熱くつらい青春『七帝柔道記』(ネタバレほぼなし)
久しぶりに肉厚の小説本を読みました。
増田俊也『七帝柔道記』です。
きっかけは、潮田クロさんのこの記事:
この記事には熱い『プロレス愛』が綴られ、その最期の方でようやく表題にある『七帝柔道記』の続編が出版されているのを知ったため、『源氏物語』を読み進めるのを一時中断する、と書かれています。
「……あの本、どこかにあったな……」
その単行本は、同居人の書棚にありました。彼女は発刊間もなく購入し、すぐに読み終えたけれども、私はまったく手を出していなかった。
2008年春から3年間、米国の大学町にふたりで住んでいた時、彼女はその地のアマチュアテニスチームに所属し、練習に参加したり、同じ実力レベルのリーグでチーム対抗の試合に出たりしていた。
米国人女性ばかりのチームメンバの中に、広島出身の日本人がもうひとりいて、かなり年下ながらも公私両面で親しく付き合っていた。
帰国して間もなく、その女性の実兄がモデルとなった小説が発刊されたと聞き、同居人が購入した初版本が、この『七帝柔道記』だった。
読み終えた彼女が、
「この話に北大柔道部を先輩から引き継いで1年間率いる主将が出てくるんだけど、それがお兄さんなんだって!」
と言っていたのは憶えているけれど、その本人を直接知っているわけではないので、
「ふうん、そうなの」
その厚い本を自分で読んでみようとは思わなかった。
潮田クロさんの熱い記事を読み、それほど心を動かされる本なのか、と少々調べてみた。
まずわかったのは、この著者であり主人公の増田俊也さんが、私が卒業した県立高校の後輩だということでした。
それでようやく興味が湧き、読んでみることにした。
高校時代の思い出はnoteにもいくつか書いていますが、人生でかなり重要な3年間だったと思っています。
40代の頃、居酒屋で偶然隣になった女性が高校の同窓後輩とわかり、かなり盛り上がってハグし合ったこともあるくらい。
表題に「ネタバレほぼなし」と付け加えました。
映画鑑賞も読書感想も、基本的にnote記事はその方針で臨んでいますが、特にこの『七帝柔道記』はあらすじを書くことにほとんど意味がない ── ある意味、あらすじなどは存在しない、とも言える。
いや、そもそも、作者の自伝的青春物語であるこの小説は、読んで共感できる読者とまったくできない読者に二分されるだろう。後者にとってはまったく理解できない、辛いだけのトレーニング・シーンがただただ続く。
さて、個人的な感想としては、共感できる場面が多かった。
既に、格闘技系部活の新歓合宿について:
そして、北大ならではの、バンカラ恵迪寮と花園・藤女子大にまつわる個人的回想にも既に触れた:
さらに、ほとんど講義に出ない主人公(=増田)が、
・たまに出席しても教室で寝ている
はともかくとして、
・試験に対しては、題意とまったく関係のないレポートを書いて及第を稼ぐ
が、まさに同窓らしかった。
その高校には、正答困難な試験の用紙に、ただただ教師をエンタテインするためだけの無駄話を書き連ねる生徒がいたし、私も大学教養では困窮の極みにはしばしば『創作物語』を書いてピンチを切り抜けた。
時代小説『鬼瓦妖之介土俵入り』の原型もそのようにして生まれたものでした:
さらに、高校生活があまりに自由だったため、大学進学後のクラス管理などを「後退している」と感じた点、講義進行を中学授業のように進めようとする教師をからかう場面なども、自分と重なるものがありました。
北大柔道部のランニングには『藤コース』という、藤女子大まで行く経路があります。私の所属していた高校ワンゲル部(当時は全員男子)にも、元女子高(戦前は女子高だったため、女子生徒比率が9割ぐらいの市立高校)まで走るトレーニングがあったのを想い出しましたね。
と、個人的共感だけを書いていてもいけないので無理にまとめると、
この本を読んで共感する人は、かなり限られるでしょう。
個人主義志向の強まる現代にあってはなおさらかもしれない。
けれど ── いや、だから、価値があるのかもしれない。
エンタメ性の低いこの小説が『ビッグコミックオリジナル』誌上で漫画化連載されたというのも驚きだけれど(私は未読)、かつて『漫画アクション』に連載されていたバロン吉元の『柔侠伝シリーズ』を学生時代に愛読していたように、自分自身とはまったく別の憧れプロトタイプになりうるのかもしれない。
ただ……
・どんなに痛めつけられても…
・大怪我の危険があっても…
チームのために(練習も含め)尽くす!
これだけは共感できなかったなあ……