島々を日米同盟の「盾」にする要塞化計画――鹿児島県・馬毛島で何が起きているのか
九州南端から台湾近海まで連なる南西諸島の島々で、自衛隊の駐屯地が相次いで建設され、部隊が配備されている。鹿児島県西之表市・馬毛島(まげしま)でも、防衛省が新たな自衛隊基地の建設計画を進めようとしている。アメリカ海軍の空母艦載機による「陸上離着陸訓練(FCLP)」や自衛隊の訓練を行うための基地だが、全体の構想を見ると、ひとつの島をそっくり丸ごと「軍事要塞」にするという異様なものだ。そんな基地はこれまで日本では例がない。騒音や環境破壊はもちろんだが、本当に完成すれば、かつてない「日米一体化」の軍事行動が予想される。現地では不安の声が広がっている。
1、 栄えた島は無人島に
鹿児島空港から飛行機で40分、鹿児島県・種子島空港に着く。南西諸島北部の大隅諸島にある島で、室町期の鉄砲伝来で知られる。めざす馬毛島は、この種子島の西之表港からさらに船で1時間ほどのところだ。雨交じりの悪天候の日、漁船に乗り込み、高波に揺られて西方へ。島影が見えてきた。
島の形は平たく、建造物はあまりないものの、港のすぐそばにビルが見える。防衛省が買収する前、島の敷地のほとんどを所有していた開発業者「タストン・エアポート」の建物だという。
馬毛島は種子島の西方約10キロにある、周囲16・5キロ、面積約8・2平方キロメートルの小さな島だ。周辺との位置関係は、鹿児島県・屋久島から北東に約40キロ、九州最南端の佐多岬からは南東に約30キロにある。上から見ると、瓜のような形をしている。かつての住民はおらず、ニホンジカの亜種マゲシカなどさまざまな生き物が生息する地だ。
(防衛省ホームページより)
(出典:国土地理院)
この時の取材は、沖縄在住の土木技術者、奥間政則さんの撮影取材に同行してきた。奥間さんはドローンを駆使し、沖縄を中心にアメリカ軍や自衛隊の基地を技術者の視点で上空から撮影して監視する活動を続けている。これらは、そのドローンで撮影した馬毛島の姿である。
(奥間さん撮影)
(奥間さん撮影)
(奥間さん撮影)
島の真ん中が十文字に削られたように樹木がなくなっているのは、前の所有者だった開発業者タストン・エアポートが滑走路を建設しようとして伐採したためだ。この工事は、県の許可を逸脱する違法なものだとして、市民らによる民事訴訟や刑事告発が行われた。乱開発によって島の自然環境が大きく損なわれた、と批判の声が上がっている。自衛隊基地の建設工事はまだ始まってはいない。
(奥間さん撮影)
(奥間さん撮影)
(奥間さん撮影)
馬毛島のこれまでを簡単に振り返ってみたい。もともと定住者はほとんどいない島だったが、周辺はトビウオ漁が盛んで、漁期になると漁民たちが滞在することはあったという。豊かな漁場があり、「宝の島」とも呼ばれた。1950年代に入植が始まり、サトウキビ栽培や酪農が行われ、最盛期には500人以上が居住。小中学校や製糖所も建てられ一時期は栄えた。だが島での生活は厳しく、60年代に入ると人口減少が始まる。
70年代、当時の平和相互銀行(後に住友銀行に吸収合併)がリゾート開発や国家石油備蓄基地の立地を当て込み、関連会社の「馬毛島開発」が島全体の買収に乗り出した。80年には無人島に。しかし、石油備蓄基地は鹿児島県志布志市に決まり、島は無人のまま放置される。
そこに目を付けたのが、立石建設(本社・東京)という会社だった。95年に馬毛島開発を買収、子会社化し、後に社名を「タストン・エアポート」に改名。リゾート開発を目指すがうまくいかず、使用済み核燃料の中間貯蔵施設の誘致話まで出たが、それも進まず、貨物専用のハブ空港にする計画で大規模な造成工事を行った。そうこうしているうちに、アメリカ海軍空母艦載機の陸上着陸訓練(FCLP)に使う基地の候補地に浮上したのが2007年のことだった。
2、 突然の日米合意の果てに
民主党が政権にあった2011年、東日本大震災から3か月後の6月、「日米安保協議委員会」がアメリカで開催される。日米両国の外務・防衛両首脳が出席する、安全保障政策の閣僚級協議で「2+2」(ツープラスツー)と呼ばれる。この会議で発表された文書が、馬毛島周辺の自治体に衝撃を与えた。文書にはこうあった。
「日本政府は、新たな自衛隊の施設のため、馬毛島が検討対象となる旨地元に説明することとしている」
