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地域医療で対話してみた-オープンダイアローグから創造する新しい医療(6)-

 こんにちは、純度の高いおじさんになりつつある研修医ShunIshikawaです。暇さえあれば、空手家、ジークンドー、合気道、システマなど武道、格闘技系のYoutubeを観ています。
※本題と全く関係ありませんが、重心の移動の鍛錬や仙骨の操作など絵面が渋いニッチな動画を嗜む人々を純度の高いおじさんと言います。

 さて、オープンダイアローグに関する連載も第六回目です。そろそろ書き貯めていたアイディアも出し切り終盤になりそうです。

これまでの連載〜全六回〜

第一回はオープンダイアローグとはそもそも何かというお話でした。

第二回は、救急科での経験からオープンダイアローグのニーズは救急医療においてもありそうだというお話をしました。

第三回は、また基本に戻って、そもそも対話ってなんだろうという話を深めていきました。

第四回は、対話の場、対話が出来るコミュニティはたくさんあった方が良い。その一例として春日部のサブスク農園Coltivateを紹介しました。
※連載中で一番読まれています。ありがとうございます。

第五回は、対話の場、対話が出来るコミュニティとしてのお寺、カフェの魅力についてお話ししていきます。

そして、第六回は、地域医療の場はオープンダイアローグを活かすいい環境になるのではないか?というお話と、地域研修の際に実際にオープンダイアローグを実践してみた件についてお話していきます。


地域医療×オープンダイアローグ

 日本の研修医教育の中では、地域医療研修というものがあります。大病院で普段研修している医師も1ヶ月程度は町のクリニックや離島、僻地医療に従事するプログラムが組み込まれています。地域医療に一ヶ月ほど従事した経験から、オープンダイアローグが地域医療と相性が良さそうだったのでその点について解説していきます。

地域医療での精神科診療

 医師の少ない地域であっても、精神科の患者さんは多くいらっしゃいます。うつ病や双極性障害、統合失調症、不眠症などで精神科に掛かる患者さんは日本で400万人以上、大雑把に換算して30人に1人は精神科に受診しているような状況です。(※参照:精神保健医療福祉のデータと政策 )

 都市部では精神科医が多すぎるといった問題もあるようですが、医師分布の偏在は精神科でも同じで地域に精神科医師がいないといったエリアも少なくありません。そもそも医者が地域に数人しかいない地域もあるので、専門的になれば尚更不足するのは明白ですよね。

 すると30人に1人と言われるくらいいるメンタルに問題を抱えた人々がどう受診するかというと、①地域に往診という形で精神科の先生が月に数度くる機会を利用する。②都市部や大病院まで出向いて診療を受ける。③専門ではないけど地域にいる医師に精神面も診てもらう。大雑把にはその3パターンになります。

 往診の先生も月に数回、都市部までのアクセスは非常に良くない…となった場合③の専門ではないけど地域にいる医師に精神面も診てもらうが1st Choiceになる訳ですが、近年精神科領域の薬剤は新薬が次々と登場しており専門化が進んでいるためなかなか専門ではない先生が扱うにはハードルは上がっている印象です。

地域に精神科医がいないと起こること

 地域に精神科医がいないとどうなるか。当然といえばそうですが、専門的な治療が必要な方が治療を受けるハードルが高くなってしまいます。地域の先生に手に負えない状況になると、総合病院のような大きな病院の精神科に紹介となる訳ですが、うつ病や統合失調症などの患者さんにとって家から出て大病院まで移動して、長時間診察まで待つというのはとても大変なことです。(身体に病気がある人でも同じく病気を患いながら長距離移動するのはつらいですね。)

 また、たとえば医療保護入院といって患者さんご本人の同意がなくても、精神保健指定医(精神科専門の先生の資格の1つ)がいれば入院の必要性があれば入院を決めることが出来る制度があるのですが、精神科専門ではない先生にその権限はありません。明らかに治療が必要な状況、でもご本人は内服や入院に積極的ではない(病識がない)時に手の打ちようがなくなってしまうのです。

