【YouTube/note連動企画】SNSをやめる5つのメリット
どうも僕です。
ちょっと新しいことをしてみます。
YouTubeとnoteを連動するという企画。
ブログとYouTubeを組み合わせて何かできないかなーと、
ずっと思ってたのですよね。
なので試しにいくつかやってみたいと思います。
まず、記事を書く。
その記事に基づいて、
YouTubeで話す。
noteのブログ記事と、
YouTube、Podcastを、
同じ日に公開する。
まぁ、書いてしまえば、
それだけの話しなんですけどね。
でも、今までやったことないですし、
やるうちに何か発見があるかもしれないし。
とにかくやってみます。
といいますのも、
「文字で読んだ方が早い」人と、
「動画や音声で聴いた方が良い」人と、
両方いると思うわけですよ。
つまり情報を取り込むとき、
聴覚から取り込む方が効率良い、
って感じる人と、
視覚から取り込む方が効率良い、
って感じる人ですね。
僕自身は、
読んだ方が圧倒的に早いし正確に情報を摂取できます。
なので1時間話した動画があったら、
それが文字おこしされていると、
時間を圧縮できる。
でも逆のこともあると思うんですよね。
聴いた方が読むよりも効率よく情報を得られる人も、
当然いると思われ、
その両方の方法を用意しておくことで、
もしかしたら何か見えてくるんじゃないかしら、
と思ったりしてます。
何も見えないかもしれないですが笑。
さて。
今日のお題ですが、
「SNSをやめる5つのメリット」です。
以前僕は、
SNSをやめたらどんなに幸せになったかというnoteを書きました。
有料記事ですみません。
買って損はないと思うのでよろしければ是非。
『SNSを完膚なきまでに完全にやめたら幸せになった話』
、、、今日は、
その記事の内容とも重なるのですが、
2、3年前に、
SNSを完全に卒業してから、
この2、3年で実感している、
5つのメリットをご紹介したいと思います。
ちなみにSNSをやめるというのはこの場合、
自分の投稿をしないのはもちろんのこと、
他人のSNSを閲覧することも一切しない、
という意味です。
FacebookもツイッターもInstagramも、
僕はいっさい見ません。
というかブラウザも開かないし、
そもそもスマホを持ってないけれど、
タブレットのアプリももちろん落としていない。
つまり、
あなたが僕とSNSで「友達」になっていて、
あなたが「昨日豪快に整形しました!!」
っていう驚愕の投稿をしていたとしても、
僕は今日あなたに遭ったとき、
新鮮な気持ちで、
「お顔に何か事件でもあった?」
って聴くというわけ。
それぐらい完全に、
「SNSにいない人」になることを、
「SNS完全卒業」の定義としましょう。
では早速行きます。
●その一 時間が増える
まず何と言っても、時間が増えます。
平均して日本人はSNSに、
一日1時間前後を費やしているというデータがあります。
この一日1時間が、
まるまる自分のものになるのです。
これはでかい。
いくら強調してもしすぎにはならないぐらいデカい。
マジで。
毎日1時間増えたら、
いったいどんなことができるか考えて欲しい。
簡単な資格ならば半年で取れるだろうし、
小さな副業ぐらいなら立ち上げられるかもしれない。
本を毎日1時間読めば、
月に10冊前後読めるはずだ。
読むのが遅い人でも、
5冊は絶対読める。
1月に30時間本を読めるのだから。
以前にも書いたが僕はロングスリーパーだ。
一日最低8時間寝ないと、
次の日の脳が「最大出力」を出してくれない。
なので僕にとって、
人より少ない「起きている時間」の、
貴重な1時間をSNSに割くなんて、
考えられないことなのだ。
僕は2013年の病気を機にSNSから完全に離れて、
それからスムーズに今の「卒業」に至ったので、
毎日SNSをしていたころの生活をもう思い出すことも難しいのだが、
本当にその頃の自分が信じられない。
なんであんなことをしていたんだろう、と心から思う。
はっきり言おう。
SNSは、純粋な時間の無駄だと。
反論は受け付けるが、
それはSNSでやってくれ。
ちなみに僕はそこにいないけれど笑。
●その二 承認欲求に振り回されなくなる
SNSって、「承認欲求ビジネス」であることを、
皆さんはご存じだろうか?
