北海道で人生の意味について考えた
人生の意味に対する答えは、
意味それ自体の中にあります。
わたしたちが認識したり変化させたりすることの出来る意味が、
尽きることなく存在ししている
――このこと自体が、すでに意味に他なりません。
ポイントをはっきりさせて言えば、
人生の意味とは、生きるということに他なりません。
つまり、尽きることのない意味に取り組み続けるということです。
―――マルクス・ガブリエル『なぜ世界は存在しないのか』
▼▼▼思い出を拾う▼▼▼
北海道にいる。
すると、いろんなことを思い出す。
その場所、その場所にある「記憶の破片」みたいなものが、
いろんなことを思い出させるのだ。
大学のときの思い出。
10年前の思い出。
5年前の思い出。
愛知県に行っても同じ感覚がある。
思い出の欠片が、そこかしこに落ちている。
社会人のときの思い出。
教会の仲間との思い出。
休日に行った映画館や漫画喫茶。
倉敷にはこの10年ぐらい行けていないが、
やはり行ったときには思い出の破片が落ちていた。
高校のときの思い出。
中学のときの思い出。
小学校のときの思い出。
こういうのって、
生まれてから同じ町にずっと住むタイプの人にもあるのだろうか。
日本はじつは「低移動社会」で、
一般的に考えられているのと逆に、実は大多数の人が、
「ずっと同じ町に住むタイプ」で、
僕のようにいろんな町やいろんな国を移り住むタイプは、
むしろ少数派なのだということを、
『「意識高い系」の研究』で古谷経衡さんが実証的に論じている。
ちなみに、古谷経衡さんは、
「低移動」こそがリア充であり勝ち組なのだと言っている。
低移動の人というのは親の世代から引き継いだ、
家・土地・人間関係といった、
有形無形な資本を引き継ぐから、
スタート地点からすでに有利なのだ、と。
高移動の人はそれらがないので、
自ら必死で努力して低移動のリア充と張り合うのだが、
いくら頑張っても「劣化版リア充」にしかなれない。
東京に群生する「意識高い系」とは、
なんとか「リア充成り」を果たそうとするが、
決して埋まらない差に絶望する人々、という意味だ。
持たざる意識高い系は、
東京生まれで慶応幼稚舎で、
親と親の友だちが高級官僚や有名政治家の櫻井翔に永遠に追いつけない。
だけど頑張ろうぜ!
というのが高移動でもがき苦しんだ古谷さんの本書の内容だ。
『あのこは貴族』という映画と一緒に読むと、
本書の理解が深まる。
話がそれた。
話を戻す。
高移動の人は高移動の人と、
低移動の人は低移動の人と仲良くなりやすいだろうから、
僕の人間関係のポートフォリオは日本人の平均から逸脱している。
それでも僕の友人には低移動の人も高移動の人もいる。
低移動の人も、僕のように、
「この場所には思い出の欠片がいっぱい落ちてる」
みたいなことってあるのだろうか。
興味があるからいつか聴いてみたい。
それはまたいつか誰かと語り合えば良いので、
そのときに譲るとしよう。
とにかく僕には特定の場所に、
思い出の欠片たちが高密度に落ちている。
そこを訪れると、『ゼルダの伝説 ブレス オブ ザ ワイルド』の、
100年前のゼルダ姫との回想シーンが始まるスポットのように、
当時の出来事・感情・音・匂いが思い出される。
それはまるで一曲の歌のようであり、
脳内でその「曲」が自動的に流れるのだ。
▼▼▼思い出でできている▼▼▼
それって何だろうな、とここ数日、考えている。
それらの思い出の欠片によって、
僕という人間は形成されているのだろうな、
と最近は思う。
そしてそれらの思い出を与えてくれた人や自然の存在が、
僕を僕たらしめてくれているのだろうな、と思う。
2月に義理の父が急死した。
義理の父が遺してくれたものはたくさんある。
僕の妻がその最たるものだし、
妻の信仰だって義理の父の信仰由来だ。
今僕が住んでいる家だって、
定年退職後に勉強して不動産業を始めた義理の父が、
売りに出されていた物件をリスクをとって購入し、
部屋を改装し、庭をファミリー向けにし、
キッチンをフルリフォームし、
そして僕たちに相場より安い値段で賃貸してくれた。
13年前、「不安定な仕事だから」と、
妻との結婚に反対していた義理の父が、
その言葉とは裏腹に、
結婚してからの10年間、
僕のことを陰に日向に応援してくれていたことを、
死後に知ったときには涙が止まらなかった。
義理の父が遺してくれた有形無形の「レガシー」は数えたらきりがない。
