ある「右翼」の問いかけ――「沖縄の米軍基地を東京へ引き取る」という劇薬
6月22日に公示された参院選の東京選挙区で、「右翼」の女性が立候補した。中村之菊(なかむら・みどり)氏。「沖縄の米軍基地を東京へ引き取る党」代表。選挙戦で掲げる主張は党名の通り、沖縄の米軍基地を東京へ引き取る、こと。日米安保体制の下で、米軍基地を押しつけている側が押し付けられている側にばかり、がんばらせるわけにはいかない。だから「自分(本土)もがんばる」。何が彼女を決意させたのか。そして私たちが受け止めるべき「問いかけ」とは――。選挙戦開始までの道のりをたどった。
1、官邸前の演説
6月22日正午。この日朝、自ら立候補の手続きを済ませた中村氏は、東京・永田町の首相官邸前にいた。選挙期間中、街頭演説はこの国の中枢である官邸の前を中心に行うと決めている。少し離れたところから制服・私服の警察官が見守る中、25万円で購入したスピーカーセットを据え付け、演説を始めた。
「沖縄は国土面積の0・6%、人口は全国民の1%。その中に日本全体の米軍基地面積の約7割が押しつけられているのです。沖縄に私たちの日米安保条約を押しつけているわけです。おかしくないですか? あなたの子どもが学校でみんなのランドセルを背負っているようなものですよ。あなたの子どもがそうなったらどうしますか?」
米軍基地が日本に置かれる根拠の日米安保条約は8割の国民が支持している。「米軍基地の危険も含めて認め、安全のために必要だと言って沖縄に押し付けている。米軍基地が本当に必要なら、あなたのそばに置けばいい。沖縄県内では今も新基地建設が進められている。この不条理に沖縄県民は怒って当然です」
沖縄では、米軍基地に関わる数多くの問題が未解決のまま放置され、国は改善策を講じようとしない。その一つ、沖縄島北部の訓練場跡地に米軍の空砲弾などが大量に放置されている問題を取り上げた。
「私たちの土地をいくら汚しても米軍は片づけなくていいことになっている。だれも怒らないんでしょうか。私たちの国家はアメリカの奴隷のように動いている。これを改善しようと、なぜ思わないのでしょうか」
かつて中村氏とともに右翼団体「花瑛(かえい)塾」を設立した木川智氏が応援に駆けつけて訴えた。「いろんな人が選挙に出ていい。選挙権も被選挙権も行使していい。『投票に行きなさい』と国は言いますが、『選挙に出なさい』とは言いません。おかしくないですか? 選挙権と被選挙権は同じぐらい価値があります。両方とも私たち国民の人権のひとつである参政権です」
バックに大きな組織のない人にとって、選挙に出るために必要な供託金300万円をそろえるのは並大抵ではない。さらに選挙活動には資金が要る。「沖縄の米軍基地を東京へ引き取る党」の党員は中村氏を入れて2人だ。
時折、小雨がちらつく中、沖縄出身のミュージシャンによる三線演奏も交えながら、永田町界隈を忙しそうに行き交う人々への訴えは、午後6時過ぎまで続いた。
翌23日は沖縄戦「慰霊の日」。渋谷の会場での演説会をYouTubeで中継した。今年1月の沖縄県名護市、南城市の市長選で辺野古新基地建設に反対する「オール沖縄」の候補がいずれも敗れたことを取り上げ、こう述べた。
「本土の人たちが、沖縄に連帯している風な感じで、また頑張ればいい、と他人事のような言葉を発したことに違和感と怒りをおぼえた。丸一日考え、自分がやらなければ、と出馬を覚悟しました」
演説会には、沖縄を伝える文化活動に取り組む「関西沖縄文庫」を開設した金城馨氏、「永続敗戦論」の著者で京都精華大講師の白井聡氏、フリーライターの李信恵氏らがメッセージを寄せた。
2、嫌いだった故郷
職業は木工大工。注文を受け、千葉県内にある自宅の仕事場で家具を作る。42歳。そして大学3年生。専攻は地理学。神道を信仰し、農業にも取り組む。一昨年は、コロナ禍でアルバイトを失った学生を支援するために農作業を手伝ってもらった。
