今月の書籍:『お金の向こうに人がいる』
開催日:2024年3月22日金曜日 20:00~21:30
●お金の向こうに人がいる
著者:田内学
出版年:2021年
出版社:ダイヤモンド社
▼▼▼▼▼▼財政破綻する国とそうでない国があるのか▼▼▼
、、、MMT(現代貨幣理論)に関しては、
私も何冊か読んだのですが、
財政均衡を重視する財務省的な考え方と、
MMTとでどちらが正しいのか分かりません。
どちらも著名な経済学者が支持したりして。
こういのうは「分からない」というしかない。
逆に専門家でもない私に分かったら怖いので。
ただここで田内さんが言っていることは理解できます。
国の借金が1,000兆円を超えているが、
その多くは日本国債で、
日本国債を買っているのは多くの場合日本国民で、
だとしたら国の内部に労働の貸し借りがあるということになります。
これが国の外部になると話が違ってきます。
ヴェルサイユ条約後のドイツや、
90年代の韓国や、
昨今のギリシャなどがそうで、
そうなるとハイパーインフレなどが起きて、
「デフォルト」になる。
昨日までの一万円がただの紙切れになり、
トイレットペーパー以下の価値になります。
お札ではケツも拭けないので。
戦後の「新円切り換え」を経験した世代はだから、
「日本銀行券」に対する信仰が弱いと私は感じます。
「日本銀行券」に対する信仰とは、
つまるところ「国家」への信仰で、
それが絶対的であることを偶像礼拝とキリスト教では呼ぶので、
新円切り換えを経験し、日本銀行券を疑っている世代は、
むしろ健全なのかもしれません。
▼▼▼金が生む空間的/時間的な分断を解消するには▼▼▼
、、、財布の中だけ見ていると、
お金は分断を生んでしまいます。
財布の外で人が働いてくれていて、
自分の労働が誰かの生活を支えていることに気付くと、
私達は社会全体からお金の機能を考えることができるようになります。
時間的分断とは、
世代間断絶とも呼ばれるやつで、
日本の政治の最大の争点なのですよね。
ただ、これを本当に争点化すると、
その政治家なり政党は当選できないので、
顕在化することは少ないのですが。
年金問題を真正面から考えることで、
この分断を超える可能性が見えてくる、
と田内さんは言います。
▼▼▼老後2000万円問題はお金を根本から考える▼▼▼
、、、老後2000万問題、
っていうのが世間を騒がせました。
積み立てNISAとか株を買うとか投資するとかで、
なんとか2000万円の資産を作らねば!
という風潮に田内さんは待ってください、と言います。
そうじゃない。
イス取りゲームが加熱すれば必ず、
そのイスの単価は高くなるので、
全員が座れる状況は永遠に訪れない。
社会全体から考えましょうよ、と。
▼▼▼年金問題・少子化問題の盲点▼▼▼
、、、時間軸を50年戻すと、
年金問題というフレーミングから、
さらに大きな日本社会の構造が捉えられますよ、
と田内さんは言います。
今から50年前、
「社会が高齢者を支える負担」は小さかった。
8人で1人の高齢者を支えていたのが50年前。
今は2人で1人の高齢者を支える時代になりました。
これを不平等と呼ばずに何と呼ぶ。
ということになるでしょうか。
ちょっと待ってください。
今、2人の現役世代によって支えられている高齢者は、
50年前には現役世代だったわけですよね。
そのとき、この世代は子育てをしていました。
この頃、子どもは多かったのです。
50年前、1人の子どもを支える現役世代の数は少なかった。
子どもが減った今、1人の子どもを支える現役世代の数は多いはずです。
ほら。
50年前のほうが親の負担は大変だったでしょ。
今は楽でしょ。
じゃあ、おあいこでしょ。
トントンでしょ。
負担と恩恵はフェアになってるでしょ。
いや、そうはなっていないのです。
なぜか。
高齢者の場合「社会全体で●●人で1人の高齢者を支える」
という議論になるのに、
子育ての場合「社会全体で●●人で1人の子どもを支える」
という議論にならないところにその理由があります。
もともと日本には世界標準と比較して、
その意識が低いことが指摘されていますが、
この50年でさらにそれが加速しました。
松岡亮二さんという人が書いた『教育格差』に詳しいのですが、
日本って、対GDP比でみたとき、
政府の「教育に対する財政支出」が、
先進国で最も低い国の一つなんですよね。
▼参考記事:日本の教育支出が最下位
しかし子ども一人にかかる教育費は、
先進国でもかなり高い方にいます。
じゃあこのギャップは誰が埋めているのか。
子どもを生んだ個々の親です。家族です。
介護や年金は「社会化」されているのですが、
子育ては「社会化」されていません。
個人化されています。
50年前は実はここまでではなかった。
社会全体で子どもを育てるという気風がありました。
だから今の現役世代は、
2人に1人で高齢者を支え、
さらに50年前よりもさらに、
「個人化された子育て」をも背負っている。
やはりフェアじゃない、ということになるのです。
▼▼▼社会で子どもを育てることの大切さ▼▼▼
、、、50年前と今とで違うのは、
子育てがさらに「個人化」されたことだと書きました。
社会全体が子育てに対する寛容さを失っているのです。
社会全体で子どもを育てるという意識が希薄になっているのです。
防衛費が2%に引き上げられました。
その増額分で、
実は大学無償化と給食無償化をしてさらにおつりが来るのだけど、
それを主張する人は思いのほか少なかった、
みたいなところに子育ての個人化が現れています。
経済が助け合いならば、
