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僕は大学で何を学んだのか




まず、勉強とは、獲得ではないと考えてください。
勉強とは喪失することです。
    ――――『勉強の哲学』千葉雅也 15頁


▼▼▼1996年の帯広で▼▼▼



今年の夏、大学の同級生と立て続けに再会した。
付き合いが悪いというわけではないけれど、
「1対1の人間関係」「3、4人の小グループ」には強くても、
集団の中に入って「多対多」になるとまったくダメなので、
それが理由でSNSはすべてやめてスマホを所持していない。
同じ理由で僕は本当に同窓会に参加してこなかった。
卒業したのが2002年なのでそれ以来だとすると、
22年ぶりということになる。

さらに1996年に僕たちは大学に入学したから、
出会ってからは30年近く経っていることになる。

30年というのは途方もない時間だ。

大学生時代の僕は今の僕をまったく、
本当にまったく、想像できていなかった。
すれ違っても向こうは僕を自分とは思わない気がする。
こんなに筋トレするなんて思ってないし、
こんなに東京に住むなんて思ってないし、
だいたい獣医師をやってないなんて聞いてない。

30年ぶりに大学の同級生に会ったからか、
大学の頃のことを最近、考える。

時は1996年、小室哲哉プロデュースの楽曲が町中に流れていた。
TRF、華原朋美、globe、H Jungle With t。
木村拓哉になりたいボーイが501にティンバーランドを履き、
安室奈美恵になりたいガールがロングブーツを履いて歩いていた。
サブカルボーイはオザケンや電気グルーブを聞き、
サブカルガールはCharaや椎名林檎を聞いた。
そして世の中には「ボーイ」と「ガール」の二種類しかいないと、
僕を含む当時の日本人は素朴にも信じていた。
サブカル界隈では『スワロウテイル』がカルト的人気を博し、
メジャー界隈ではSMAPとダウンタウンがHEY!×3で共演していた。

若者文化はポップとサブカル、
メジャーとマイナー、
陰と陽と、日と米とエスニック、
東京と大阪と福岡と札幌と、
多様な勢力がごった煮のように混在していて、
今思えば「元気な時代」だったのかもしれない。

「直撃世代」は自らを客観視できないけれど、
あの頃の日本はバブル崩壊後で、
経済のピークは過ぎていたけれど、
文化のピークは実はむしろあのあたりにあったのかもしれない。
ローマ帝国のカルチャーはギリシャのそれだったのと同じで、
カルチャーのピークは経済のピークから時間差で訪れる。

そんな1996年、
岡山県倉敷市で鬱屈とした高校時代を過ごした僕は、
北海道帯広市の国立大学で獣医学を学ぶべく、
帯広の地で一人暮らしを始めた。

遅れてきた「北の国から」だ。

マイナス10度ってどんな気温なのか想像できてなかったし、
学生よりも動物の数が多い大学も想像できていなかった。
その僕が大学の6年で何を学んだか。
そのことを大学の同級生と話していて考えたのだ。


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