ラーメンと愛国
バカは自分の知っていることを確認するために本を読む。
―――適菜収(『日本をダメにしたB層の研究』)
▼▼▼ガチンコラーメン道と00年代の日本▼▼▼
僕が20代の00年代前半、
日本の世間は空前の「ラーメンブーム」だった。
漫才ブームみたいに、「第●次ラーメンブーム」
みたいな言い方があるのかないのか分からないけれど、
当時は「ガチンコラーメン道」とかあって、
かなり盛り上がっていた記憶がある。
ラーメンランキングを紹介するだけの番組が、
全国放送のゴールデン帯で高い視聴率を取っていたりして。
ガチンコラーメン道の、
「鬼」・佐野さんが生徒のラーメンに、
10円の値段をつけたシーンと、
生徒のおじさん・今泉さんの頭の上でぞうきんを絞るシーンは、
今でもトラウマとして脳内に焼き付いている。
南海キャンディーズの山ちゃんも足軽エンペラーとして出演していた、
「ガチンコ漫才道」の巨人師匠の、
「弟子やったらパンパンやで」と一緒に。
ラーメンブームである。
当時、全国的な有名店、というのがいくつかあった。
・麺屋武蔵(新宿)
・中村屋(神奈川)
・俺の空(高田馬場)
・青葉(中野)
・大勝軒(池袋)
みたいな東京のラーメン屋に、
当時豊橋に住んでいた僕は憧れた。
テレビや雑誌でしか見たことのないそれらの有名店に、
僕はワクワクした。
漫画『ろくでなしBLUES』の四天王みたいで、
なんか格好いいじゃないか。
吉祥寺の前田、浅草の薬師寺、
池袋の葛西、渋谷の鬼塚、みたいで。
まったく土地勘もないが、
記号的なラーメンの物語を無知な20代の僕は消費していた。
白物家電の三種の神器の団塊世代が「モノ消費」、
グッチ、ヴィトン、フェラーリのバブル世代が「記号消費」なのに対し、
氷河期世代の僕は「物語消費」の時代の人間なのだ。
ちなみに今の若い世代は「関係消費」といわれるそうだ。
そう、物語としてのラーメンである。
東京に用事があるときは、
新宿西口の麺屋武蔵で1時間行列に並んだり、
大勝軒を食って感動したりしていた。
「これが、雑誌でしか知らなかったやつか フルフル……」っつって。
今、海外から押し寄せる観光客の方々が、
たとえば「一蘭」の行列に並ぶとき、
あの頃の僕と同じような気持ちなのかもしれない。
ラーメンはそんなわけで、
僕の青春のいち風景だったのだ。
そういえばこんなこともあった。
当時、蒲郡の教会の仲間たちで、
今も友人であるメンバーのひとりの実家で、
みんなで年を越そうという話になった。
12月31日、20代を中心とする男たち5、6人で集まり、
その家にあるずんどう鍋を使って、
ラーメンスープを作った。
近所の肉屋で鶏ガラや豚骨を仕入れて煮込み、
ニンニクとかショウガとかネギを醤油につけてタレを作り、
寒水入りの黄色い麺をスーパーで買い、
チャーシューを煮込み、
煮汁に煮卵をつけ込み、
僕たちは「年越しラーメン」を作った。
テレビの向こうではボブ・サップと曙が戦っていた。
「絵に描いたような2003の大晦日」がそこにはあった。
年明けのカウントダウンが迫ると麺を茹で、
年越しラーメンを僕たちは食べ始めた。
チャーシュー、うめー!
煮卵、うめー!
ネギ、うめー!
スープ。
「何か足りない」
「何か足りなくね?」
「味がぼやっとしてるよね」
……「いいものがある!」
誰かが言った。
彼は下の階の厨房に行き、
何やら銀色の小さな袋をもってきた。
サッポロ一番の醤油ラーメンの粉だった。
「これ入れたら良くない?」
「よし、入れよう」
僕たちはそのスープをすする。
「うめー!!」
「美味すぎる!!!」
僕たちは正解を見つけた。
ずんどう鍋で炊いた鶏ガラではなく、
食品メーカーの企業努力に軍配が上がった。
「日清、すげー!
いや、サンヨー食品、すげー!」
「明けましておめでとう!」
「曙、大丈夫かな?」
そんなIQゼロの、
頭悪そうな年越しを僕たちは過ごした。
僕たちの青春がそこにはあった。
そう、ラーメンは僕の青春でもあるのだ。
そのラーメン文化には、
アメリカの食料帝国主義の偽装という悲しい背景があり、
当時の「麺屋武蔵」という名付けや、
作務衣にタオル巻き、
あるいは掛け軸に「心」みたいな一連の雰囲気には、
「ネオ日本ナショナリズム」という構造的背景があるのを知るのは、
僕が40代になってからだ。
ライターの速水健朗氏が、
『ラーメンと愛国』という書物で、
そのへんの事情を開陳している。
▼▼▼アメリカの食料帝国▼▼▼
まず、戦後のアメリカの食料帝国主義っていうと、
スキムミルクだとか給食のパンだとか思ってる人が多いが、
実は「ラーメン」も、もっと巧妙なそれだと知っていただろうか。
引用しよう。
、、、どうだろうか。
戦後のアメリカは小麦の生産過剰に困っており、
どうにか外国に売りたかった。
食糧難にあえぐ戦後の日本は格好のマーケットだった。
これがハンバーガーだと、
「文化の侵略」だということになるのだが、
いまや「日本の食べもの」であることが有名になった、
ナポリタンスパゲティ(イタリアにはない)や、
我々が「ラーメン」と呼びならわす食べもの(中国にはない)が、
実はアメリカの国益に最高の武器となり、
日本の米作にとって最大の脅威であったとは、
気付いていた人は多くないのではないだろうか。
速水さんの本は目から鱗だった。
さらに、である。
当時の「ガチンコラーメン道」的なるものに、
実はあまり気付かないが、
「ナショナリズム」が紛れ込んでいたことに、
どれぐらいの人が自覚的だっただろう。
これは陰謀論とかではない。
特に2002年の日韓ワールドカップで一部の国粋主義的世論が沸点に達し、
それが今にもつながる「ネトウヨ元年」だった、
とは評論家の古谷常衡氏の分析だ。
その世論を敏感にテレビ局は察知し、
それを番組に盛り込んだだけだ。
作務衣姿、頭にタオル、店内に和の掛け軸、
そして「麺屋武蔵」みたいな名付け。
これらすべての「記号」が、
実は日本のネオナショナリズムの表象だったとは、
20代当時の僕に知るよしもなかった。
再び引用しよう。
、、、ラーメンはアメリカの食料戦略への屈服に利用された、
という意味では「売国」で、
麺屋武蔵的な文脈でナショナリズムに利用されたという点で、
「愛国」なのだ。
両方に共通するのは「屈折していること」。
まっすぐな郷土愛ではなく、
そこに「売国」的な要素があることを覆い隠し、
そのうえでセラピー的な「愛国」にすがる、
という、今の日本を凝集したような食べものなのだ。
そういうことひっくるめて、
ラーメンはやはり「日本」だと思う。
だって、どんぶりの中に日本の戦後の悲しさが、
箱庭のようにすべて詰まっているのだから。
涙が出てくる。
だからしょっぱいのだ。
あれ。
ハンバーガーの話を本当はしようとしていたのだ。
それは、また明日書くことにする。
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参考文献および資料
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・『ラーメンと愛国』速見健朗
・『日本をダメにしたB層の研究』適菜収
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