わ 「綿飴」
綿飴が好きだ。というよりも、綿飴を作る機械から発せられるザラメ砂糖が焦げた匂いが好きだ。日本の祭りを構成する「クオリア」を音と匂いと風景とかに素因数分解すると、盆踊りの音/ヤンキーの嬌声/浴衣で初々しくデートする中高生/焼きそばや焼きとうもろこしの匂い/子どもの泣き声/テキ屋のかけ声/おじさんが飲んでるビールの匂いなどに加え、あのザラメ砂糖が焦げた匂いが必須な気がする。あれは「マスターピース」だ。
夜店のやたら高額な綿飴をじゃあ僕が買うかというと買わない。でも、子どもが綿飴に目を輝かせるのを見るのは好きなので父親になった今は買う。あんな体積の「甘いもの」を見るのは、人生で初めてだ、というような感慨とともに子どもは綿飴を食べる。それの正体がたった一握りのザラメ砂糖だということを知るよしもなく。幸せって結局そういうものなんだ。遠くで見ると巨大なのだが、手にするとその質量は夢のように軽く、味わうと思いのほか儚く消えていくことに気付く。幸せについての「子どもへの教育」を綿飴業界は担っているのかもしれない。あるいは原価が鬼のように安くて、笑いが止まらないぐらい利益率が高いので、テキ屋のお兄さんたちは綿飴製作に勤しんでいるのかもしれない。多分後者だ。
あと、最近知ったのだけど、すかいらーくグループがやってる「しゃぶ葉」っていうしゃぶしゃぶ食べ放題のお店があるのだが、そのデザートコーナーに綿菓子の機械がある。けっこう本格的なやつ。あれで子どもたちが綿菓子を作って食べられるようになっている。すべての店舗にあるのかどうかは不明だけれど、我が家から一番近いしゃぶ葉にそれがあって子どもたちが喜んでいてテンションが上がった。綿菓子を目的に、我が家はまたしゃぶ葉に行くかもしれない。僕のような庶民は、すかいらーくグループと夜店のテキ屋の思惑通りに行動を誘導されている。昔はこういうのがやけに悔しかったが、それもしゃあないな、と思うようになることが「親になる」ということなのかもしれない。
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