今子育てする人を社会全体で支えるならば、
将来その子たちが自分たちの老後の生活を支えてくれる、
という構造が見えるでしょう。
じっさい、マクロ経済学者の私の弟が言っていましたが、
これは倫理とか規範とかの話ではまったくないけれど、
経済学の観点だけから言えば、
子どもを生まない人は、
「将来国を支える労働力を生まないが、
自分はその労働力によって老後を支えられる」
という意味で社会の「フリーライダー」であって、
子どもを生まないことが経済的に最も得、
ということをゲイリー・ベッカーという、
ノーベル経済学賞受賞者が言っているそうです。
これは結婚したくてもできない人や、
たんに結婚したくない人や、
子どもが欲しくてもできないひとや、
子どもを生まないことを選んでいる人を非難する、
という話ではまったくなく、
単に構造的にこうなっているという事実の指摘、
ということを重ねて言っておきますが。
この不平等是正のために、
「独身税」導入を主張する経済学者もいるぐらいだそうです。
基本的人権とかに抵触しそうなので、
絶対に現実不能ですが。
きっと結婚しない人・子育てしない人がこれだけ増えているのは、
「そのほうが多分『得』」と、
直観する人の数が増えているからで、
ベッカー教授によればその直観は、
あくまで経済学的には正しい、ということになる。
この話を掘り下げるとあまりにも底なしなので、
この辺でやめますが、とにかく、
ようはそうならないように、
「子育ては社会全体の課題」
って考えることが大切なのです。
しかし日本は先ほども書いたように、
その意識が先進国で最も低い。
『私たちは子どもに何ができるのか』という本で、
ポール・タフという人がこういう数字を紹介しています。
引用します。
、、、イギリス、ドイツ、中国では、
自力で生きていけない人の面倒を見るのは政府の責任、
と9割以上の人が考えています。
個人主義のアメリカですら、
72%の人が貧困家庭を社会全体で支えるべき、
と考えるのに、
日本ではそう考える人がわずか6割しかいない。
ヤバいと思いませんか。
シングルペアレントの貧困率が世界最悪の日本で、
子どもを生もうと誰が思うでしょう。
制度的にもマインド的にも、
日本はなるべくして超少子化になっていて、
さらに今から50年時計を進めると、
そもそも老後2000万円の前に、
いくらお金を積んでも自分のために働く人がだれもいない、
というお寒い状況を生みかねません。
そうならないためにはどうすれば良いのか。
社会全体で子どもを育てる、
という意識を共有することです。
明石市で泉房穂元市長がやったことってそういうことでしょ。
しごくまっとうな話だと思います。
▼▼▼僕たちの抱える老後の不安を解消する方法▼▼▼
、、、やっと老後の話に戻ってきました。
「僕たちが抱える老後の不安の解消」という問題について、
「僕たち」の定義によって答えが変わると田内さんは言います。
「僕たち」が自分と家族のみを指すなら、
より多くを蓄財することが正解でしょう。
しかし、「僕たち」が社会全体ならば、
「社会全体で子どもを育てる」という解答の一択になる、と。
私は常日頃、
人は二種類に分けられると考えています。
幸せや資源を「ゼロサム」で考える人と、
幸せや資源を「プラスサム」で考える人。
前者は「誰かの幸福は自分の不幸、
誰かの不幸は自分の幸福」というように、
社会には「幸福というケーキ」があって、
誰かの取り分が増えれば自分の取り分が減り、
その逆も然り、というふうに考える人がのことです。
後者は「誰かの幸福は自分の幸福。
自分の幸福は誰かの幸福のため」と考える人で、
他者が幸せになってくれると、自分も幸せになるし、
自分が幸せなのは他者の幸せのため、という世界観に生きている。
この人にとって、ケーキとは天国の資源のようなもので、
神様は気前が良いのでそれが減ることも尽きることもないと考える。
キリスト教徒になるとは、
尽きせぬ祝福の源泉である神に出会うことであり、
「与えよ、さらば与えられん」という神に出会うことなのだから、
前者の世界観から後者の世界観への移行だと私は考えているのですが、
こう考える人はむしろ少数派なのでしょうかね。
キリスト教徒でもゼロサム的な世界観の人には頻繁に出会いますから。
田内さんの言っている、
「社会全体のことを考える」人とは、
わりとキリスト教の世界観に近いことを言っている気がします。
▼▼▼本書の結語▼▼▼
、、、この部分は解説は不要でしょう。
本書の「結語」で、
若い人々への田内学さんのメッセージです。
「お金を増やすこと」が経済だと思っている人の説明が分からなくても良いよ、
と田内さんは言います。
だってその人は間違ってるんだから。
人の幸福を考えることが経済で、
あなたの労働が誰を幸せにしているか、
あなたは誰の労働によって幸せになっているか、
それを考えるのが本当のお金の話だよ、と。
そうやって社会全体で幸せになろうよ、と。
誰かから奪わなくても豊かになれるし、
誰かの幸福のために自分が失う必要もない。
経済が本当に健全に回るとは、
そんな魔法のステッキのような、
プラスサムの幸福を追い求められる状態で、
アダム・スミスはきっとそれを「神の手」と呼んだのだから。
★★★読書会チケット購入はこちら★★★
・もし決済方法などでnoteでは買えないが参加したい、
という方は直接メールなどでご連絡いただけますと幸いです。
STORESでの販売も現在検討中で、
またはメールでの直接連絡による販売も対応できますので、
参加したいけど決済などの理由で参加できない、
という方はご連絡いただけますと幸いです。