閉鎖的な地域だからこそ根強いスティグマ

 僻地の村や諸島などはコミュニティが小さく村全体が顔見知りといったところも少なくありません。その地域の閉鎖的な空気が辛く精神的に不調になる方も多くいらっしゃいます。一方で、閉鎖的な地域だからこそスティグマ(日本語では偏見、差別、誤解などと訳される)も根強くあるように感じました。病気であることを隠さざるを得ない雰囲気、どうやら精神病らしいといった噂や気まずさから発症後に親戚が疎遠になり孤立するといったこともあるようです。大声を出している人がいて怖いといったことで警察への通報がいくことも…。精神科疾患=怖い、危ない、おかしいといった価値観はまだまだ根強いです。うつ病=甘えとかもですね。繰り返しますが30人に1人が精神科に受診する国、15人に一人が一生に一度はうつ病を経験するにも関わらずです。

 狭い地域だからこそ、目立ちやすく、孤立しやすい。ちいさな地域で病気を抱えながら生きていくしかないけれど、病気を抱えて地域で生きていくということは想像していた以上にタフな事なんだと知りました。

地域の精神科診療でオープンダイアローグが活躍する?

 上記のように、地域医療の現場では精神科診療のニーズはある一方で、非専門家が取り組む状況としてはなかなか難しいような状態です。地域医療で活躍する先生方は、大変だけどやらないといけない課題として精神科診療に悩んでいる方も多いのではないかと思います。

 この連載の第一回でも紹介したようにオープンダイアローグの手法は元々は急性期の統合失調症の患者さんに対する治療として発展したものです。薬剤や入院治療になるべく頼らず、対話を中心として行われる手法のため、高度な精神医療の否定、権力構造のフラット化といった側面を持っています。   
 つまり、地域医療を支える医師が専門ではない精神科診療を行う上でオープンダイアローグは実践しやすい手法のように思います。新薬の知識、入院させる権限がなくとも、もっと言ってしまえば医師でなくとも実践出来るのがオープンダイアローグの強みです。このため、地域で精神科疾患の患者さんもみる総合診療医や家庭医の方にもオープンダイアローグは武器になりそうです。ぜひ総合診療医などを志す先生にも一緒に学んで考えていただけたら嬉しいです。

 ということで、地域医療の研修の際に簡易版オープンダイアローグを実践してみました。チームで介入することはいち研修医がリードして行うには難しかったので、普通の救急診療にオープンダイアローグの要素を入れた程度のものではありますが…。実践からの反省と感じたことについて共有していきます。

地域医療でオープンダイアローグやってみた

 まず、注意書きとして守秘義務に違反しないようにケースを紹介するのは難しいので必要な要素だけ残して、フィクションを織り交ぜてお伝えします。

 今回のケースは、統合失調症を患うAさん、お薬の治療も始まっていますが最近調子が悪く被害的な妄想が強くなり警察に助けを求めたところで救急要請となり病院にいらっしゃいました。Aさんは犯罪者的な人から攻撃を受けているから助けて欲しいといった訴えをくり返しています。僕は、とにかく対話を続けること、広めること、深めることを意識して具体的にどんなことをされたのか、どんなことに困っているかなどのお話を詳しく話してもらいました。話しているうちに、興奮して吐き気がする肺が悪いなどの体調不良も訴えていたものが話に集中しだしてからはあまり話題にのぼらなくなってきました。逆に、生活が苦しいなどおそらく本当に困っていると思われる事柄についてのお話が増えてきたように感じました。

