見ること見続けること、あの時とこの時はあの日の続きかもしれないけどまったく違うということ。立山連峰を眺めて
先日、富山にいまして。
富山といえば、昨年の写真集『RE FORM』を印刷していただいた山田写真製版所がある場所。
今回は、富山から少し行ったところでの撮影案件(カメラマンとしても稼働しています)であるので目的は違うのですが、約半年ぶりの風景。というか、5月はさすがに暖かい。昨年11月はなかなか「さすが北陸!」って感じでした。
過ごしやすいのはなにより。
印刷所から半年……思い返せば。クラファンプロジェクトをスタートしたのが5月10日とかだったのでちょうど一年が経った感じです。
写真集はおかげさまですでに約半数を販売完了しています。
写真集内容への反響はそのまま作家の熊谷聖司さん作品だからこその写真集のコンセプトや造本の賜物なので、私たちとしてもさすがだな、と思うところ。
歳月を経て編集・造本される(それに見合うあり方を伴える)、そんな写真集や書籍を今後計画できればと思います。『RE FORM』は我らは版元ではありますがそもそもが熊谷さんのアイディアからスタートして乗っかって伴走させていただいた感じ、であるので。
この機会に改めて振り返ると、『RE FORM』は写真という行為を通じて「見ること」だったり「編集」することがひとつのキーワードだったわけで。
それは写真制作としてある意味すべてに通じることだと思うのですが、ちょうど『RE FORM』のタイミングは、特にたまたまというか、なにか大きな流れの中に飲み込まれ2020年ー2021年にかかり、リフォームするということ自体が、これまでの社会や生活においても慣例や前提いろいろを一回崩して(崩さざる得ない状況で)見つめ直すような流れがあったのではないかと思います。
2022年であれば2022年であるからこそのものもあると思いますが、2020年ー2021年だったというのはけっこう大きなポイントだったのかもなと。
RE FORMするというフレーズの意図が活かされるタイミングは今振り返っても昨年だったなぁ、と思うのです。
2022年であればそれはそれはそれで活かし方もあるとは思いますが、それはまた別物な感じになるというか……このへんの空気感伝えるの難しいところ。
熊谷さんは写真集や写真展の開催の企画で「昨年でも来年でもなく今だから」や「来年だと違うと思った」のようなことをよくつぶやいていたと思うのですが、それを経て時間を過ごしてて振り返ると、凡人たる自分はようやくその実感が追いついてきたような気持ちだったりもします。
今だからこそ、というフレーズはその背景に「過去からの流れがあって」という意識が見え隠れしたりもすると思うのですが、かと言って過去があってもなくても、今だけに焦点あてて見ることもあると思っていて、必ずしも結びつける必要もないし(それに囚われてしまわないように)、とはいえまったくなかったことにもできないもので、歴史は知らないよりも知っていた方がなんだかんだ良いとも思います。このなんともぐるぐるとした問答に明確な答えはないのですが……
ただ、とりわけ写真という手段は多くの場合、目の前の事象を切り撮る行為なので、物理的な時間軸に乗って視認・体験などリアルな反射が起き続けるものであるとするなら、常に観察続けるということであって、ふとすれば油断して見過ごしてしまうこともあると思いますが、写真家とは人よりも多く事象に向き合い、その集積の果てに自身のステートメントが浮かび上がってくるような。
一方で一瞬一瞬気負っていては肩に力ばかり入って観ているようで観れてないことになりかねない、とも言えると言いますか。
究極的にそれをどれだけ脱力状態……中庸な精神で受け止められるか。
シャッターを切る、という行動をとる以上、自分自身の意識が前に出てきてしまうものですが、そこをこう意識が入っているようで入れてない。そんな余地をおいて。
境地ですね。境地。
歴史上の達人は言わずもがなそういった部分があると思いますが(考えるな感じろ的な……それは歴史っていうか映画史?ですが)
熊谷さんの『RE FORM』では改めてそういう部分を学ばせていただいたな、と。
一年を経て偶然機会を得て再び立山連峰を目の前にしたとき、ふと思いたったしだいです。
当初の目的からすると、海外での販路、というのも引き続き検討しつつ(状況みつつ。フランス行きたい……)
『RE FORM』そしてその前身たる『MY HOUSE』はECサイトなどで引き続き販売中。引き続きどうぞ宜しくお願いいたします。