これはもう有名な話しになってきているが、
60ミニッツという有名なアメリカのテレビ番組に、
かつてグーグルでアルゴリズムを書いていたエンジニアが出演した。
彼はそのアルゴリズムが、
人間の脳のドーパミン回路を刺激する、
ラスベガスのカジノの方法論から学んでいることを暴露した。
「アテンションエコノミー」と言われる、
テック企業群は、
ユーザーが1秒でも長くそのSNSに留まる限りにおいて、
広告収入という収益が確保される。
つまり彼らはユーザーを依存症にしたいわけだ。
SNSの通知音とか、
「いいね」ボタンのアーキテクチャや、
間欠性刺激というユーザーへの通知方法とか、
人をギャンブルに依存症にさせる方法論から学んでいる。
そんな方法論のなかでも、
テック企業が武器にしている、
最強の依存症強化のための人間の性質が、
「承認欲求」である。
人間は他者の承認なしに生きていけない。
これは太古の昔からの人間の本能で、
社会的哺乳類である人間は、
他の人が怒っているか機嫌が良いのか、
それを知ることが自分の生死を分けた。
だから人間の網膜が感じ取れる光波のスペクトラム、
つまり可視光というのは、
人間の静脈の青と動脈の赤の間になったのだ、
と主張する生物学者もいるぐらいだ。
人は、
「自分が人からどう思われているか」
をどうしても気にせざるを得ない生き物なのだ。
それを利用し、
アルゴリズムに組み込むことで、
人間を中毒状態にすることに成功したのが、
Facebookの「いいね」ボタンという、
21世紀で最大の(そしてもしかしたら最悪の)
イノベーションだったのである。
しかし、
SNSのいいねやLikeやリツイートの数を、
日々モニターした経験のある方なら分かると思うけれど、
それは「得るものが少ないわりには消耗する経験」だというのは、
多分同意していただけるのではないだろうか。
そうなのだ。
あと、「いいね」返しなど、
日本独自のSNSの発展により、
もうそれは「感情労働」の領域に達している。
その労働に対する対価を払ってくれる人は誰もおらず、
ただひとりテック企業だけがその広告収入によって、
がっぽり儲けている。
SNS、いますぐやめよう。
消耗するだけだから。
反論は受け付けるが(以下同文)。
●その三 通知が減る
僕はスマホをそもそも持っていないのだが、
その最大の理由が、
「通知が試行を遮断することに耐えられない」からだ。
「キンコーン」というLINEだとかFacebookだとか、
各種の通知というのは、
そのたびに「思考力」を分断する。
僕の脳みそは完全に、
「シングルタスク仕様」にできていて、
ちょっとしたインタラプション(中断)があると、
もういちど一から考え直さなきゃいけなかったりして、
いたって効率が悪くなる。
Apple Watchなんて、
僕から言わせたら正気の沙汰ではない。
何で自らの思考力を分断するような道具を、
腕に巻き付けようなどと思うのだろうか?
