しょせん他人事ですから? 【令和における判断基準】
判断の基準が人それぞれすぎて難しい案件ですが…。
あくまで「山川の個人的な感覚」として…共感は求めませんが、芸能村で生活している一人の勝手な意見として見ていただければと。
昨日、中山美穂さんがお亡くなりになられたことが公表され、今もなおネットがザワついている状態が続いています。
最大の疑問は…
だと思われます。
など。
続けて「気になる」のが親族の反応なわけですが…。
中山美穂さんには中山忍さんという妹さんがいます。
彼女も芸能人です。
で、そんな妹さんへインタビューすることに対し
と騒ぐ人たちがいるのですが…個人的には”それ”は違うと思います。
まがりなりにも芸能村で育ち、ファンを楽しませ、その対価として高額な給料を貰ってきた人たちです。
ファンが直接払った歌唱印税や、企業を通しての間接的な広告費などで給与をもらってきたわけです。
ならば、最期の状況もファンに伝えるのが責務なんじゃないのかな…と私は思います。
青春の時代を共に生きた者として、自分も中山美穂さんのCDを何枚か購入しており、今でも聴き続けています。
それ故、自分の気持ちへのケジメというか区切りとして「死因は?」を知りたくなるのは当然じゃないですかね?
などと、自分の精神を納得させたいのがあります。
仮に妹さんが一般社会で働いている方で顔出ししてないのでしたら「やりすぎだろ!」と言われても仕方ないことかと思います。
ですが、妹さんも芸能村の住人です。
姉の最期の様子をファンに向けて伝えるのが「やりすぎ」とは思えないわけです。
とある写真週刊誌のように…。
「(質問の例として)本当の死因は何だったんですか〜!?」みたいに個別で執拗に追いかけるような取材方法は嫌悪感を持たれます。
ですが、マスコミを集めて囲み取材で
と応じるのは、モヤモヤしているファンに向けての最後のメッセージにあたるものでは…と考えます。
妹さんへの取材で「不謹慎ガー」と叫んでいるのは、秋田県のスーパーに出没した熊を処分したことに対し「動物愛護ガー」と叫んでいるのと一緒だと感じています。
でもそれって
しょせんは綺麗事ですし、
しょせんは他人事ですよね。
「自分がされたら嫌なこと」のお気持ちを他人に押し付けすぎている気がしてなりません。
例え、自分が芸能村で働いてなかったとしても…イチファンとして「中山美穂さんの最後の様子を知りたい」です。
1980年代からキラキラのアイドルだったミポリン…。
54歳という若さで亡くなってしまった彼女の記憶を一生心に留め、今後も生きていきたいと思います。
そして…やがて自分が54歳を迎えた時に
と思い出し、後世に語り継ぎながら一杯飲みたいと思います。
ってなわけで。
自分の判断基準で気に食わないことを、なんでもかんでも「不謹慎だ!」と言う社会の風潮には若干疑問を感じる次第です。
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