昨年まで右翼団体「花瑛塾」を主宰。自宅に若い塾生たちを住まわせていたこともある。その中にはSNSで絡んできた“ネトウヨ”もいた。直接会おうと呼びかけ、対話した。弱い立場の人にヘイトを吐くなんて「ダサいだろ」と説き、塾の活動に招き入れたという。
東京・浅草で育った生粋の下町っ子。でも、地元が好きになれなかった。言葉が荒っぽい、身体にしみついた仕草、態度がなんとなく尊大に見える・・・。高校に入り、自分の空間が広がった時、級友たちからそのことを言われて、初めて思った。なんて狭い町にいたのだろう、と。こんなところからは出たいと考えた。
高校を中退し、10代で結婚。2児を出産。右翼団体に入ったのは18歳の時。街頭で演説を聞き、社会の問題に目が向いたという。だが、苛烈な政治思想を掲げる組織の中での女性の立場は、世間一般のそれ以上に苦難が多い。後から入ってきた男性が役を与えられても、自分は下積みのまま。17年間所属した団体で、発言権を持てるようになったのは、最後の2年ぐらいという。
しかし学ぶことで自らを高めることを知る。「国を愛する」とは何であるか、そして「祖国日本」とは――。右翼の先人たちの思想、業績を繙き、近世、近代の日本における国学、農学に「解」を求めた。やがて自らの中で明確な言葉が形作られていく。
「愛国」とは自らの郷土を愛すること、すなわち「愛郷」である――。
嫌いだった故郷で2012年、東京スカイツリーが開業する。巨塔がそびえ立った場所は、子ども時代にみんなで遊んだ地。想い出の空間が汚されていくように感じられ、耐え難かった。でも、見る影もないほど様変わりした故郷が、なぜかたまらなく愛おしく思えた。
そういう気持ちで、自分の国・日本を省みる。国家の根幹たる安全保障政策を、半ばアメリカにゆだね、その負担である米軍基地の多くを沖縄の地に押し付けながら、大半の国民はほとんど認識すらしていない。自身の思う「愛国」「愛郷」とは相容れない現実がある。米軍横田基地(東京)や横須賀基地(神奈川)へ赴き、抗議の声を上げるが、それ以上に過酷な現状が沖縄で続いていることを知らされる。
所属していた右翼団体の会議で、そのことを問いかけた。居並ぶ幹部たちの多くが「日米地位協定」の意味さえわかってないことを知り、衝撃を受けた。若いころ「安保破棄」を口にしていた先輩が、老いるにつれ、日米安保体制での日本の安全を考えるようになる。ここにいて何が出来るだろう、と疑問がわいた。
組織と決裂し、2016年に除名・脱退。その日のうちに、木川氏ら同じ志を持つ仲間とともに新たに「花瑛塾」を設立した。その頃から年に100日以上、沖縄へ行き、アメリカ海兵隊新基地建設の埋め立て工事が行われる名護市辺野古や、ヘリコプター着陸帯(ヘリパッド)建設が問題になっていた東村高江で、基地建設反対の街宣活動を行った。そして出会った沖縄の人々と対話を重ねた。
そこで見えてきたのも「郷土愛」だった。「愛国」の「国」<クニ>とは、すなわち自分自身の<ムラ>である。「愛国心」という、時に不穏な響きさえ耳に残る言葉よりも、「郷土愛」と呼んだ方がずっと明快で、しっくりくる。そう気づいた。
沖縄の人々が、故郷の美ら海を埋め立てて軍事施設を建設することに反対するのは、「政治運動」でも「活動」でもなく、まさしく「生活」のためであり、言うならば「一揆」だ。さらに言えば、自分自身のために「愛郷心」を抱く人々を、他人が「運動」に駆り立てようとするのは、少し違うようにも思えた。
だが、現地で反対運動を続ける人々からは容易には受け入れられなかった。彼らにとっての「右翼」とは、黒塗り街宣車から大音響で罵声と嘲笑を浴びせる連中だ。SNSで「左翼」らしき人物から執拗な攻撃を受けたこともある。やがて自分が戦う場所は「故郷・東京」であり、直接抗うべき相手は「我が日本政府」であると確信していく。