続く文章には、その「施設」が、「通常の訓練等のために使用され、併せて米軍の空母艦載機離発着訓練の恒久的な施設として使用されることになる」と明記されていた。つまりアメリカ軍機が定期的にやってきて訓練を行うというのである。
馬毛島を米軍機の訓練用の基地にする案は、それよりも4年ほど前から報道され、島周辺の西之表市、中種子町、南種子町(いずれも種子島)、屋久島町(屋久島)の1市3町は反対の声を上げていた。防衛省にも申し入れたが、同省は馬毛島への移転の話は一切ない、と否定していた。にもかかわらず、いわば頭越しにアメリカ政府と勝手に約束してしまったのだ。驚くべき地元無視である。馬毛島の属する西之表市の長野力市長は、地元自治体の反対運動の先頭に立ち、2年後の市長選では圧倒的な支持を集め、3選を果たした。「騒音や事故による影響がある。交付金も、訓練移転で発生する産業も一時的」と言って反対を貫いた。
一方、馬毛島の大部分の土地を所有していたタストン・エアポートの立石勲社長(故人)は、日米合意で馬毛島が名指しされる前から、島の軍事基地化の構想を持っていたようだ。当時、「サンデー毎日」(2010年3月28日号)の取材にこう述べている。
「島には“3万人の街”を作ることが可能ですし、軍港向きの港も兼ね備えています。米軍の街、米国が自由に使える島にすればいい。今後、政府から馬毛島を普天間の移設先のひとつにしたいという提案があれば、国難の折ですからもちろん歓迎します。海兵隊のうってつけの住宅用地がありますし、上水道のための水脈も確保しています」
そのうえで、インド洋の環礁ディエゴガルシア島になぞらえ、「馬毛島を“第二のディエゴガルシア”にしたい」とぶち上げた。イギリス領チャゴス諸島のディエゴガルシア島は、アメリカがイギリスから借り受け、島民を追い出して丸ごと海軍基地にしている島だ。
ただ、立石氏にとって滑走路建設の造成工事は莫大な負担だったらしい。2011年には法人税法違反で有罪判決を受けている。雑誌「WEDGE」(同年8月号)では「もちろん国には協力したいのですが、これまでに島に投資してきた金額に見合った条件を提示して欲しい。私は賃貸でなければ応じられない」と条件を示している。
以後、防衛省と立石氏側との交渉は難航し、価格交渉でなかなか折り合わなかったとされるが、2019年、最終的に国が約160億円で買い取ることで合意が成立する。日米合意から8年後のことだった。今年6月、立石氏は老衰で死去した。
3、 防衛省の説明
この間、地元に対する政府の説明はどうだったのか。
「2+2」での日米合意の翌月、2011年7月に防衛省から地元への最初の説明が行われる。その時の資料が西之表市のホームページに公開されているが、馬毛島をどのように使うのか、については①大規模災害における展開・活動②離島侵攻対処訓練――を挙げ、それに続くページに「FCLPとは」と表題があり、こう書かれている。
「空母出港前に必要な訓練であり、空母艦載機が空母に安全に着陸できるようパイロットの練度を維持するため、飛行場の滑走路の一部を空母に見立てて実施する着陸訓練。FCLPのうち、夜間に実施される訓練をNLP(Night Landing Practice:夜間着陸訓練)という」
間違いとはいえないが、重要な事がこれには書かれていない。海軍航空隊の航空機は、地上の飛行場を発着する空軍機とは違い、洋上に浮かぶ空母の狭い飛行甲板に着艦しなくてはならない。着艦後何らかのトラブルが起きた場合、すぐにエンジンを全開させて再発艦を試みる必要がある。そのために出港前、あらかじめ陸上の航空基地でそのための訓練を行う。「タッチアンドゴー」と呼ばれる訓練で、いったん滑走路に着地してから、すぐにエンジンをふかして飛び上がり、それを延々と繰り返す。
なかでもタッチアンドゴーを深夜に行うNLP(夜間着陸訓練)の騒音は、並大抵ではない。神奈川県・横須賀基地を母港とする、アメリカ海軍第7艦隊の航空隊がかつて駐留していた米海軍厚木基地(神奈川県綾瀬、大和両市)でも、周辺住民が何度も訴訟を起こした。判決は、受忍限度を超える、として国に賠償金の支払いを命じている。
厚木基地は普天間飛行場と同様、住宅密集地の中にある。あまりに騒音がひどいため、1991年からは周囲に有人島のない小笠原諸島・硫黄島の自衛隊基地で実施されていた。だが、在日米軍再編の一環で、2017~8年、艦載機部隊が厚木から山口県岩国市の岩国基地に移転。硫黄島までは約1400キロの距離があり、中間に滑走路もないため、米軍側から代替地を強く求められていた。岩国から馬毛島までなら3分の1以下の約400キロで、緊急時に降りられる飛行場もその間にあるというわけだ。
