二丁目の《返品女王》(短編小説;2200文字)
「ほら、《女王様》よ」
長野さんが耳打ちした。
見れば、白いブラウスにふんわり藤色のカーディガン、ゆるやかにカールした黒髪ロングヘアの女性がこちらに歩いてくる。齢は40をいくつか過ぎたぐらい。手にはブランド物らしきグレイのバッグ。
「また、……でしょうね」
アタシはため息をついた。
「そりゃ、そうよ。それ以外ないわよ」
入り口でカートもバスケットも手にすることなく、《女王様》はこちら、サービスカウンターに直行する。いつものパターンだ。
コツ、コツ、コツ、……ハイヒールの音が近づいてくる。
アタシはここんとこ、「スーパー・らくだ」でサービスカウンターに詰めてることが多い。
もちろん、レジが忙しい時は応援に行くけど、《三丁目の熊》とひと悶着あって以来、あの髭面にできるだけ遭遇しないよう、中島チーフが配慮してくれてる。
「── お願いできるかしら」
いつもどおり、上の方から話してくる。まあ、顔立ちは整ってるけど、この感じはいただけない。
「はあい」
《女王様》は、バッグから、消臭剤を2つ取り出した。
「昨日買ったコレ、返品します」
(出た! でたでたでた!)
「えーと、何か問題ありましたか?」
「必要なくなったの、それだけ」
「はあ……」
またそれかよ、と思ったが、長野さんが後ろから肘でツンツンしてくる。もちろん、アタシもオトナだから、口には出さないわよ。
「レシートはございますか」
「はい、ここに」
「ああ、カード払いですね……。じゃ、同じクレジットカードもお願いします」
これが、実に面倒なのだ。昨日購入した他の商品と一緒に、一旦全て返却した後、消臭剤以外の商品を再購入した形にする。
「歩美ちゃん、……見た?」
「見た見た!」
《返品女王》が去った後、長野さんと少しだけ盛り上がった。
「カーディガンのボタン穴、糸、ついてたわよね!」
「ブラウスも、そんな気がした!」
噂だけど、《返品女王》は、気に入った服があるとクレジット払いで購入し、タグを付けたまま2, 3日着ては返品するんだそうだ。
だからアタシら、《女王様》のお出ましには、ボタン穴や後ろ姿の襟足を凝視する。
(面倒な返品作業をさせられるんだから、それくらい楽しみがなくっちゃ)
「洋品店に比べりゃ、スーパー・らくだの返品なんて、可愛いモンよ。食料品は基本、返品NGなんだから、サニタリー関連ぐらいでしょ」
《女王様》が持ってたブランドバッグも、中古屋で「お試し」購入した後、やっぱり合わない、と返品するらしい。
**********
「……中島さん、《二丁目の返品女王》、なんとかなんないっスか?」
休憩室で、つい、チーフに愚痴をこぼしてしまう。
「商品に問題があった時以外、返品お断り、っていうお店もあるみたいですよ」
「そうねえ」
中島チーフもため息をついた。
「でもほら、社長の方針なのよ。らくだは地域スーパーだから、地域のお客様のメンタルも含めて満足していただくのが使命なんだって」
(……やれやれ)
心の中で肩をすくめながらも、そんな社長がキライでもない、アタシだった。
「でも、《女王様》、それだかららくだにばかり来るんじゃないですか」
「そうなのよ」
中島さんは、何度目かのため息をついた。
「返品ルールが厳しいスーパーには、絶対行かないの」
**********
ある日、バイトが終わって帰る途中、《返品女王》を見かけた。
いつもの、なんだか古ぼけた感じのハイヒールで、けれど、大きな段ボール箱を抱えていた。
あんまり重そうだったから手伝ってあげたい気持ちもあったけど、なんだかタブーが横たわっている気配を感じたアタシは、ただ跡をつけることにした。
《女王様》が苦しそうに息つぎしながら入っていったのは、「クロアリ宅配便」の集配センターだった。
(ネット通販でも、やってんだ!)
たぶん、クーリングオフぎりぎりまで使ってから返品してるのに間違いなかった。
アタシは《女王様》が手続きを終えて集配センターから出てくるのを待ち、さらに跡をつけた。その足取りは、なんだか軽やかだった。
そして、《女王様》の姿は、二丁目の古びた洋館に消えた。
**********
「《返品女王》って、けっこう大きな家に住んでるんですね」
翌日の休憩室で尾行結果を話題にした。
「そうなのよ。もともとはお金持ちだったみたい。でも、お父さんが事業に失敗した後お亡くなりになって、今は、お母さんの年金だけで暮らしてるらしいの」
中島チーフが言った。
「じゃあ、どうして……」
「たぶん、昔みたいに買い物はしたいのよ。でも、それによってお金が減るのは困るのよ」
これは、長野さんの意見だ。
「……ふうん」
なんだか複雑だった。アタシだって、いつか、そうなるかもしれない。
「《女王様》って、独身なんですか?」
アタシは前から気になっていたことを聞いてみた。そしたら、さすがにチーフはよく知っていた。
「ほら、もともとは資産家じゃない? それでお母さんがね、相手の家柄とか、ひとり娘だから養子をもらわなきゃダメとか、いくつも条件を出していてね、……なかなか決まらなかったのよ」
「なんか、……わかるような気がします」
「でもね、5年ぐらい前かな、お婿さんが決まってね、一緒にらくだにも来てたのよ。……幸せそうに見えたな。それがねえ……」
中島さんが口ごもった。
アタシは、思わず声を上げた。
「返品したんだ!」
<初出:2021年11月13日>