今月の書籍:『お金の向こうに人がいる』
開催日:2024年3月22日金曜日 20:00~21:30
●お金の向こうに人がいる
著者:田内学
出版年:2021年
出版社:ダイヤモンド社
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▼▼▼偽札を作ってはいけない理由▼▼▼
、、、第1回の解説で、
「お金というのは人が人のために働く社会が実現するためにある」
ということを考えるための田内さんの「思考実験」を紹介しました。
この思考実験を経ることで、
「なぜ偽札を作ってはいけないのか」
の理由が分かります。
「紙幣が生活を支えているのではない。
紙幣を手に入れるために4兄弟が働くことが生活を支えているから」
だと田内さんは言います。
偽札によって貨幣の価値が薄まるのが問題ではなく、
偽札によって納税がバイパスされると、
貨幣を得る必要がなくなる。
すると「人が人のために働く必要」がなくなり、
みんなが支え合って生きていけなくなるから問題なのです。
▼▼▼▼お金というのは「見知らぬ誰かに働いてもらう」権利▼▼▼▼
、、、人が人ために働く社会の実現のためにお金がある。
お金があることでみんなが支え合って生きていける。
いやいや、モノの消費は違うでしょ。
やっぱり「モノを買うため」でしょ。
違います。
どんな消費財にも、
その向こうには「労働」があります。
農林水産業といった一次産業ですら、
魚を捕る、木や野菜を育て出荷する、
という「労働」なのですから、
いわんや工業製品をや、です。
お金とはだから、
「見知らぬ誰かに働いてもらう権利」あるいは、
「見知らぬ誰かに自分の問題を解決してもらう権利」
と言えるでしょう。
これに(健康な人への)「納税の義務」が生じることで、
人はみな「誰かのために働く義務」を負うので働く。
手にしたお金で「誰かに働いてもらう」。
そうやって「労働が循環すること」が、
お金の機能なのです。
▼▼▼価格と効用が違うことを忘れることから来る不幸▼▼▼
、、、価格と効用が違う、
ということを理解できている人は案外少ないです。
自分も価格と効用を混同させられがちなことを知ってますので、
私は何か割引品を買うとき、
「これが定価だったとしても買うか?」
と自分に聞いて、YESの時しか買わないようにしています。
大切なのは「得した感じ」ではなく、
「払ったのに見合う効用を得られるか」
ということであって、それがブレると消費下手になります。
「バイキングで元を取る」という発想が、
私にはまったく理解できないのですが、
それも価格と効用の話です。
バイキングで「食べたものの原価が払った金額以上」であることで、
「元を取った」と満足する人はまったく合理的ではない、
と昔から私は主張しています。
「自分が一番満足して、
翌日に体調不良にもならない量と内容」
を食べたときが「効用を最大化」するこということですから、
食べたものの原価が高かろうが低かろうが、
自分が食べたことで店側が得しようが損しようが、
自分の幸福とはまったく関係ないのです。
200%食べた結果、
翌日病院に行けばそもそも価格でも損してますし笑。
▼▼▼お金とは「みんなが働いてみんなが幸せになることを媒介する道具」▼▼▼
、、、お金は「糸」だと田内さんは言います。
人類がお金を発明したことの最大の利点は、
「顔の見えぬ誰かのために働く」ことと、
「顔の見えぬ誰かに働いてもらう」ことが、
互いに可能になったことです。
「貨幣以前の社会」では、
物々交換と「手間貸し」しかありません。
「北の国から」の五郎さんは中ちゃんの木材工場で働き、
中ちゃんは五郎さんに丸太をあげる。
五郎さんは自分の家で焼いた炭を草太兄ちゃんに届け、
草太兄ちゃんは日本酒の一升瓶に搾りたての牛乳を入れて手渡す。
これは「貨幣以前の社会」です。
貨幣を発明したことにより、
一日中工場のラインで半導体の検査をしている工員が、
地球の裏側でケバブを食べながらイスラム教徒が覗いているスマホの、
ひとつの部品となって「役に立っている」ことを、
意識することなく労働に没頭できるようになった。
私はnoteというプラットフォームと、
記事を購入するというシステムのおかげで、
「見知らぬ誰か」が、
私の有料マガジンや有料音源を買って、
家事をしながら、運転をしながら、
楽しんだり有益な知識を得たりすることで役立つことを信じながら、
記事の執筆や録音に没頭することができるようになった。
(有料マガジン、購読してね! 宣伝)
それが貨幣の発明のすごいところです。
ところが「顔が見えない」ことで、
お金は「壁」にもなる。
たとえば本来50万円の価値と効用しかない自動車に、
「定価200万円のところ特別100万円」で売ります、
という中古自動車屋がネットに記事を出す。
それを信じた消費者は情報の非対称性により不利益を被り、
本来50万円の価値の車を100万円で買う。
顔が見えないことにより、
こうしてお金が「壁」にもなる。
