思考は歩幅と歩数に比例すること:Kyotographie で観たもの(次の次の日とその次の日)
朝イチzoomミーティングしたりノマド的に編集作業とかやっていると、ワーケーションというか……大して普段と変わらない日常が日本の都市部であれば完全に展開できてしまう。すでにこのあたりで3,4日も京都にいるのに、まったく京都感のない生活……。
強いて言えばドトールにいるのがホーリーズカフェ(どちらかというとべローチェに近いチェーン系カフェ)になった。くらい。あと前田珈琲も。
昼前くらいになってボチボチ外に出て夕方までをKyotographieにあてるというのが唯一の非日常。
ちなみに街を歩いているとKyotographieとは直接的に関係がないけど、写真にまつわる公共展示もあったりしまして。
FOTOZOFIO(フォトゾフィオ)というシニア世代の方々が展開するプロジェクトらしい。ウェブサイトによると50歳以上の〜で「シニア世代」とか、ちょっと早まり過ぎではないですかね。展示作品も「確かに歳いってる視線だなー」と思うものももちろんありますが、すごく若い感じがするものあって、アートに年齢的なものは大いに影響すると思いますが、純粋に作品だけで年齢は計り知れないなーとも。
Kyotographieは何度も言いますが市中各所に散らばっているので、全部は見きれない前提でいますが、今年は知り合いが展示している関わっているものも多くとにもかくにもそれは押さえねばなりますまいと。
これを書いているタイミングでは双方とも展示終わっているのですが……
みっちゃんこと三橋康弘さんの「駅と彼女。」シリーズは初期の頃から……個展のDMとかも手伝ったこともあるし、御苗場や自主開催のグループ展でも一緒に展示したこともある(それこそフランスでも)端々に縁がある作家さん、優しそうな見かけによらずストイックな作家姿勢で、一貫した情熱を継続して、こうやって発表の場を拡げていかれているのはシンプルにすごいことだと思います。
KG+ #.22 三橋 康弘『駅と彼女。』京都写真美術館
あともう一箇所、ちょっと上のみっちゃんの展示場所とは位置的に離れていたところですが本多が数年前から参加している異業種会つながりでfacebookだけ随分前につながっていたものの、作品など実物拝見する機会を得られてなかった八木さんの展示へも
KG+ #.44 八木ジン『私と人の境界模様』LS STUDIO KYOTO
八木さんなどは写真というメディアを軸にしながらも、さまざまなマテリアルを通じて現実そこにはないが印象として「感じているなにか」の可視を試みている点も芸術的観点もさることながら、「感情」を良い感じに具現化していたように感じました。
実験的でありながら、確固たる美学を破綻しないようにするのはけっこうシビアな部分だとも思います。
方向性など様々ですが、ポートレートという手法を通じてその人と向き合う
という点ではおふたりともに真摯な眼差しも感じました。
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Kyotographieは海外からの作家(作品)招聘も注目ポイントですよね。
#.02 マイムーナ・ゲレージ Maïmouna Guerresi 『Rûh|Spirito』
https://www.kyotographie.jp/exhibitions/2022/maimouna-guerresi/#.09-a プリンス・ジャスィPrince Gyasi 『いろのまこと』
https://www.kyotographie.jp/exhibitions/2022/prince-gyasi/#.16 アーヴィング・ペン Irving Penn『Irving Penn: Works 1939–2007. Masterpieces from the MEP Collection』
https://www.kyotographie.jp/exhibitions/2022/irving-penn/#.01 ギイ・ブルダン Guy Bourdin『The Absurd and The Sublime』
https://www.kyotographie.jp/exhibitions/2022/guy-bourdin/KG+ S2 ユーリー・ビラク Youry BILAK 『Timeless Hutsuls -ウクライナ フツルの民族衣装-』
https://www.kyotographie.jp/kgplus/exhibitions/2022/youry-bilak/
だいたい回ったのはこのあたり。
あと、ペンティ・サマラッティもとてもよかったのですがこれはKyotographieともKG+とも別口でもあるし、とてもよかった(2回め)ので別で書きます。
そもそもKyotogaraphie自体がフランスはアルルの写真祭がモデルらしいので、ヨーロッパ志向が強いと思うのですが、中でもアフリカ系アートのエネルギーに触れられるのはKyotographieならではではないでしょうか。
特にここ数年、コロナの影響もあってヨーロッパ方面ではアフリカンアートの流れが来ているっぽいのは海外のアートニュースの記事でも注目さている雰囲気あるので(そもそもヨーロッパにとってアフリカは距離が近い)それが離れた日本で紹介されたり、文化交流が起きるのは良いことだなと思います。
それはひとつの世界的なキーワードでもあるとして、
逆にいうと、日本(あるいはアジア)のアート傾向はヨーロッパ方面ではかつて程には注目されていないのではないかとも思っていて。
コロナの状況、はもちろん大いにあると思うのですが、今ここ数年はむしろ我々も近隣のエリア、アジア圏に意識を向けていくのが良いのではないかなと。アートフェアも香港とかシンガポールとかそっちに目を向けていく、みたいな。
そんなふうにも最近思っています。
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駆け足でとりあえず一通り書き連ねたって感じですが……
Kyotographieの裏テーマは「歩くこと」にあるのではないかと。
もちろん体力的だったり時間的だったり、さまざまな条件の中で、バスや自転車やタクシーなど使うのは良いと思います。が、歩く、とはもっとも原始的で具体的に身体を操作していく分、その過程も含めて思考に直結してくると思いまして。とりあえず展示空間内は歩き回るわけですし。
パソコンの前に座ってこう振り返っていくのも必要な時間ですが、ある意味で一番考えを回していたのってポイントからポイントへの移動の途中だったかもなと思っています。次から次へと移動しながら各所見て回るタイプの芸術祭ってそういう意味ではこれ以上にないトレーニングというか、修行なんじゃないですかね。
いろんな評論や意見や気付きがネットには溢れていると思いますが、行けるなら現地に行って一次情報を自ら感じるというのも大事ですし。
歩幅は広く歩数は多く、ながらスマホしているより普段と違う風景見ながら(googleマップからは目が離せないが)いると、いい感じに思考が揉まれそうです。
ちなみに、来年のKyotographieは 2023年4月15日(土)〜5月14日(日) で日程は決まったらしいですね。
来年は果たして行けるだろうか。
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