見出し画像

子育てとコスパと二周目の人生と




よく、子どもを授かると、
「こんなに大変な思いをして自分を育ててくれたのか」
と親の苦労が理解出来ると言います。
でも私は、本当は逆だと思うのです。
子どもが親をこんなにも幸せにしてくれる存在だと言うことを知るのです。
「小さい頃は私も母さんに
 たくさんの幸せをあげたでしょ。感謝してよね(笑)」と、
他愛もない親子の会話。
     ―――『パパは脳研究者』池谷裕二 29頁


▼▼▼小学生の親▼▼▼


長女が幼稚園を卒園した。
新年度からは小学生だ。
やっと自分が「親」だということには慣れた。
でも「小学生の子どもがいる親」にはなったことがないから、
どうして良いのかよく分からない。

「小学校の子どもがいる親の顔」がどういうものか分からないので、
さしあたり今まで通りの顔をしておく。
誰かに怒られたり嫌みを言われたりしたら、
そのときに修正すれば良い。
みんなが常識として身につけていることを、
意識的に学習することでしか身につけられない僕は、
たいていのことについてそうやって生きてきた。

「葬式では悲しそうな顔をしたほうが良い」

「誰かが嬉しそうに何かを話していたら、
 さほど興味がなくても興味がある顔で聞いておいた方が良い」

「誰かが天気の話しをしているときは、
 その人は別に天気や気候や気候変動に関心があるわけではなく、
 単に目の前の僕と話す話題に困っているだけだから、
 内容は何もなくてもかまわない」

「元気ですか?」というのは、
 別に僕が元気か病気か、
 その間の1~10の中のどれぐらいかを、
 正確に知ろうとしているわけではないので、
 考え込む必要もないし、
 特に何かを聞いているわけでも実はないので、
 元気でなくても「元気です」と返すのが正解。

そういうことのひとつひとつを、
意識化して学習しなければいけないので、
本当に疲れるのだ。

「小学校の子どもがいる親の顔」なんて、
僕以外の保護者全員は、
昔々、僕が喘息で学校を休んでいる間に、
実は「秘密の授業」でとっくに学習済みで、
僕だけがその顔が分からず、
空気が読めない顔をしている可能性もあるので、
しばらくびくびくしながら能面のような顔で過ごす。
いつでもどんな表情でも作れるように。

そういえば、僕にわりと似た性格と思われる長女は、
「小学生になったことないから、
 小学生がどういう顔をして良いかわからない」
という顔をしている。
能面になっている。

血は争えないのだ。


ここから先は

6,046字

¥ 199

NGOの活動と私塾「陣内義塾」の二足のわらじで生計を立てています。サポートは創作や情報発信の力になります。少額でも感謝です。よろしければサポートくださいましたら感謝です。