お金が「糸」になるためには、
消費者と生産者が共に、
「効用」に目を向けている必要があり、
それはお金の向こうに人がいることを、
意識できているときに可能になるのだ。
▼▼▼▼お金中心の経済学と、人中心の経済学▼▼▼
、、、お金を中心に考える経済学と、
人を中心に考える経済学。
お金のために人がいるのか、
それとも人のためにお金というものがあるのか。
圧倒的に後者でしょ。
「経済」のルーツになった漢語は、
経世済民という。
「世を経(おさ)め、民を済(すく)う」
という意味だ。
経済はそもそも、人が豊かになるためにあって、
それは「人が人のために働く」ことにより実現する。
お金の「糸」の効果だ。
ところがお金は「向こう側に人が見えない」ことにより、
「壁」にもなる。
今の社会の問題は、
お金の「壁」の効果ばかりが優位になり、
人が互いに人を信用せず、
財布の中のお金を増やすことばかり考えるようになっているからではないか、
と田内さんは言います。
財布から目を離し、人を見よう、と。
あなたは誰の労働で豊かになっているのか。
あなたの労働は誰を豊かにしているのか。
これを考えようよ、と。
結局のところ私達は、
この世の幸福の総量を増やすために存在しているのだから。
そうじゃないですか、と。
▼▼▼個人の預金が1000兆円、国の借金が1000兆円の意味▼▼▼
、、、預金というのは「誰かの借金」ということになります。
お金が「誰かに働いてもらう権利」だとすると、
国民が合計1800兆円預金しているということは、
国民は「未来において1800兆円分誰かに働いてもらう権利」
を有しているということになる。
じゃあ誰がその義務を請け負っているかといと、
銀行の借金なのだけど、
銀行はその借金を様々な債権として金融市場を流通させる。
その最も大口の債権が「国債」で、
それが1000兆円を超えている。
日本政府が借金をしたから、
個人の預金が増えた、と田内さんが言うのはそういうことで、
じゃあ1000兆円を放置して良いのか、
それともバランスすべきか、というのは経済学の難しい議論になる。
私もマクロ経済学者の弟に聞いてみたりもしますが、
明確な「定説」というのはどうやらなさそうです。
本書を読むと田内さんはMMT(現代貨幣理論)に基づき、
国の債務はどこまでも増やして良い、と考えるけれど、
財務省や主流派は「財政均衡」を唱え、
ゆえに緊縮財政を主張しています。
私もちなみに、これについては単純に分かりません。
ノーベル賞クラスの経済学者の間でも、
議論はぱっくり二分しているようですから、
私などに分かるわけがない、というのが相場でしょう。
逆に分かったら怖い。
ただ、田内さんの論は、
ケインズ主義にかなり近いように私には感じられ、
とても大切な視点のように思われます。
このあたりのことは『日本病』という本で、
永濱利廣という人が解説していて、
納得しました。
▼▼▼株の売買の99%は転売行為▼▼▼
、、、株式投資は本質的にギャンブルです。
株式投資で生計を立てるのは、
パチンコで生計を立てるのと、
あまり変わらない。
これが私達の直観なのですが、
「いや、株式ってのは経済にとって大切で……」
というお決まりの反論が聞こえてくる。
失礼な!一緒にするな!と。
だけど、元ゴールドマンサックスのトレーダーの田内さんはこう言う。
その主張はたしかに正しい。
ただし1%だけね、と。
つまり99%はやはりギャンブルなのです。
株式で売買された額の1%未満しか、
「調達されたお金で将来への投資をする」
という大義名分のために使われていないのですから。
誤解しないで欲しいのは転売ヤーやパチプロにも、
きっと何かしらの意義があると私は思っているということです。
転売ヤーや「その定価は適正価格よりも低いですよ」ということを教えてくれる役割、
パチプロはパチンコ雑誌に攻略法を紹介して夢を与える役割がある。
またプロゲーマーにも「人に夢を与える」という意義があるように、
投資家にもきっと意義はあるのでしょう。
私がめちゃくちゃ参考にしている哲学者の、
ナシーム・ニコラス・タレブの本業は投資家で、
彼は投資という営みの中から人生のヒューリスティックを取りだし、
それを世間に紹介している。
同じく投資家の橘玲さんも同様です。
でも、頭の悪い私には正直、
彼らの本業の株式投資自体が何の価値を生んでいるか、
まったく分からない。
何度説明されても分からない。
何の価値を生んでいるか自分でも分からないような仕事は、
きっとやめておいたほうが良いです。
与沢翼を目指すのはやめましょう。
私は少なくとも意義を感じられない。
意義を感じられる人だけがやったら良いと思います。
▼▼▼株式でのゲームは投資ではなく投機だ▼▼▼
、、、株式投資のほとんどは投資でなく「投機」だ、
というのは本当にそうだと思います。
ゴールドマンサックスでトレーダーをしていた田内さんが言うのですから、
そのとおりなのでしょう。
ひとことで「博打」です。