3、米軍基地を引き取る
2021年3月6日、東京・永田町の自由民主党本部前。拡声器で30分にわたって演説した。その日、取り上げたのは、辺野古の埋め立て用土砂の採取地に沖縄島南部が挙げられている問題。大戦末期、沖縄戦の激戦地だった南部の大地には、今も数知れぬ戦没者の遺骨が眠っている。
「中国を叩いていれば『保守』だなんて思っていたら大間違いですよ! 南部にはたくさんの日本軍、米軍、地上戦に巻き込まれた沖縄県民の遺骨があります。これが辺野古の海に投げ捨てられる。死者をさらに殺してるんだ、あんたたち権力は! 自民党が言う『保守』って何なんだ! 戦没者をないがしろにして米軍に軍用地を提供したい? それのどこが『保守』なんだ! いつまで他国の軍隊に頼る日本を維持しようとしているのか!」
米軍基地は日本に要らない――と、中村氏は言う。では、なぜ「東京へ引き取る」なのか。今年5月20日、自身のツイッターでこう述べている。
「いわゆる'沖縄本土復帰'なるものがまだ5年目10年目だとしたら、私はただただ'沖縄の米軍基地撤去'だけを言い続けたかも知れない。しかしもう50年以上が経過している状況を理解した上で、'基地は沖縄へ、安保は堅持'という本土の姿勢を是正出来ずに'撤去'だけを語るのは説得力に欠ける」
「本土」の日本人に対して何も「負わせる」ことにならない「基地撤去」の主張のみでは、もはや有効な影響力を持ちえない。「基地引き取りはイヤミでやっている」とも言う。
沖縄の過重な米軍基地を「本土」に引き取るという市民運動は、2015年に大阪で「沖縄差別を解消するために沖縄の米軍基地を大阪に引き取る行動」(引き取る行動・大阪)が結成され、以後、その主張を掲げる団体は全国に広がっている。
今年3月、中村氏は大阪市大正区の「関西沖縄文庫」で、「引き取る行動・大阪」のメンバーと議論をした。辺野古に代わる基地移設地と説明したのが、1959年に示された「ネオ・トウキョウ・プラン」だった。当時の政界、経済界の大物による「産業計画会議」の提案で、東京湾の3分の2を埋め立てて工業用地や住宅地を確保するという計画案。実行には移されなかったが、その埋め立てを実現すれば沖縄の主要な基地をそこに引き取ることができる、という。
敗戦後の復興期から年月がたち、坂道を下り続ける現代の日本にとっては途方もない構想だ。しかも広大な埋め立てで失われる自然環境は計り知れない。が、それならば、日本防衛に役立つとは言えない海兵隊の新基地のために、沖縄の民意を徹底的に踏みにじり、莫大な予算を投じて辺野古の海を埋め立てることと、本質的にどう違うのか。東京湾はだめだが、大浦湾(辺野古崎のある沖縄島東岸の湾)なら埋めてもいいという理由は何なのか。
「引き取り運動」は、「安保反対、基地撤去」を長年訴え続けてきた「左翼」系の運動が持ち得なかった鋭角の問いを、私たちに突き付けている。すなわち、沖縄島の面積の1割半を占有する米軍基地と、それに起因する様々な被害はすべての日本国民一人ひとりの問題にほかならぬ、という指摘だ。そのうえで、中村氏の主張がやや異なるのは、引き取り運動団体が「引き取る本土の場所」を挙げないのに対し、自身の故郷である「東京」を引き取り地と明示している点にある。問いであるとともに覚悟も込める。
4、「基地移転」への異議
基地問題を考える「本土」の人々でも、「引き取り」に賛成するのは多数派ではない。4月、「本土に沖縄の米軍基地を引き取る福岡の会」に招かれ、福岡市内で講演したとき、会場の一人の男性から異議の声が上がった。
男性は「『沖縄の基地問題』ではなく『日本の基地問題』であり、主権者として自覚すべし、と。そのことは深く共感できる。しかし違和感がある。基地移転は解決にならない」。