僕の2人の娘たちのDNAの4分の1は、
生物学的には義理の父由来なのだ。
娘の中にも義理の父は住んでいる。
でも、と思う。
本当に、本当に残るものは、
実はそのどれでもなく、
「思い出」なのではないか、と。
僕の網膜に、
親族や友人や同僚の心に、
フィルムの感光のように焼き付いた、
義理の父との思い出なのではないだろうか、と。
世の中には「値段がつかないもの」がたくさんある。
そして「値段がつかないもの」ほど、
人生において本当に大切なのだと思う。
第一コリント13章の有名な言葉、
「いつまでも残るものは信仰と希望と愛です」
にしても、全部見えないものだし、
第二コリント4章18節の、
「見えるものは一時的であり、
見えないものは永遠に続くからです。」
にしても、見えないものの価値を聖書は、パウロは語っている。
良く言われるように、
これを「霊肉二元論」の新プラトン主義的というか、
グノーシス的というか、そういうふうに捉えるのは間違いだ。
肉体と霊は切り離せないし、
地上と天界(神の国)は連動している。
ヘブライ的世界観に生きていたパウロは、
決して新プラトン主義者ではなく、
そういった論調にむしろ反対していた人なので、
「精神性こそが大切」みたいな意味でこれを言ってるのではない。
パウロが言いたかったのはむしろ、
今日僕が考えようとしている、
「本当にたいせつなものには値段がつかない」
に似たようなことなのではないかと今は思う。
▼▼▼父との思い出▼▼▼
義理の父の話に戻ろう。
義理の父が本当に遺したものは、
「思い出」だったのではないかと僕は思う。
もちろん僕は一親等ではないから、
妻と僕とでその解釈は違うかもしれない。
でも、僕の実の父である陣内学にも、
これは言えるのでけっこう確かなんじゃないかと思っている。
52歳で他界した陣内学が僕に遺したもの、
それはかたちある何かではなかった。
もちろん僕の遺伝子の半分も、
僕が大学に行くための原資も、
僕が18歳までお世話になった衣食住も、
すべて父由来だ。
しかし、本当に今でも残る、
父のレガシーはやはり「思い出」だった。
小学生のときに相撲をとった思い出、
キャッチボールをした思い出、
バイクの後ろに乗った思い出。
「名古屋にプラモデルを買いに連れて行ってくれる」
と約束した日曜日、父は酷い二日酔いで、
降りた駅の近くの適当な神社の境内で、
アザラシのように横になっていた。
「ダメだ、すまん」みたいなことを小さくつぶやいていた。
僕は父とわいわい楽しくプラモデルを買う光景を、
その一週間ずっと思い描いていたから、
「思ってたのと違う!!!」と、
不満を申し立てたかった。
申し立てるためのボキャブラリーをもたない小三の僕は、
ひたすら大声で泣いていた。
泣いて、泣いて、父親をにらみつけた。
二日酔いな上に子どもにギャン泣きされて、
さぞ辛い日曜日だったと思う。
父は家に帰ると母に、
「なんか、ずっと泣いてたよ」と、
悲しそうに言った。
二日酔いにもかかわらず、
少なくとも「男の約束」は果たしたのに、
なんで子どもは笑顔のひとつも見せないのだろう、
とがっかりしたのかもしれない。
あるいは僕から泣いている理由も何も聞き出せないので、
「子どもは何を考えているか分からない」と、
呆れというか困惑というか、
そんな気持ちを母に吐露したのかもしれない。
はたまた、
「ベストコンディションではなく、
二日酔いだということに僕が怒って泣いている」
ということはよく分かっていて、
それを母に言い咎められたくなくて、
「なんか、ずっと泣いてたよ」になったのかもしれない。
真相はもはや分からないが、
あの名古屋の境内で泣きじゃくった一日について、
今でも僕は時々思い出す。
昭和のモーレツサラリーマンだった父は、
平日は深夜まで会社の飲み会や残業、
休日は付き合いでゴルフ、
僕が高校になると東京の本社に単身赴任だったから、
父と僕が過ごした時間というのは、
とても少ない。
とても少ないけれど、
父に肩車をしてもらったり、
父に声をかけられたり、
父がした失敗を家族みんなで笑ったり、
そんな思い出を、
引き出しの中の少ない宝物を、
たいせつに温める貧乏な子どものごとく、
僕は今も時々抱きしめては、そこから暖をとっているのだ。
抱きしめるたびにそれは僕に滋養を与えてくれて、
「明日も生きていこう」と勇気をくれる。
