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『8番らーめん』輪島店に想う

昨日2日夕刻、金沢にお住いのnoterさんにコメントの返事を書いているさなか、低い周波数で家が揺れ始めた。
テレビを点けると、能登地方で震度7の地震で、津波警報が出ていた。
しばらくすると、輪島の朝市通りで火災発生のニュースが流れて来た。

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── 輪島は過去、2度訪れました。
1度目は15歳で友人3人とのほぼ野宿旅をした時、金沢で駅ビルのミルクスタンドで店のお姉さんにインスタント・ラーメンを作ってもらい、その晩寺町で住職に一夜の宿を借りた後、それら暖かい記憶を胸に(当時の)国鉄七尾線で向かいました。

もう1度は母が亡くなった後、元気を失った父を連れて北陸ドライブ旅に出かけた時 ── 既に七尾線の穴水ー輪島間は廃線となっていました。

最初の旅です。
輪島駅に着いた少年4人組は、瞬時に町を歩ききった後、駅前に(たぶん)あったラーメン屋に入りました。『8番らーめん』の輪島店です。
当時、名古屋には存在しなかったバターラーメンや味噌バターラーメンが珍しく、2泊3日の輪島滞在の間、朝昼晩とこの店で腹を満たしました。
とにかく頻繁に顔を出すので店員のお兄さんたちとも顔見知りになり、他にあまり客がいなかったこともあり、高校の部活生活など、いろいろな話をした。
「名古屋の寿がきやラーメン? 聴いたことないなあ。ここいらではラーメンといえば『8番』だぞ」
店員は胸を張っていましたが、今沿革を調べてみると、創業して5年目のチェーン店でした。
記憶が正しければ、当時の輪島駅待合室は狭く、僕たちは公園にあった東屋あずまやのベンチに寝袋を広げて寝たように思う。
輪島の町はその頃相撲が盛んで、公園には土俵があり、朝起きると町の人が四股を踏んでいた。
15歳の『Stand by Me』旅で輪島といえば、朝市よりも何よりも、『土俵』と『8番らーめん』でした。

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能登で大きな地震があった翌2日、当地の店舗駐車場が大きく隆起してひび割れている映像がテレビに流れていました。店の看板は『8番らーめん』でした(後で内灘店だとわかった)。

「── 輪島店はどうなっただろう?」
ネットで調べてみたが、よくわからない。
ただ、地図で見ると、現在の輪島店は駅前から南に離れており、朝市通りとはかなり距離があるので、火災には遭っていないのだろう。

いずれにしても、15歳の記憶に残る輪島の街がたいへんなことになっている。
被災された方々の安全と健康を祈念します。
そして、微力ながら、過去に『縁』のあった輪島の町の救援と復興を応援したい ── と思います。

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