 ここで僕は失敗をします。福祉的なサポートなど様々な支援が必要なのは「僕から観たら」明らかだったので、福祉の介入はこれまでありますか?そういったものに頼るのもいいかもしれないですよ、とつい「説得」を始めてしまいました。「変えよう」してしまったといっても良いかもしれません。 
 ここでのAさんは鋭かったです。僕が「説得」を始めた途端、そういう話をしに来たのではないと強く拒絶しました。オープンダイアローグの原則の6つ目、「不確実性に耐える」がいざ実践すると、もどかしく難しいことに気づきました。後から振り返ると、この時明らかに僕は患者さんを変えようとしてしまった。Aさんの主観では犯罪者に狙われて困っている、お金にも困っている、そういった視点を無視した説得は本人にとって失礼かつ見当違いにうつったことでしょう。本人の思いを尊重した語りかけではなかったと反省しました。一方で、ではどうしたら明らかにサポートが必要そうなのに説得せずに必要な支援を設定するところまで話を進めるんだ?本人が困っている状態から脱するにはそれが必要なことなんじゃないのか??との新たな疑問点も見つかりました。

 これではいかんと思い、リフレクティング(医療者同士での会話をクライアントさんに聴いていてもらう)をしてみます。といってもチームというよりは、一緒に救急対応してくれていた看護師さんや上級医と方針を話すのをこそこそ話したり裏手で話すのではなく「ちょっと他の先生達と相談するので聴いていてください」と前置きした上で、患者さんの前で考えていることや方針を相談していきました。この時は、患者さんは訝しげな様子で相談しているようすをじっくりと観察しているようでした。ここで難しかったのが、リフレクティングのルールの徹底です。看護師さんや上級医にオープンダイアローグやりましょう!と伝えていた訳ではないので、リフレクティング中に患者さんに話しかけてあまりリフレクティングっぽくならなかったり、結局福祉サポートの「説得」に話が進んでしまったりと、チーム全員でルールを知って共有しておかないと上手くは出来ないなと気づきました

 とはいえ、対話に重きをおいて、話を聴き続けるというのは上手くいったのか、とりあえずは落ち着いてお家に今日は帰りますとなり、静かに帰っていきました。薬剤の使用や入院による介入せずともとりあえず一件落着にはなった訳です。

オープンダイアローグをやってみた反省・課題

 やっつけ仕事にしては、警察を呼んだり救急車が出動したりと派手な状況からとりあえずは落ち着いて解散までこぎつけたので十分な出来だったようには思います。

 ただ、つい不確実性に耐えられなくなる、つい提案してしまう、説得してしまうなど、ルールを分かっていても破ってしまうこともあるんだなと気づきました。課題として、どうしたら説得や変えようとすることなく、困った状況にある人に寄り添うということを上手く出来るのか、ぜひ実践経験豊富な先生方にうかがってみたいテーマです。助けて欲しい、何か介入して欲しいという訴えが明確なクライアントさんでしたら、本人のアイディアを引き出していくことで、実践できそうなところを探っていくことは出来そうですし、そのような対話はイメージしやすいです。
 ですが、クライアントさんの中には、本人は困っていないけど、家族が困っているパターンや、明らかに問題を抱えているのに本人に自覚がなかったり、介入されることに拒否感のある方も少なくありません。たとえば、認知症の自覚がないおばあさんに本人の尊厳を損ねる事なくヘルパーさんやデイサービスなど福祉的な介入を目指すといった事例などが想定されます。そういった場合にどう対話を続けていくのか、どう無自覚な問題に本人が向き合うよう促すのか、そもそも変えようとしないなら促さずに解決するのか?、どうやって周囲の人々が心配する大きな問題が生じる前に介入するか、そこが大きな課題として残りました。それが不確実性に耐えるということなのかもしれませんが、これは想像以上に危なっかしく、歯がゆく感じます。

 
 そして、やっぱり仲間が欲しいというのも切実な願いとして生まれました。リフレクティングなどもそうですが、治療体系としてチームで知識を共有して取り組むようなものなので、一人でやろうとしてもなかなか難しいように感じました。

 また、その後警察、消防、保健所、そして我々医療とそれぞれの部門の担当者が迅速に対応していたことを知りました。看護師さんや事務さんを経由して、「Aさんのお家に保健師さんが向かってくれるようです」、「警察の方は○○のようでした」などなど次々の報告が入ってきます。とにかく医療、行政など、どの職種の動き出しも早く地域で働く人達って凄いんだなと素直に感じました。