この「抱きしめるべき思い出」に賞味期限はない。
むしろ時が経つほどに味わいが深くなる、
永遠の無形耐久消費財が、「思い出の欠片」なのだと思う。
▼▼▼人生という作品▼▼▼
思い出の欠片の話に返ってきた。
北海道には思い出の欠片がたくさん落ちている。
そこに行くと、一連の感情や物語のつらなりが再生される。
それは「曲」のように脳内に流れる。
そしてその「曲」は、いつも誰かがプレゼントしてくれたものだ。
僕は思うのだ。
僕という人間は結局、
そういった「曲」が集まったものなのではないか、と。
人間とは、「思い出の欠片の集積」なのではないか、と。
それを時々温め、時々聞き返し、時々アップデートし、
そうやって僕たちは人生という作品を作り上げていくのではないか、と。
いや、何か大きなものが、
作品を外部から作ってくれているのではないか。
巨大なジグソーパズルを完成させるように、
1ピース、1ピース、意味と美しさをもって、
それを配置してくれているのではないか。
信仰者はそれを「神」と呼んでいるのではないか、と。
結局、見えるすべては崩壊する。
宇宙で最も確かな法則、
「エントロピー増大の法則」にしたがって、
見えるすべてはいつか崩壊するのだ。
万物は流転し、おごる平家は久しからず、
諸行は無常で、すべては塵と化すのだ。
べつに東洋思想にかぶれずとも、
聖書の『コヘレトの言葉(伝道者の書)』を読むと分かる。
僕のこの体もいつか朽ち果てるし、
僕がした仕事も忘れられていくだろう。
僕が書いたり話したりした言葉も流れていくだろうし、
僕が一生懸命作り上げた有形無形の構築物は、
いつか崩壊して土に還るのだ。
その土が次の命を産む、という循環に期待するから、
僕は毎日仕事をしているわけだけれど、
それでもいつか崩壊することに変わりない。
見えるもので永遠なものなどない。
それが「ある」と勘違いすることを、
聖書は偶像崇拝と呼んでいる。
では、何が「残る」のか。
それは「思い出」ではなかろうか、
と僕は思うのだ。
僕の中にある「誰かと過ごした思い出」。
北海道や愛知や岡山や東京各地や時には国外に落ちている、
「思い出の欠片たち」。
それらは僕という肉体が朽ち果てたあとも、
残るのではないかと僕は思うのだ。
何かスピリチュアルなことを言っているのではない、
ということを分かって欲しいのだが、
それらの「思い出の集積」こそが僕という自己同一性なのだとしたら、
その思い出の集積はやはり残るのではないかと思うのだ。
それを「意味」と人は呼ぶのかもしれない。
僕らが「人生に意味はある」と言うとき、
それはこのような思い出の集積としての、
完成した(あるいは未完の)パズルとしての、
「意味」なのではないかと最近は思うのだ。
僕たちの思い出の破片を集めて、
それを「大いなる手」が組み合わせていくとき、
そこに「意味」が立ち現れる。
その「意味」は誰か他の「意味」とつながっている。
僕が思い出の破片を北海道で拾い集める作業をするとき、
他の誰かの「思い出の欠片」のピースの一部に、
僕と過ごした時間や会話がなっている。
そうやってフラクタルに意味が組み合わさる。
その意味の組み合わさりを、
僕たちは「世界」と呼んでいるのではないだろうか。
だとするなら、何の役に立たなくても、
何もできなくても、世界を経験するというだけで、
僕たちの世界には、誰にとっても「意味がある」
ということになる。
ヴィクトール・フランクルはこれを「経験価値/態度価値」と呼んだし、
フィクションの中のハンセン病当事者は、
「だから意味はある」と手紙に書いた。
最後にその手紙を紹介しよう。
、、、僕たちが「思い出の欠片」を時々拾い集め、
時々それを抱きしめ、温め、暖を取る。
それは決して懐古趣味ではなく、
自分と他者の人生を意味あらしめるための、
たいせつな行為なのかもしれない、
と僕は北海道で考えている。
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参考文献および資料
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・『「意識高い系」の研究』古谷経衡
・映画『あん』
・『あん』ドリアン助川
・『人間とは何か』ヴィクトール・フランクル
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