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北大恵迪寮でお花畑に誘われた(『七帝柔道記』を読んでいて思い出したこと;Ⅱ)

長編小説『七帝柔道記《ななていじゅうどうき》(増田俊也)』を読み始めたら、自分の学生時代の思い出とも重なり、なかなか進まない……。
今週初めには、少林寺拳法部の新歓合宿について書きましたが、他にもジジイのノスタルジーをかきたてる要素が詰まっています。

ちょうど先週出席した学会(@名古屋大学)で会社時代の後輩(♀)と学食で偶然一緒になり、かつて彼女が卒業した国立大学の学生寮に泊まった話からこの話題に触れたら、けっこうウケました。
そのタイミングで『七帝……』を読み始めたこともあり、北大柔道部を舞台にしたこの青春小説中、結構な頻度で出てくるふたつの固有名詞が懐かしかった:
・北大恵迪けいてき
・藤女子大

以下の思い出話は別アカウントに書いたこともあり、既に読まれた方には叱られるかもしれませんが、いくらか違う視点で再掲させていただきます:

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高校1年の頃から、リュックやバックパッカー(当時は背負子しょいこと呼んでいた)に寝袋を付け、登山や鉄道旅行に出ていました。
登山で宿泊する時はテント、鉄道旅行ではユースホステルに泊まるのが基本でした。
しかし、当時のユースホステルは宿泊客みんなで歌ったりゲームをするところもあり、そうした集団行動がやや面倒で、やがて駅の待合室や、時には公園のベンチに寝袋を広げて泊まるようになります。
そして、各地の大学寮が他所から来た学生を宿泊させてくれることを知ると、宿泊費(安ければ1泊100円、高くても300円)を払って臨泊りんぱくさせてもらうようになりました。
高校3年の冬に東京で模試を受けた際には、東大駒場寮にも泊めてもらいました。
この寮は私が経験した中では最も環境が劣悪で、真冬に布団も貸してくれず、凍死しそうになりました。新聞紙を集めて服の間に押し込み、かろうじて生き延びました。

大学に入っても旅に出ると、宿泊するのは、
・野宿
・ユースホステル
・国立大学の学生寮(男子寮)
の三択
でした。

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大学3年(4年目でしたが)の時、いつものようにアルミフレームのバックパッカーに小ぶりのザックと寝袋を結び付け、ひとりで北海道に出かけました。
積丹半島を歩いて回り疲れ果てたところで新婚旅行中のカップルをヒッチハイクでつかまえ、余市経由で札幌まで車に乗せてもらいました(ニッカウヰスキー蒸留所で私だけタダ酒飲んで後部座席で眠り込み、運転のため飲めない新郎がかなり不機嫌になった)。

札幌の第1夜は大通公園のベンチで眠りました。
2日目はさすがに屋根の下で寝たい、と北海道大学の恵迪けいてき寮に向かいました。
恵迪けいてき寮は、バンカラ気質かたぎで知られる男子寮で、特に真冬に2階の窓からの「雪上ジャンプ大会」は有名です。

いつものように事前の通告などはせず、寮の自治会室を訪ねて宿泊を頼んだのは、もう夕刻でした。

「残念だけど、この寮はね、臨泊りんぱくをさせないことになっているんだ」
責任者らしい学生が言いました。
ええっ、それじゃ今夜も野宿かよ、と廊下でいいから屋根の下で泊めさせて欲しい、と頼み込むと、
「うーん、帰省している学生でベッドが空いてる部屋があるかもしれない。じゃ、キミ、自己アピールしてみたら? ── たぶん、難しいと思うけど」
自治会役員は私を寮の放送室に連れて行きました。そして、マイクを前に、
「今夜、旅行中だという学生さんがひと晩泊めて欲しい、と頼んできました。今から彼が直接話すので、泊めてもいい、という部屋の代表者は放送室まで来てください」
と語り、ホラ、と促しました。
その時、私は数か月前に自費出版した小説集『花婆はなばば』を持っていました(新婚夫婦にもヒッチハイクのお礼に1部進呈した)。

『みなさん、こんにちは。北海道を旅している者です。今夜部屋に泊めていただけたら、最近自費出版したポルノ小説を1冊差し上げます』
話し終わってものの1分もしないうちに廊下をバタバタと走って来る音がありました。

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案内されたのは、── 予想通りの《バンカラ4人部屋》でした。
恵迪けいてき寮も今はさすがに立て替えており、このYouTube動画のように整然と(!)しているようです。

その夜、《遠方からの客》を迎えたその部屋は当然、近隣の部屋の住人も加え、酒盛りになりました。
「この部屋にはもうひとり、入学して7年目の先輩がいるんですけどね、今日は飲みに行っています」

その部屋の《ぬし》 ── 留年を重ね最長老となった《センパイ》が帰ってきたのは、日付が替わった頃でした。
無精ひげが伸び、頭髪も爆発しているその《センパイ》は、両手にひとつずつ、盆栽の《鉢》を抱えていました。
「センパイ、また持って来たんですかあ?」
「どこですか? 明日、返しにいかなきゃな……」
呑み屋から寮までの帰り道、酔った彼は各種コレクションを行ってくるようでした。
「この前は、《工事中》の標識を持って帰って来たんだよね……」
《センパイ》 ── いや《牢名主》を加えてまた、吞み直すことになりました。

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翌朝、礼を言って出かけようとすると、強く引き止められました。
「タニさん、実は今夜、藤女子大との合コンがあるんです
「え? 藤女子大って、中島みゆきの母校じゃん!
その頃、『わかれうた』が大ヒットしていました。
「もう1日延長して、合コンに参加しませんか? タニさんなら話が面白いし、きっとモテますよ!
「来てくださいよ! 藤女子大って、札幌ではお嬢様学校なんですよ! タニさんが来れば、盛り上がります!

── 私の脳裏には、一面の《お花畑》が広がりました。

行きたい!

こんな好機を逃していいのだろうか?

……人生でこれほど迷ったことはないかもしれない。
私はその日に札幌を発たないと(もちろん当時、青函トンネルも、東北新幹線も無かった)必修科目の《金属工学実験》に間に合わなかったのです。
(うーん。既に1年留年しているしなあ……)
工学部で、実験科目に対する出欠は実に厳しい。

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あの時、《実験》を(=進級を)諦めてお花畑に行っていたら、人生は大きく変わっていたかもしれない……。

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