続けて「福岡県にも自衛隊基地があり、『沖縄の負担軽減』の名目で日米共同訓練が行われている。長年そこで座り込みを続けて抵抗し、監視している人がいる。その人たちにすれば、『沖縄対本土』というとらえ方で沖縄の基地をそこに持ってくるというのは承服しがたいと思う」。
そしてこう問うた。「基地をなくすこと、安保をやめることが王道ではないですか?」
中村氏は答えた。「復帰から50年、王道を続けてどうなったでしょう。『基地はいらない』と言い続けるだけならどんなに楽か。安保と米軍基地は必要という8割の人々を説得できない私自身の責任として、私の住む街に近い東京に基地を引き取るということです」
「『沖縄対本土』と言うと、『本土』で基地と向き合い、被害を受けている人たちが見えなくなる。その表現は乗り越えるべきでは」と男性。
「それは課題になると思います。『引き取り』という言葉にも語弊があると思っています」と中村氏。
もちろん、短時間で決着のつく話ではない。
安保を否定する立場の人々からは「沖縄にいらないものは、『本土』にもいらない」と言われてきた。一方で沖縄では、その言説が沖縄の現状を固定化させてきた、という指摘がある。「基地引き取り」が正解か否かはともかく、これまで「本土」の政治家も言論人も民衆も、その先に何の「解」も示すことができてないという事実にどのような形で向き合うのか。そのことは誰もが問われている。
5、「国民的議論」につなげる
中村氏の問いかけを見据えるうえで、筆者自身の考えも述べておくべきだろう。米軍基地の「本土引き取り」に賛成か否か、と問われれば、私は賛成ではない。
もちろん、国民の大半が日米安保を支持するならば「本土」も米軍基地を応分に負担すべきだ――という沖縄からの「求め」が、この上なく正当であるのは言うまでもない。そこに反論の余地は見いだせないし、なおかつ、われわれ「本土」の日本人が耳をふさぐことが許されないのも当然だ。
そのことは大前提である。そのうえで、そもそも現在日本に駐留しているアメリカ軍の存在理由を考えた時、日本の安全のために本当に必要な部隊がどれだけいるのか、は検証されなくてはならない。少なくとも沖縄駐留の海兵隊については日本国外に撤収しても日本の安全保障に影響はない、と私は考えている。
海兵隊が管理している基地駐屯地は沖縄の全米軍基地面積の約7割を占める。詳細はここでは触れないが、近年、海兵隊は戦力構成の大幅な改編を打ち出し、日本、とりわけ南西諸島を中国との武力衝突の戦場にしようとしているとみられる。平時から事件や事故が一番多いのも海兵隊だ。そういう点からも国外撤収の方が日本の平和と安全には有益と考える。もし、それを「本土」に「引き取る」となれば、別次元の複雑な議論にエネルギーを費やさざるを得ないのは自明だ。
そう考えつつも、一方で、そのような「複雑な議論」こそ、今日の日本には必要不可欠ではないか、と認めざるを得ない。海兵隊の国外撤収という主張が、体制側はおろか、基地建設に反対する人々にさえまったく浸透せず、見向きもされない現状を考えれば、中村氏や引き取り運動の主張が、無関心な人々に「問い」を突き付けて基地をめぐる議論をより「複雑化」、というか、より「拡散」させることは、むしろ何らかの突破口につながるかも知れない。さまざまな主張や論理が注ぎ込まれ、国民の注目とエネルギーを集め、「国民的議論」につながる起爆剤になり得るのではないか。敗戦から77年間、私たち日本人がサボってきた議論を覚醒させるための「劇薬」になるのではないか。そう思えてもくるのだ。
「沖縄の米軍基地を東京へ引き取る」は、参院選東京選挙区の主要争点ではない。だが、この問いかけが首都決戦で少しでも注目されたら、と願う。あいも変わらぬ「敗戦後日本」の「国民的思考停止」に冷水を浴びせて、議論せざるを得ない状況を作り出す発火点にできたら。そのための火付け役になってほしい。その期待には自省と自問を込めている。
川端 俊一(かわばた しゅんいち) 元新聞記者