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世代交代って何だろう




師の跡を求めず、師の求めたるところを求めよ
 ――――空海


▼▼▼門前の小僧の16年間▼▼▼


キリスト教の世界で16年間働いてきた。
といっても僕は神学校も出ていないし、
按手礼を受けた牧師でもないわけなので、
「キリスト教の世界」とはいってもその中心ではなく、
辺縁でうごめいてきただけなのかもしれない。

でも、「門前の小僧習わぬ経を読む」式に、
神学について、教会について、牧会について、
日本だけでなく海外の教会の事情について、
教会の歴史について、そして何より宣教について、
わりと知識や経験を身につけてきたほうだと思っている。

勉強せずに話すのは職業牧師にあまりに失礼だと思うから、
常に鬼のように神学書を読み続けているので、
なんだったら神学書を読んだ純粋な冊数では、
もしかしたら平均的な牧師を上回っているかもしれない。
(それでも体系的に学んだことと独学には、
 超えられない深淵があることは忘れてはならない。
 独学はどこまでいっても独学の域を出られないことは、
 重々承知でいっている。)

とにかくそんなわけで、
神学校を出ていないのに、
なぜか神学校で講義をすることもあるし、、
「自分のような知識と経験の組み合わせは
 他にほぼ皆無なのではないか」
と思うからこそ、
2020年に起業した陣内義塾で、
「日本初の教会コンサルタント」を名乗った。
(当時 「教会 コンサルタント」で、
 グーグル検索してもヒット件数は0件だったので、
 たぶん日本初だと思う。
 今も唯一かどうかは知らない)

何が言いたいかというと、
口幅ったいが教会に関しては、
わりと知悉していると思う。

神学校を卒業し按手され、
ひとつの教会で何十年も牧会されている先生と、
僕とでは知識の「集合」が違う。
二つの集合には重なる部分と重ならない部分があり、
牧師あって僕にはない知識や経験の部分が膨大なので、
僕は決して牧師には適わないと思う。
永遠に適わないし、
僕には牧師の適性がないことは、
もう、分かりすぎるぐらい分かっている。

だから周辺で「門前の小僧」を続けているのだ。

門前の小僧を16年続けてきたけど、
たぶん運良く80歳まで生きても、
やはり門前の小僧であり続けるだろう。
それぐらい自分には「牧師の適性がない」という確信がある。
周辺をうろうろしてるからこそ分かるのだけど、
本当に適性がないのだ。

信じてほしい。
僕には適性がない(しつこい)。

でも、門前の小僧には門前の小僧なりの役割があり、
習わぬ経を読むだけではなく、
和尚が把握していない事実を把握していたりもする。

世間(下界)との距離は、
和尚よりも近いかもしれないし、
寺の周囲の植生や野生動物については、
毎日ほうきで掃除している小僧のほうが知っているかもしれない。

そんなわけで僕は、
「周辺から教会を語る」のだ。

それは牧師が語る教会とは違うものになろう。

かといって僕はアウトサイダーというわけでもないので、
この言葉は好きではないけど、
いわゆる「信徒」が語る教会とも違う。

見る場所が変われば風景が変わる。
当たり前だ。

僕の視点が正しいとはまったく思わないけれど、
16年間門前の小僧をしてきて、
教会について思うことを僕は書こうと思う。

キリスト教徒だけがこの文章を読んでいるわけではないと思うけれど、
たぶんあなたの業界や世間一般にも、
普遍的に言えることではないかと思っている。
カール・ロジャーズが言うように、
「最も個人的なことは、最も普遍的なこと」なので。

僕はこの16年、教会で、
「世代交代」という言葉を聞かない日はなかった。
ついでに「後継者を育てる」という言葉も。

でも、そもそもこの問題設定自体が、
実はすこしズレているのかもしれない。
最近はそう思うようになったのだ。

その辺を言葉にしてみたい。


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