人生というロードムービー
人生が最終的に聖なる場所に赴く旅ならば、
人生は結局、巡礼だとも言える
――――遠藤周作『自選 作家の旅』
▼▼▼新しい祈りを探す旅の帰り道▼▼▼
4週間滞在した札幌を、
8月26日に出発した。
これを書いている今は東京への帰路にいるのだけど、
この1か月について思い返しながら移動している。
いろんな人に会って、
いろんなことを考えた。
「新しい祈りを探す旅」は、
どうやら成功だったようだ。
旅っていうのは人生のメタファーで、
だとすると東京に戻った後に始まるのは、
新しい旅としての人生ということになる。
僕はロードムービーが好きなのだけど、
それはロードムービーが「巡礼」を意識しているからだと思う。
たとえば「リトル・ミス・サンシャイン」、
たとえば「レインマン」、
たとえば「すずめの戸締まり」、
たとえば「ドライブ・マイ・カー」、
たとえば「グリーンブック」、
たとえば「パーフェクト・ワールド」
たとえば「ピーナッツバター・ファルコン」
たとえば「スタンド・バイ・ミー」
旅をする映画が好きなのは、
旅をする前の主人公(たち)と、
旅を経た後の主人公(たち)が、
違う顔をしているからだ。
映画の好みというのは人によって本当に違うけど、
僕にとっての良い映画の定義とは、
「映画館に入る前と、
2時間を過ごして映画館から出たときで、
世界がちょっとだけ違って見える」
というような映画だ。
別に家でサブスクで見ても同じなのだけど、
その映画の最初のシーンと最後のシーンで、
主人公の人生観と顔つきが変わり、
それを見ている僕自身もまた、
その映画を見終えたとき世界が違って見えている。
この再帰性というのか、
フラクタル構造というのか、入れ子状の体験が、
僕にとっての映画のもっとも好きなカタルシスなのだ。
そんな「人生という旅の途中で、
旅を通して人の人生が変わるという映画を見て、
それを見た自分もまたちょっと人生が違って見える」
みたいな構造の映画の最たるものをこの春に見た。
「星の旅人たち」という2011年の映画がそれだ。
チャーリー・シーンの父親のマーティン・シーンが出演していて、
アメリカではかなりヒットしたらしいけど、
日本ではあまり知られていない。
アメリカの眼科医トムが、
聖地サンティアゴ・デ・コンポステーラを目指す、
800キロの巡礼の旅に出る。
日本でいう「お遍路さん」的な、
カトリックの有名な宗教的な巡礼なのだけど、
宗教上の理由で参加する人もいれば、
無神論者が参加することもある。
皆何かしらの理由があって巡礼の旅路を歩く。
無神論者で成功した眼科医のトムは、
自分探しの長い放浪の旅をしていた息子ダニエルが、
サンティアゴ・デ・コンポステーラを目指す途中に死んだ、
という知らせをある日、国際電話で受け茫然自失する。
息子の遺骸を確認しにヨーロッパに飛んだトムは、
何かに取り憑かれたようにアメリカの職場に、
「悪いが長期休暇を取る」と連絡し、
そのまま巡礼の旅を始める。
息子が歩いた道を歩いて、
生前の息子が考えたことを知りたかった、
というのがおそらく一義的な理由だが、
旅の途中、トムはだんだん、
そもそも自分は生きていたのだろうか?と考え始める。
息子は自分の目に「人生を棒に振っている」と思えていたが、
実は彼のほうが本当の意味で生きていたのではないか。
旅の途中、人との会話を通して、
自分との対話を通して、
そして「信じてないけど祈っちゃう」ような、
荘厳で神聖な風景や寺院との出会いを通して、
トム自身が誰よりも変えられていく。
彼の顔つきはアメリカの中上流層の仲間とゴルフしていたときと、
サンティアゴ・デ・コンポステーラに到着したときとで、
まったく変わっている。
この映画が公開されてから実際、
サンティアゴ・デ・コンポステーラの巡礼に、
アメリカからの参加者が異様に増えて、
そのブームは15年経った現在も続いている、
というから相当な影響力があったのだろう。
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