経った後、米国に3年余り住む機会がありました:
そこで印象的だったのは、
《働く子供が多い!》
ということでした。
よく見かけるのは、夏に道端で冷たいレモネードなどを売る小学生です。親が《ガレージ・セール》で不用品を売っている傍らにはよくいたし、中学や高校のフットボール試合、あるいはガソリンスタンドにも出没していました。
小学校高学年になると、《ガレージ・セール》の店番もするし、《子守り(Baby Sitter)》が大きな収入源になります。
中高生になれば、新聞配達やプールの監視、マックの店員など、なんでもアリ、になってきます。
ガソリンスタンドの手洗い洗車で学園祭の資金稼ぎ(Fund Raising)をする中高生グループもいました。
大学を中退してデジタル世界で起業し、大成功したビル・ゲイツやマーク・ザッカーバーグはよく知られていますが、アメリカ起業家を育てた「根っこ」は、こうした、「子供時代の身近なアナログビジネス体験」にあるんじゃないのかな、と思うのです。
やはり、自分のアタマやカラダを使ってお金を得る喜びを知る、という体験は重要なんじゃないかな?
最近、証券会社や投資会社が子供に投資教育をしている、なんて記事を目にしますが、いやいや、その前に、
《実際に手で触れることができる身の周りの世界で、カラダやアタマを使ってお金を得る》
経験をして欲しいな、と思うのであーる!