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胸に鉛のある日には


すべてを理解することは、すべてを容認することではない。
しかし敵を愛するなら、変化と和解の可能性が生まれる。
正義への願望だけでは、たとえそれが正統であるとしても、
変化と和解の道を見つけることは出来ない。
そのような可能性があるのは、
愛によって異なる未来を夢見るときである。
      ――――リチャード・ボウカム『イエスと政治』147頁


▼▼▼心の鉛▼▼▼


最近いろいろあって、
心が鉛のように重い。
これが鬱の再発なのか、
単に心が鉛のように重いだけなのか分からない。

人生はいろいろあるのだ。

僕は年間300冊本を読むけれど、
今は本が読めない。

読めないから、書いている。

今、胸にあるこの鉛をじっと見つめる。

これは何だ。

「憂鬱」であり、
「ストレスが結晶化したもの」であり、
とにかく胸の鉛としか言えない。

でも、それを語りきることも大事だと思うので、
いや語りきることによってしか、
僕は前に進めないと思うので、
有料マガジンだからこそ書ける内容を今日は書く。


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