博打で生活できる人も中にはいますが、
博打自体は価値を生みません。
以上です。
しかし「株式市場」という仕組みは大切です。
「金はあるけど夢がない人」と、
「夢があるけど金がない人」をマッチングさせる仕組みが株式市場です。
大航海時代のイタリアの港町で、
株式市場の原型が始まったと言われていて、
大きなリスクと人員を抱えて一攫千金を狙う巨大帆船に、
パトロンが金を出し、利益の配当を得ます。
運良くアフリカ大陸から帰ってこられれば、
巨大帆船は黄金や象牙や香辛料など、
投資したお金の何倍もの価値をたずさえて寄港する。
それをパトロンと乗組員と船長で山分けする、というわけです。
現代の巨大帆船が「株式会社」です。
夢はあるが金がなかった90年代のジェフ・ベゾスに、
金はあるが夢がない大金持ちが投資した。
そのお金でベゾスは巨大な倉庫をぶったてて、
「アマゾン・ドット・コム」というウェブサイトを作った。
30年経った今、
そのときに投資した100万ドルは、
100億ドルぐらいになってるんじゃないでしょうか。
知らんけど。
株式市場というのはそういう仕組みです。
このときに本当に「価値の創出」に関与しているのは、
「コンマ1秒の世界で安いときに買い、
コンマ1秒の世界で高いときに売る」
という勝負をしているトレーダーでないのは明らかでしょう。
コカ・コーラの株式を、
50年以上にもわたって保有している、
ウォーレン・バフェットや、
損得関係なしに「世界をよくすると自分が信じる企業」に、
投資し続けるジョージ・ソロスのような投資方法以外は、
「コンサートのチケット転売と同じ」
という田内さんの指摘はまったくその通りです。
▼▼▼投資で未来を設計し、消費で未来を選択する▼▼▼
、、、じゃあ「投資」って意味がないのか。
ないわけがない。
ありまくりです。
「投資」は、未来を創るからです。
誰かがテスラ自動車に投資すると、
その投資は「自動車の電気化」とか、
「化石燃料に依存しない社会の実現」のために、
人々が労働する。頭脳が使われ、
イノベーションが生まれる。
90年代にインターネット産業のベンチャーになされた投資が、
インターネットに人生をかける若者の労働を生む。
その労働がインターネット産業を作った。
こうして人は投資によって未来を設計します。
繰り返しますがここでいう投資は、
転売目的の投機とは違います。
次に、消費によって未来を選択するとはどういうことか。
スーパーに野菜が並んでいる。
1.たくさんの化石燃料を使って海外で作られた大量生産の野菜
2.あまり輸送コストをかけない地産地消の野菜
1を選ぶことは、
化石燃料に依存し続ける地球を選ぶということで、
2を選ぶことは、
そうでない未来の可能性を選ぶということです。
2を選ぶ人が増えれば、
社会の形は変わっていきます。
2が売れると分かれば仕入れ方も変わるから、
2が儲かるというふうになります。
農業をする若者も増えます。
バカみたいな燃料費をかけて地球の裏側から生鮮食品を買う、
という商慣行は衰退します。
「消費が投票だ」というのは、
こういう意味においてです。
▼▼▼日本政府の1,000兆円の借金の謎が本書の執筆動機▼▼▼
、、、日本政府は1000兆円も借金していて、
それは財務破綻したイタリアやギリシャや、
90年代の韓国と同じ状況かもっと「悪い」のに、
なぜ日本は財政破綻しないのか。
誰でも疑問に思うことです。
マクロ経済学者の弟に聞いてみると一言、
「日本国債を買ってるのが日本国民だから」でした。
日本は最大の債務国なのだけど、
最大の債権国でもあって、
日本は日本に借金しているから大丈夫なのだ、と。
多分(間違っているかもしれないが)、
これは田内さんの「働いているのは誰なんだ?」
と同じような話であるように私には思われます。
1000兆円の借金は何に使われたか。
道路や空港や国民の医療費や自衛隊の兵器や大学や……
に使われたし、今も使われ続けています。
その借金の債権者は「国債」という金融商品を通し、
多くは日本国民が所有しています。
この債権者が日本の外にあると、
第二次大戦直前のドイツと同じように、
ハイパーインフレが起きて国は破綻する、
と田内さんは指摘しています。
▼▼▼人を豊かにするのは常に誰かの労働▼▼▼
、、、政府の給付金を預金しても、
「価値」は増えないし労働は生まれません。
給付金でモノやサービスを買うときに、
誰かが誰かのために働きます。
働いた人は得たお金で、
他のサービスを買って誰かに働いてもらう。
人が人のために働けば働くほど、
社会は全体として豊かになります。
これを媒介するためにお金があるのだけど、
何度も言うように財布の中身だけを見ていては、
自分の預金額だけを見ていては、
社会の全体像が見えなくなる。
お金の向こうに、ちゃんと人を見ようよ、
田内さんが言いたいのはそういうことです。
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