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再勉生活! 田舎のレンタカー屋で借りたのはフロントガラスに弾痕があるGas-guzzling Car

イリノイ大学の材料学科大学院に入学資格を得て、ふたりの娘を含む家族4人で渡米しました。

海外に出るのは、
➀ 西欧バックパッカーひとり旅(1カ月)
➁ ソ連領中央アジアHoney Moon(2週間)
➂ スペイン・アンダルシアパック旅行(1週間)
④ 中国領ウイグル(2週間)
⑤ 米国出張(1週間)
に続く6回目でした。ただ今回、期間は桁違いの3年強、しかも、会社から、
「途中帰国は許可しない」
と言われていました。
実際、3年半の間、1度も帰国することはなく、
⑤ 米国留学(3年7カ月!)
となりました。
妻は➁③のみの3回目で、英語はまったく話せません。
長女と次女は幼稚園の年長と年少に上がったばかりでした。

名古屋からシカゴまで直行便、シカゴで座席数20ほどのプロペラ機に乗り換え、南に200 km、1時間ほど飛び、大学のあるUrbana-Champaignの街に着きました。

ミシガン湖沿岸のChicagoから、ドライブならば高速道路を2時間強

この時点でUrbna市は人口3.5万人、隣接するChamaign市は6.5万人で合計10万人の地方都市でした。両市にキャンパスがまたがるイリノイ大学Urbana-Champaign校(UIUC)の学生と教職員を合わせると、両市の人口のほぼ半数という、典型的な大学町でした。

まずはここに泊まれと教授に勧められた、中世の領主館のようなホテル、Jumer's Castle Lodgeに宿をとりました。分厚い絨毯の上に並ぶ家具や調度品、壁を飾る絵画の全てが骨董のような、独特のクラシック・ホテルでした。

在りし日のJumer's Castle Lodge(@Urbana downtown)

残念ながら、ホテルは7年前に廃業したようで、重々しい調度品の清算セールCMがYoutubeに上がっていました:

ロビーに腰を下ろしていると、
「Are you Japanese? ── 日本の方ですか?」
と関西訛りの男性に声をかけられました。
「あ、そうですが……」
自己紹介し合うと、彼はその前日に日本から到着した ── 1年間の予定で日本企業から派遣された客員研究員(Visiting Scientist)でした。
「そうですか。谷さんはドクターコースですか。たいへんですね……普通、5年はかかるって聞きますもんね」
「そうらしいですね。日本の修士課程修了の学歴はまったく意味がないらしくて……」
「3年で取れなかったら、どうするんですか?」
「その時の状況により延長も考える、との話にはなっていますが……」
(後の話になるが、3年後、5か月間の延長申請は困難をきわめた ── 留学中にバブル経済が崩壊していたため)
「学科はどこですか?」
「Materials Science(材料学科)のCeramic Division(セラミック部門)です」
「え、僕もそうですよ」
「先生はDavid Payne教授ですが……」
「え、ええ? 僕もPayne先生です」
「へえ……すごい偶然ですね」

この人、── 私より1歳若い豊田昌宏さんには公私両面でたいへんお世話になりました。
帰国後にも交流は続き、豊田先生(後に福井高専の准教授を経て大分大学の教授に就任される)からの依頼で「学生相手に講義をする」機会をいただくことになります。

買い物をしたり、家族寮の下見をしたり、学生ビザの申し込みをしたり、車がないと身動きができません。
ハーツなど、大手のレンタカー屋は空港まで行かねばならないので、ホテルの近くで電話帳から近場のレンタカー屋を探しました。
インターネットの無い時代です。ホテルでもらった地図を頼りに、30分ほど歩いた住所を訪ねました。

── そこは、広い牧場の一画で、普通の民家のようなオフィスのドアを叩くと、カウボーイ風オヤジが現れました。
「今、3台あるぜ。どれにする?」
小学校の運動場ほどもある広さに、一番新しいものでも10年、古いものは20年近く経っているのでは、と思わせる、そろって巨大なアメ車が置いてありました。

「……うーん」
ほとんど選択肢が無い中、一番新しそうな車を選びました。
値段は、おそらくハーツなどの半額ぐらいだったと思います。
車の背後が丸くなっており、「Lincoln Continental」と書いてあったように記憶しています。

人生でこんな車に乗ることはもうないだろう、と記念撮影

この車で街中を運転している時、
❶ 左ハンドル、右車線走行に慣れていない。
❷ 巨大な車体の横幅に慣れていない。
ふたつの「不慣れ」の掛け合わせで、頻繁にタイヤが右側の縁石に接触するのには参りましたね……。

さらに、この車のフロントガラスには、5ミリほどの穴があいており、そこから小さな「ひび」が伸びていました。
車を借りる時に、あの…これ、と指さしたのですが、カウボーイ・オヤジに、
「No Problem!」
と《笑顔 X 大声》で請け合われ、まあ…いいか、と引き下がったのです。

その頃、燃費のいい日本車と対照的に、ガソリンをガブ呑みする(guzzle)巨大なアメ車を、米国人が自虐的に「Gas-guzzling Car」と呼んでいましたが、この「縁石乗り上げ弾痕野郎」はまさにそれでした。
どこに出しても恥ずかしくない、いや恥ずかしい、かな?── 「Gas-guzzling Car」でした。
燃費はリッター2-3 kmだったのではないかな?

しかも、レンタカー屋との保険契約では、街から出てはいけない、ということになっていました。

出れねーよ!

〈この続きは……〉

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