終わりの始まりは、次の始まりの始まり
芋虫は、暗闇の中でそこに動かずに横たわって、
ついには縮み込み、死んだ皮膚を脱ぎ捨て、
固い覆いをまとったミイラのような形に変わった。
芋虫の器官が溶解するにつれて、
内部はかゆのような状態に変わり、
細胞の大部分は死んだ。
しかし、いくつかのグループの細胞、
つまり「成虫原基」〔……〕と呼ばれるものが残った。
――――ハインリッヒ(昆虫学者)
▼▼▼「日本は終わっている」かどうか▼▼▼
日本は終わってる、という人がいる。
あと、日本のキリスト教は終わってる、
という人も。
これってかなり普遍的な現象と僕は予想していて、
例えばあなたの仕事が教育関係だったら、
「日本の教育は終わってる」と言う人がいると思われる。
ちなみにこの傾向は特に中堅以下、
40代以下の人のほうが、
より実感が強いのではないだろうか。
あなたが若手の医療関係者だったら、
「日本の医療制度は終わってる」と聞いたことがあるだろう。
あなたが建築関係なら、
「日本の建築業界は終わってる」と聞いたことがあると思うし、
政治家なら、
「日本の政治は終わってる」と聞くだろう。
最後のやつは年代にかかわらず全国民が思ってるけど。
さて。
僕は、「きっとそうなんだろうな」と思う。
実際のところ、
けっこう終わってるんだろうな、と。
僕はそもそも悲観論者で、
たとえば試験を受けたなら、
「きっと落ちてるだろうな」と思う。
先回りして悲観しておいて、
そうならず合格すればラッキーだし、
もし不合格でも「予想したとおり」と思える。
そういう「先回り悲観戦略」を取る人は、
HSP(繊細さん)にはわりと多いと思っている。
なので僕の「日本終わってるかも」は、
そういったバイアスがあることは注意が必要だ。
だけど、やっぱり終わってるかも、
と大阪万博のニュースを聞くたびに思うし、
政治資金パーティーの話を聞くと思うし、
あらゆる業界を侵食するブルシット・ジョブ的状況を聞くと、
「あ、やっぱり終わってるかも」と思う。
僕のような人間はそこで、
「そんなことより、
今日も日本の誇り、
我らが大谷翔平がホームラン打ったぜい!」
と祝杯を上げるような気分になれない。
局地的な明るいニュースで、
構造として終わってるものを、
繕うことはできないだろう、と思ってしまうから。
僕のような人間は、
陰気くさくて景気が悪いし、
顔を見ると元気が失われるから、
あまり人が近寄ってこないのだろうな、と思う。
でもやっぱり、「終わってる」と思ってしまうのだ。
正直に言おう。
僕は常々、こう思っている。
「今の日本で絶望していないとしたら、
その人は何も知らないか、
知った上で何も考えていないかのどちらかだ」と。
今の日本で正気を保っている人間ならば、
普通は絶望しているだろう、
と僕は思う。
それは僕がロスジェネ世代だからなのだろうか。
団塊世代やバブル世代や、
団塊ジュニア世代はそんなこと思わないのだろうか。
「君、暗い顔してんじゃないよ。
昔の日本は凄かったんだ。
世界に燦然と輝いていたんだ。
ほら、大谷翔平を見たまえ
今日もホームランを打ったぞ」
「うるせえ」
と心でささやいて顔には愛想笑いをはり付け、
僕はその場を後にしたくなる。
そして懊悩する。
これって、1975~85年生まれ、
就職氷河期世代のリアルな姿ではなかろうか。
違うのか?
氷河期世代は「世代として団結しない世代」でもあるので、
他の人がどう思ってるかはよくわからん。
よくわからんけど、
多分大きくは間違ってないと思っている。
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