(巻き付けながらこれを読んでいる人、ごめんなさい)
僕の脳はもしかしたら特殊で、
スマホの通知がいくら来ようが、
Apple Watchを腕に巻き付けようが、
一向に生産性が落ちないという人は、
本当に恵まれた人だと思うのだけど、
もしあなたが僕と同じようにシングルタスク型の脳みその人だったら、
あなたがスマホやApple Watchを積極的に身にまとうというのは、
コーラ1.5リットルを一気飲みしてから、
のど自慢大会に挑戦しようとしているのと似ている。
必ずゲップが出て失格になるので、
飲まないことをオススメする。
ちなみに僕のようなシングルタスクの人間は、
得てして物事を深く考えるタイプの人が多いように思う。
僕にとってスマホを持たず、
SNSを一切しないメリットの、
最高のものの一つは、
「より深く思考できる」ことだと思う。
じっさい、SNSを長時間やる人というのは、
浅くしか思考できなくなる、
という海外の研究も読んだことがある。
僕にとって「深く思考する」というのは、
僕という人間を僕たらしめているものでもあるので、
本当にSNSを辞めて良かったと思っている。
反論は受け付けるが(以下同文)
●その四 本がたくさん読める
この時点で3000文字を超えているので、
先を急ごう。
僕は年間300冊前後の本を読む。
しかも速読とかじゃなく、
ほとんどの本を、けっこうちゃんと読む。
軽めのビジネス書も読むが、
けっこうずっしりした翻訳書や、
学術書に近いものも読むし、
500ページ超えの神学書も含まれる。
なぜ僕がこんなにも本を読めるかというと、
端的に言えばSNSをやっておらず、
スマホを持っておらず、
テレビを1秒も見ないからだと言える。
「どうやったらそんなに本を読めるんですか?」
と誰かに聴かれたとするなら、
僕は、「まずスマホを棄ててから聞きに来い」という。
いや言わない。
そんな偉そうな態度で、
そんな暴論を吐くほど、
僕は度胸が据わっていない。
多分ヘラヘラしながら、
「いやぁ、でも、
多けりゃいいってもんでもないし。
テレビはテレビで、
そこでしか学べないこともあるしね。
人それぞれなんじゃないっすかね?」
ともみ手をしながら適当に受け流すだろう。
相手は「そうか、これでいいんだ」と、
安心して去って行くだろう。
そう。
安心することが大事なのだ。
でも、親友や子どもに聴かれたなら、
「まずスマホを棄てることかな」
とマジで言うと思う。
それぐらい、
スマホ、テレビ、SNSは、
我々から生産的な時間と認知力を、
ごっそりと奪っていく。
●その五 相手の顔を見て話を聞くことができる。
最後に、
「相手の顔を見て話を聞くことができる」
というのがあると思う。
会話しながら、おたがい食事をしながら、
お互いに自分のスマホみている風景って、
最近よく見るようになった。
それならもう会話なんて辞めてしまえばいいのに、
と僕なんかは思うのだが、
人には「愚行権」というものがあるので、
僕はとやかくいわない。
でも、僕は自分が誰かの話を聞くとき、
スマホを見ながら聞くことがない。
なぜならスマホを持っていないから。
ある研究によると、
テーブルの上にスマホがある場合、
そのスマホの電源が切れていることを知っていても、
人の認知能力は下がったという結果がある。
人と話すというのは貴重な経験だ。
僕のような人見知りの人間からすると、
それ自体が「希少な経験」なのである。
人と話すことの疲労が普通の人より大きい僕は、
せっかく話すのだから、
その時間を100%有意義なものにしたいのだ。
スマホやSNSのせいで、
その100%が、
50%になってしまうとしたら、
なんとも勿体ないことだと思わないだろうか。
それはもはや、
「人生を損している」のと同じだと思う。
同じ理由で、
SNSをやらずスマホを持たないことで、
僕は人よりも、
食事を美味しく味わえているのではないかと思っている。
今外食すると、
ほとんどの人がスマホを見ながら食事をしている。
人間の認知力というのは無限ではない。
認知のリソースの10%をスマホに傾けているとしたら、
本来100%の認知を、
今ここでしか食べられない食べ物の味わいに向けていたのに、
それが90%になってしまう。
じっさいはスマホはもっと多くの認知力を盗んでいることが多く、
50%になったりする。
スマホをずっと見ながら食べた食べ物の味が思い出せない、
というようなことって、
多分多いんじゃないかと僕は思っている。
その時間、払ったお金、
本当に「人生を損している」と思う。
あと、コロナ禍でみな旅をしなくなったが、
旅先でずっとスマホで、
「フォトジェニックでインスタ映えする風景やアングル」を探し、
写真をバシャバシャとって、
それをスマホで加工して、
親指で操作して投稿して、
旅先を後にする旅行って、
一体何なんだろう、と思う。
認知の100%を旅で感じられる風景、
匂い、風、音、湿度、、、、
そういった外界の機微に投じたほうが、
旅は何倍も有意義なのに、、、
と僕は思う。
結論。
スマホを棄てよう。
SNSは卒業しよう。
反論(以下同文)。
こちらが今日の記事の「動画版」になります。