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愛と勇気だけが友だちさ




そうだ おそれないで
みんなのために
愛と勇気だけが ともだちさ
   ―――アンパンマンのマーチ やなせたかし 作詞


▼▼▼勇気について▼▼▼


日本ではあるときから、
「勇気」が美徳でなくなった、
という話を先日、
内田樹と白井聡さんの対談本で読んだ。

まずは多少長いが引用しよう。


→P249~251 
 内田:僕が子どもの頃、1950年代の少年たちが親や教師たちから強く求められたのは「勇気、正直、親切」でした。これには戦中派自身の反省が込められていたと思います。自分たちは時流に流されて、日本社会全体が間違った方向に向かっているときに「それは間違っている」と言う勇気がなかった。多くの人が「このままでは大変なことになる」と思いながらも口をつぐんでいた。そのせいで、祖国は壊滅的な敗戦を迎えてしまった。自分に勇気がなかったせいで祖国を焦土にしてしまった。もっと勇気を持つべきだったというのは戦中派の偽らざる実感だったと思います。だから、戦後世代に向かって、まず「勇気を持て」と教えた。どれほど圧倒的多数派が相手も退くな、と。それはもう少年マンガも全部そうでしたから。

 白井:逆に言えば、臆病者と罵られることが最低の不名誉ということだった。

 内田:僕らが感じたのは「臆病者」を罵倒する風潮と言うよりはむしろ「勇気を持つ」ことを大人たちが僕ら子どもに向かって懇請するという感じでした。「お願いだから、勇気をもって生きてくれ」と子どもたちを励ますような時代の気分でした。
 でも、ある時期から「勇気、正直、親切」という徳目が少年文化から消えました。それに代わって登場した新しいスローガンが1980年代以降の「友情、努力、勝利」という「週刊少年ジャンプ」の少年文化です。「友情、努力、勝利」だと、孤立している人間はそもそもゲームのプレイヤーとして認知されていない。だから、孤立した子どもは努力することも勝利することもできない。「まず仲間を作れ、それもできるだけ強い集団に帰属せよ」というのが80年代以降の少年たちに少年マンガを通じて繰り返し刷り込まれた新しいイデオロギーでした。「孤立してはならない。孤立したらおしまいだぞ」というイデオロギーがそれからほぼ半世紀近く日本の子どもたちに刷り込まれてきた。それでは勇気のある子どもなんか生まれるはずがない。

新しい戦前

、、、今の日本には「勇気」が失われた、
と二人は嘆いている。

たとえばマスコミは、
放送法の許可取り消しを政府からちらつかせられると、
一致団結して権力の番犬として戦うのではなく、
逆に従順な家犬のようにシュンとしてしまう。
日本はロシアや北朝鮮とは違う。
政府にたてついても命を失うわけではないのに、
敢えてリスクを取って正論を言う人間がいなくなった。

組織の横並びの論理で、
悪目立ちしないように誰もが振る舞う結果、
組織はクズ化する。
権力者のケツの穴でも舐めるようになる。
そこに矜持もへったくれもない。

「強きをくじき弱きを助くヒーロー」は消え、
「弱きをくじき強きを助くポジション取りのクズ」ばかりになる。

今の日本から「ヒーロー」は消えた。

何より、勇気がない。

気概がない。

意気地がない。

なぜ、こうなってしまったのか。

内田さんは、
「戦前・戦中派がいなくなったからじゃないか」と言う。

戦争を経験した先の世代は、
「自分たちに勇気がなかったから、
 国がおかしな方向に向かったとき、
 声を上げなかった。
 その帰結として国は焦土と化した」
という悔恨の思いがあった。

「あのとき私に勇気があれば」


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