 ただ、オープンダイアローグとしてもったいないのはそれぞれが情報のやり取りをして連携して動くことはあっても、一体になって動くことはあまりないということも知りました。端的なところ、「これって関係者全員が集まって話した方が早いよね?」とは思いました。なるほど、オープンダイアローグの原則2.社会的ネットワークの視点を持つ(クライアント、家族、繋がりのある人々を皆、治療ミーティングに招く)が重要な原則であることを経験から実感しました。クライアントを含めて、関係者がそれぞれの不安や心配、思惑を持っているのですが、それを直接ぶつけ合う場がない。結果、それぞれが心配したり、真剣に悩んで対策を考えているのにその思いやアイディアが共有され、実践に広がっていく場が用意されていないのです。
 関係者全員が一堂に会するのは、手間なようで実はその方が効率が高いのでは…?と感じました。

 今回のケースは、まだまだオープンダイアローグに関する学びも浅く実践経験も臨床の場ではほどんどないですが、きちんと実践すれば効果はかなり期待できると思える経験でした。早速オープンダイアローグの勉強会を申し込みました。根気よく理論の勉強と実践を続けていこうと思います。

まとめ

  現在の日本では30人に1人が精神科に受診するくらいのニーズがある一方で、地域に精神科医がいないという地域も少なくありません。その場合、①地域に往診という形で精神科の先生が月に数度くる機会を利用する。②都市部や大病院まで出向いて診療を受ける。③専門ではないけど地域にいる医師に精神面も診てもらう。この3パターンで受診に至ることになります。

 ③専門ではないけど地域にいる医師に精神面も診てもらうとなることも多いですが、近年の多数の新薬の登場など精神科領域の専門化から専門ではない先生が診療にあたる上での負担は増えていることが考えられます。

 また、地域の閉鎖的な空気が辛く精神的に不調になる方も多くいらっしゃいます。一方で、閉鎖的な地域だからこそスティグマ(日本語では偏見、差別、誤解などと訳される)も根強くあるように感じました。狭い世界だからこそ、目立ちやすいし、孤立しやすい。そういった地方ならではの生きづらさもあります。

 オープンダイアローグは、薬剤や入院治療になるべく頼らず、対話を中心として行われる手法のため、高度な精神医療の否定、権力構造のフラット化といった側面を持っています。このため地域医療を支える医師が専門ではない精神科診療を行う上でオープンダイアローグは実践しやすい手法のように思います。

 オープンダイアローグを学びたてではありますが、実践してみました。対話を続けるということにはある程度成功しましたが、説得しない、変えようとしないといった原則を守ることの難しさ、不確実性に耐えることの歯がゆさを味わいました。どう無自覚な問題に本人が向き合うよう促すのか、クライアントさん本人が介入を望まない場合の対話について課題が残りました。
 各職種のプロフェッショナル達の仕事の迅速さが素晴らしかった一方で、多職種連携から更に一歩踏み込んで一堂に会する機会をつくったらもっとそれぞれの思いやアイディアが共有され、実践に広がっていく場になるんじゃないのかなぁ…もったいないなぁ…とも思いました。そして、実践する仲間がやっぱり欲しいと思いました。


さて、ここまで全第六回に渡って連載したオープンダイアローグから創造する新しい医療シリーズはいかがでしたか。少しでもオープンダイアローグの普及に貢献出来たらと願っています。また、それによって救われる人、豊かに生きられる人が少しでも増えていくことを祈っています。
 粗方アウトプットしたかったことは出し切りました。またインプットと実践の日々に戻りたいと思います。ここまで読んでくださった方々ありがとうございました。

筆者は一緒にオープンダイアローグを実践、学んでくれる仲間を日々募集しています。畑やカフェなど素敵なサードスペースの情報も求めています。お気軽に連絡いただけたら幸いです。

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ShunIshikawa
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