環境問題への「認識」の違い
ツイッターで見かけた「とある投稿」が気になった。
プラスチックのコップを使わずにマイカップを使うようになった…との報告ツイート。
多分、職場で使っているのは”こういうタイプ”のプラスチックカップだろう。
コヒー・紅茶・お茶を入れる部分だけ交換するタイプのヤツ。
これを使わずにマイカップにチェンジした…というわけか。
「まだまだ甘いな…」
自分は以前から唱えているが。
【廃棄物経済学】の観点からすれば、このケースでのマイカップへのチェンジは何か違う気がしている。
この投稿者が会社で使うべきは紙コップじゃないのか?
【環境負荷値(俺が提唱する造語)】レベルで考えると、物質資源を消費するより「マイカップ」や「マイ箸」が効率がいいケースって「大量の洗い物がある場合」じゃないかと。
でないと…たった1個のコップ(カップ)やたった一膳のお箸を洗うのに、洗剤を使ってどれだけ水資源を消費し汚すんだって話になる。
物質的な資源の節約のためには水資源を汚染してもノープロブレム…という考え方は、大局的に見ておかしいとは思わないんだろうか?
プラスチックのコップから乗り換えた…という自己満足で思考が終わってしまっているのが非常にもったいない…。
上記の過去ネタで宣言した通り、俺は今年の冬から家でマグカップや金属製お箸の使用を止めて、コーヒー・紅茶を飲む時には紙コップを使い、弁当やカップラーメンを食べる時は割り箸を使うようにしている。
(ちなみに、汚れ具合によるが紙コップは沸かしたついでのお湯で熱湯消毒しつつ2日間ぐらい使っている)
こうすることで、プラスチックゴミを出さないのはもちろん、洗剤の使用によって水資源を汚染しなくて済むし、何より極寒の中…冷たい水で洗い物をしなくていいという精神的に楽なメリットがある。
自宅で料理する人で大量の洗い物があるならともかく…全く料理をしない独身中年の一人暮らしには「使い捨て」がピッタリだと悟った。
ついでに言えば、上記のマイカップを持参した人…。
「そのコップはいつ・誰が洗うのか」
問題もなくないか?
総務や庶務の人に洗わせるのは、今まで無かった「食器洗い」という業務を増やすことになるわけだし。
自分でやるにせよ、勤務中ならば「コップ洗い」の時間にも給与が発生しているわけだよね?
マイカップが悪いと言っているのではない。
大局的に物事を考えず、マクロのレベルで「プラスチックの使用を止めるのは称賛されるべき行動だ」と思い込んでいるのはどうか?
…という問題提起の話。