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ふ 「フクロウ」


フクロウが好きだ。猛禽類だし、伝染病の媒介者にもなるし、じつはあまりその生態は「愛され動物」のそれではないのだけど、西洋ではフクロウは昔から「知恵の象徴」とされてきた。ヘーゲルの「ミネルヴァのフクロウは黄昏に飛び立つ」っていう言葉があって、「ある事象の本質を哲学者が語り始めるのは、その事象が過ぎ去って忘れ去られる頃である」みたいな意味なのだけど、僕は人より考えるのが遅く、みながその問題を忘れた頃に「あの、あれってああいうことじゃないかと思うんですよね」と言ったりする。そのときには世間は2つ先の話題のことを熱心に議論していて、僕の気づきは風に消える。

そんなことが多い僕はミネルヴァのフクロウにすごく惹かれるのだ。なぜ古の人はじゃあ、フクロウを知恵の象徴だと感じたかと考えると、おそらくあの「目」なんだろうと思う。何かを考えているような目をしている。実はそれには理由がある。獣医師として解説しよう。動物は基本的に「捕食者」ほど前を見る一対の目を、「被捕食者」ほど横についた一対の目をもつ。たとえば馬の視野は350度ある。真後ろ以外すべてが視野に入っているので、真後ろに立たれることを馬は嫌がる。馬に蹴られる死亡事故はなくならないけど、それは馬のこの「視野」に理由がある。サバンナで350度の視野をもっていることが、馬やその先祖たちを捕食者から守った。

逆に捕食者は視野が狭い一対の目が前を向く。なぜか。前に向いた一対の目は「距離感」を掴むのが巧いからだ。三角関数なんて知らなくても動物の脳は右目と左目の距離とその見え方の違いから、対象物の距離を割り出す。獲物を捕食するとき、視野の広さ以上に「距離感」が決定的に重要になる。ライオンやチーターの目はだから前についている。馬のようなタイプは基本片目で見ていることになるから距離感を掴むことは苦手だ。

さて、フクロウだ。フクロウは完全に肉食の猛禽だから前を向いた目がついている。逆に襲われることが少ないから広い視野は犠牲にしてもよい。大学の比較解剖学かなんかの授業で習った。とにかく一対の前を向いた目で見つめられると、我々は吸い込まれる。捕食者に見つめられた遠い過去を思い出すからだろうか。


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陣内俊
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