そして金だけが残った【後編】
金なんて望むな 幸せだけを見ろ
――――黒板五郎(北の国から『2002 遺言』より)
▼▼▼「不安のコスト」としての預金とその処方箋▼▼▼
「昭和スゴロクの終焉」の結果、
僕たちは「人生という鉄の棒」を支える、
「支え棒」を、カネ以外に2つか3つ、
自分で見つけ、育てる以外になくなった、
と僕は【前編】の最後に書いた。
しかし、その育て方を、
僕たちの世代は教わってこなかった。
そりゃそうだ。
先生も親の世代も、
そんなことしたことなかったんだから。
結果、親の世代がもっていた「支え棒」の、
すべてを失った僕たちには、
「カネだけが残った」。
これが、
「人生ゲーム的人生観」、
つまり「人生の通信簿=カネの量」になっちゃった人の、
正体なのではないかと僕は考えている。
「もう、信じられるものはお金しかない」
先ほど言った僕たちの「生」という鉄の棒を、
「お金」という一本の棒で支えようとして、
ぐらぐらしている。
いくら「お金」が太くても安心しないから、
ひたすら貯金額を増やそうとする。
投資にも手を出す。
とにかくこの数値を増やさなければ。
このパラメータこそ、
自分の「安心」なのだから。
存立の基盤なのだから。
最後はこれしか助けてくれるものがないのだから。
かくして「個人の預金額が世界一で、不安も世界一」という、
意味の分からない世界価値観調査の結果がはじき出される。
他国の人は思う。
「そんなに預金があれば、普通は安心なんじゃないの?」
違うのだ。
預金額は、「不安のコスト」なのだ。
そして不安というのは際限ないものだから、
預金額はいくらあっても常に「足りない」のだ。
お金を使う?
とんでもない。
「だって、老後のために預金がなきゃ不安でしょ」
と、億の預金を持つ80歳の方が言っていた、
というネット記事を見た。
あなたの老後はいったい、いつなのだ。
そうなっちゃってる人、
というか将来そうなりそうな人って、
今の40代以下に、一定数いるのではないかと、
僕は疑っている。
特に親の世代のエートスを深く内面化した「偏差値秀才」、
つまりは一流企業や官公庁に就職したりした人々に、
この傾向が強く見られるように僕には思われる。
あくまで一方的な主観なのだけど。
こういう人たちを「治療」しようというのは、
いかにも傲慢で差し出がましい。
だから、あくまで自分がそうならないためには、
どうすれば良いのか、自分なりに考えてみる。
つまり、カネの他に「支え棒」を持つにはどうすれば良いのか。
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