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僕たちは何のために映画を観るのか




社会学的想像力とは、政治的なものから心理的なものへ、
ある単一の家族の調査から世界の国家予算の相対評価へ、
神学校から軍事体制へ、石油産業への考察から現代史の研究へ、
というように、あるパースペクティブを
別のものへと切り替えてゆく能力なのである。

それは、人間とは隔絶されたような客観的な変化から
身近な自己への親密性へと眼を移し、
そして両者の関わりを見ることのできる能力である。

それが駆動している背後には、
個人が一人の特徴ある存在として生きている社会・時代において、
自分が社会的・歴史的にどのような意味を持っているのかを
知ろうとする衝動が必ずある。
    ――――『社会学的想像力』C・ライト・ミルズ 23頁


▼▼▼映画『あんのこと』を観た▼▼▼


「あんのこと」という映画をAmazonPrimeで観た。
2020年6月に新聞の片隅に掲載された少女の死が、
この映画の着想の元になったそうだ。

ある機能不全家族に育った少女が、
家庭内暴力からシェルターに逃げ、
薬物依存と売春から足を洗い、
小学校で止まった教育を夜間学校で再開し、
夢だった介護の仕事を始めた矢先、
新型コロナウイルスの蔓延ですべてがストップし、
悲劇的な最期を遂げた。

まったく「希望」などない映画だし、
万人には決してお勧めしない。
下手に勧めると後で苦情をいただくかもしれないぐらい、
暗く重く痛く悲しく辛い映画で、
後に残るものは胸の傷と絶望感だけだ。

唯一の希望と思っていた人物の闇を描くことで、
いっさいの希望を拒絶するように、
意図的にこの映画は構成されている。

「こんなもの観なきゃ良かった」
と思う人もあろう。

暗い気持ちになるために映画を観る、
という人は少数派だろうし、
映画ってのは日常の憂さを晴らすものなのだから、
何も考えずに見られるポップコーンムービーで、
スカッとするのが最高なんだ、
という人は是非この映画は観ずにいただきたい。

僕にもそういうときはある。
重厚な社会派の映画よりも、
『少林サッカー』を観て馬鹿笑いしたいときが。
そんなにも疲れているなら、
是非『少林サッカー』を観るべきだ。
ついでに『ラッシュアワー』と、
『ゴーストバスターズ』と、
『マッド・マックス』の最新作も観るべきだ。

しかし、『あんのこと』を観て、
やはり僕が映画に求めているのはこれなのだと思う。
僕はこうした映画に強く惹かれる。

本当に良い映画は答えではなく問いをくれる。

この少女の人生とはいったい何だったのか。

この少女が自分の脳内に棲み着く。

ずっと問いかける。

「あんのこと」の主人公、
香川杏(実際の新聞報道の仮名は「ハナ」)の人生とは。

このような人生が生まれる社会とは。

杏に見つめられ、僕は動けなくなる。

そういえば僕は20代のときに、
是枝和宏監督の『誰も知らない』を、
映画館のレイトショーで4回観て、
DVDも購入した。

何かに取り憑かれたようにあの映画を観たとき、
僕はやはりあのネグレクトのきょうだいに見つめられていた。


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