つ 「連島」
先週と同じ、地名シリーズ。連島は僕が住んでいた場所だ。連島っていうのは、昔は島だった、みたいなことだったと記憶している。水島は確実にそうで、かつては瀬戸内海に浮かぶ小さな島の一つだったが、干拓によって土地が広がり今は地名になった。ウィキペディアで調べると、連島は「水島コンビナートのベッドタウン」と書かれていて、僕が小学校5年から高校三年まで、つまり1987年~1995年まで連島に住んだのは、まさにウィキペディア通りの住み方だったことが分かる。
僕の父は東京大学工学部(と大学院)を卒業した後、「奨学金を返さなくて良い(会社が肩代わりしてくれる)」という理由で、「日本鉱業」に就職した。その後社名が「共同石油」になり、「ジャパンエナジー」になり「JOMO」になり、今はその名前のガソリンスタンドはなくなって「ENEOS」のグループの一部になっているはずである。ライバル企業の出光も、当時の共同石油も水島コンビナートに製油所を持っていて、父はハイオクガソリンを研究する技術者だったので、ウィキペディア通りに連島の企業団地に住んだわけだ。
水島という地区は、それはもう治安が悪く、映画『8マイル』に出てくるデトロイトの街だとか、スコセッシのギャング映画のブルックリンのように荒れ果てていた。北斗の拳とかマッドマックスに出てくる変な乗り物やモヒカン男は出てこないが、僕の心象風景はそれに近いものがある。今から考えたら、という話しなのだけど、水島にはコリアンタウンがあり、そこの生徒たちが異様に喧嘩が強く、おそらく地元のヤンキーたちとの闘争とかもあって、それはもうアウトレイジな風景が日常的に繰り広げられていたわけだ。辰吉丈一郎の学生時代の喧嘩伝説とかは身の毛もよだつほどエグいが、実は彼もあのあたりの出身だったと記憶している。
そんなわけだから「水島に遊びに行く」というのは特に中学生になった頃からは「命がけの旅」だった。あまり目立ちすぎない格好をして、でも、あまりにも「ひょん」な格好もしてはいけない。「ひょん」とは倉敷の当時の方言なのか倉敷南中学校のその時期だけの流行語なのか分からないが、「標準学生服のモブキャラ」みたいな意味で使われていた。喧嘩が弱すぎる奴、っていうような意味。「ひょん」も、「派手すぎる奴」も不良のターゲットにされる。絶妙なラインの洋服を着て「ヤンキーレーダー」にひっかからないように行動しなければ、カツアゲのターゲットにされて所持金をすべて失う。お札は靴下と靴の間に入れる、などの基本的なライフハックはしていたが、それでも失うときは失う。水島のヤンキーはマジでアウトレイジだったのだ。彼らの親はもっとアウトレイジで、アウトレイジな事務所でアウトレイジな活動をしていた。
数年前、その連島が全国ニュースになっていた。2017年に発生した集中豪雨による水害で倉敷市の真備町が大変なことになっていたのだ。そのニュースのなかで、連島のあたりもひどいことになっている、という映像が流れた。あのあたりは自然災害が少ない地域だという認識だったので、弟と後日驚いて話した。
僕たちの家はおそらく「かつて瀬戸内海の島だった」類いの、小高い丘の上にあり、徒歩30秒の小学校はその名も、「旭ヶ丘小学校」だった。丘の上から5分ほど裏道で山を下り、あと5分歩いたところに「なべや」という駄菓子やがあり、小学校のときは週に3回は通っていた。ミニ四駆、キン消し、ビックリマン、なべやには小学生たちがたむろし、そこには小さなコミュニティができていた。きなこ飴のクジはやりこみすぎてどれが当たりか第六感で分かるようになっていた。5回連続で当たりを出してなべやのおばさんにじろじろ見られたこともある。その「なべや」も水没してしまったのだろうか、とあのニュースを見ながら心配になった。倉敷には2013年に妻と一緒に行ってから、一度も訪れていない。いつも「いつかまた訪れたいな」と思い続けている。
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