【小説】余命1年、僕は自分を探す旅に出た 第6話
▼▼▼第6話▼▼▼
――1――
夢の中でデーミアンが言った。
「この人工的に切り離した、
公認の半分だけを神聖視するのではなくて、
世界全体を神聖と考えるべきじゃないか!
そうなれば、僕たちは、神の礼拝とならんで、
悪魔の礼拝もやらねばならぬ道理だ。
それがいいと僕は思うのだ。
あるいはまた、悪魔を自分のうちにつつんでいるような神を
つくり出す必要があるかもしれぬ。
この世でもっとも自然なことが行われるときに、
目をつぶる必要のない神をつくるんだ*」
(*講談社 秋山英夫訳)」
、、、学人は何も言葉を発することができず、
ぶわぶわした緑色の背景の観念的な世界で、
手足を動かすことができなかった。
夢の中の学人はなぜか鮭とばを手にして、
学人は「観念的なデーミアン」を見つめるしかなかった。
目が覚めたとき、
学人は出鱈目な夢を見たせいもあって、
自分がどこにいるか一瞬、分からなくなった。
白い壁紙に囲まれたその部屋が、
地方都市の「掃きだめの203号」ではなく、
幼なじみの住む帯広の一室だと気づくのに、
しばらく時間を要した。
枕元に置いたチープカシオを見ると、
4時半だった。
何時に寝たのか分からない。
たぶん真のベッドで横になったのはまだ夕方5時で、
こんな早い時間に寝られるわけがないと思いながら、
ヘルマン・ヘッセの文庫本を読んだ。
そこまでは覚えている。
たぶん7時前には寝たのだろう。
自分でも気づかず長旅に疲れていたのだろうし、
何せ自分は病人なのだ。
自覚症状こそないけれど、
いつ血を吐いて倒れても何の不思議もない。
バリトンボイスの医者が見せたレントゲン写真は、
そう語っていた。
ついでに医者は膵臓から分泌されるインシュリンが影響されると言った。
だから血糖値が安定しないらしく、
急に眠くなったり異常に疲れたりすることはそういえばあったが、
バリトンボイスの言うとおり、膵臓がんは自覚症状がほとんどない。
問題は腹腔内に播種した悪性がん細胞で、
そちらのほうが身体をゆっくりと殺す。
癌のことを英語で「キャンサー」というが、
これは蟹のことだそうだ。
蟹の足のように、他の臓器に侵襲して蝕む。
自分は身体の中に蟹の形をした悪魔を飼っている。
夢のデーミアンはそのことを言っていたのだろうか。
夢のデーミアンは癌細胞の化身だったのだろうか。
いや、違うな。
そういえば真は獣医だから、
癌についても分かるのだろうか。
後で聞いてみよう。
歯を磨くために立ち上がろうとすると、
足下がふらついて膝をついた。
ほら、血糖値だ。
長風呂でのぼせたときのように、
一瞬景色が遠のき、
また戻ってきた。
膝をついたまましばらく学人はその姿勢を保つ。
スティーブ・ジョブズは2003年に膵臓癌が発見され、
手術を繰り返しながら、
2011年に死ぬまで精力的に活動した。
癌で痩せ始めた2005年にスタンフォード大学でした、
卒業生に贈るスピーチを学人は大学の寮の一室で見た。
YouTubeがまだGoogleに買い取られる前のことだ。
connecting the dots.
点をつなぐ。
stay hungry, stay foolish.
ハングリーであれ、愚かであれ。
大学生のときには、
「こんなものか」と思ったが、
10年後、誰もが羨む上場企業会社を辞め
うらぶれた港町で派遣社員として働いていた30代に、
またこの動画を見返したときになぜか涙が流れた。
そのときにはジョブズはこの世にはおらず、
アップルの時価総額は世界一になっていた。
帝国を残してジョブズは星になった。
「人生とは星座を結ぶようなものだ」
と言っていたジョブズは星のひとつになった。
ジョブズはすべての権威に反抗した。
たいへんなエゴイストでもあった。
でもジョブズは格好良かった。
「大人たちに褒められるようなバカにはなりたくない」
と歌った甲本ヒロトと同じで、
最後まで「社会」に迎合も屈服もしなかった。
そして「世界」を旅しながら死んでいった。
俺は癌の宣告を受けて初めて、
「世界」を生きる決意がついた。
あまりにも遅い。
情けない。
ヒロトは笑うだろうか。
いや、「ドブネズミみたいに美しい」
って言ってくれるんじゃないだろうか。
考え事をしながらしばらくしゃがんでるとガラっと音がして、
真が駆け込んできた。
「大丈夫か?」
手にはペットボトルに水を持っている。
耳をそばだてていたのか。
「いや、音がしてからまた無音になるから心配なって。
倒れたんじゃないのか?」
「大丈夫だよ。
ちょっと血糖値が安定しないみたいで
時々こういうことがある。
あと、しゃがんで考え事してた」
「紛らわしいことするなよ」
真は安堵の笑いと心配のないまぜになった、
困ったような表情でペットボトルを差し出す。
「今日のドライブ、やめとくか?」
「それはない。
絶対に行きたい。
やっと世界に出られたんだから」
「何のこと?」
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