(いずれも防衛省資料より)
2枚の図は、上が2011年に防衛省が資料で示した「訓練施設配置のイメージ」。滑走路は1本で、施設は島全体に広がるようには見えない。昨年夏、同省は初めて「施設配置案」(下)を提示。それによると、滑走路は2本になり、全島をほぼ隙間なく関連施設が覆いつくす形になっている。紛れもない「全島基地化」計画であり、立石氏がかつて描いた構想そのままに、まさに「第二のディエゴガルシア」を造ろうとしているのだ。
また昨年秋に鹿児島県知事に説明した際の資料では、自衛隊の訓練について、12通りの訓練を列記。そこにあるのは、最新鋭ステルス戦闘機F35Bの短距離離陸・垂直着陸を含めた離着陸訓練、V22オスプレイなどを利用した部隊の展開訓練、空挺部隊の降下訓練、海では離島での戦闘を想定し、ホバークラフト艇を使用しての着上陸訓練・・・など。
(防衛省資料より)
さらに防衛省は今年8月7日、島の東岸部に建設する計画の港湾施設のイメージ図を公表した。同省の説明は「人員、燃料、資機材等の海上輸送、官邸の停泊及び補給等を目的とした係留施設等を設置します」としているが、そこには海上自衛隊の護衛艦「いずも」「かが」(1万9950トン)の入港が可能になるとみられている。両艦は事実上の空母に改修される予定で、ステルス戦闘機F35Bが搭載される。
陸海空自衛隊と米軍の機能が集結した、国内に例のない軍事要塞が建設されようとしている。
(防衛省資料より)
4、島を見守る人々
馬毛島での開発問題に早い段階から取り組んできたのは、地元の漁業者の人々だろう。馬毛島の沿岸部はトコブシやトビウオなどの優良な漁場だが、業者が島で行う樹木伐採などの開発工事によって表土が海に流れ出せば、漁業資源を荒廃させる恐れがある。種子島、屋久島の漁業者らと自然保護団体が、業者による採石事業の工事差し止めの仮処分を鹿児島地裁に申し立てたのは今から20年前。米軍FCLP移転計画が取りざたされるよりもずっと前だ。
以後、漁業者らを中心に工事差し止め請求や、買収地の「入会権」を主張して登記抹消を求めるなど、法廷での闘いが続いている。鹿児島県が昨年、防衛省による基地建設のための海上ボーリング調査を許可した際は、調査差し止めの仮処分申請とともに許可の取り消しを求めて県を提訴。いずれも却下されたものの、今年7月に県が調査延長を許可したことで、再び調査差し止めの仮処分を申請している。
島とその周辺の自然環境を守ることは、海を糧とする暮らしに直結することである。そしてそれは地域の島の人々の営みとこれまでの歩みにもつながっている。
西之表市では、2017年の市長選で6人が立候補。馬毛島基地建設反対を訴える八板俊輔氏が混戦を制して初当選。今年1月に行われた選挙でも反対を掲げて再選を果たした。
八板氏は、種子島生まれ。大学卒業後、朝日新聞に入社し、主に社会部記者として沖縄の基地問題などの報道に携わってきた。実は私は彼の後輩だ。同社の西部本社社会部などで先輩・八板記者の指導を受けていた。争いを好まない温厚な性格で、丁寧な取材を心がけ、取材相手からも信頼される優れた先輩記者だった。
八板市長は昨年10月、それまでの防衛省の説明をふまえ、「馬毛島問題への所見」と題して自らの考えを記したA4判5枚の文章を公表した。故郷の未来への憂い、島民の分断への苦悩、そして、国民全体に対する切なる問いかけが、そこに読み取れる。
「日本の領土内に新たに土地を取得して、外国軍(米軍)に施設・区域を提供する例は、沖縄の復帰後、馬毛島が初めてとなります・・・米軍は希望すれば国内のどこでも施設(領土)の提供を受ける最初の事例となります」
「米軍、自衛隊の補給、集積地として馬毛島が重要な施設となれば、軍事上の標的となり、地域住民の安全が脅かされることになります」
日米安保条約締結から70年。この小さな島に築かれようとしている軍事要塞は、「対米従属」と呼ばれる敗戦後日本の外交政策の中でも異例であることを指摘している。ひとたび米軍の訓練施設となれば、森林などの自然や豊かな漁場は失われる。自衛隊機はまだしも、米軍機の飛行ルートについては地元自治体の意向など一顧だにされない。
「何千年も維持されてきた自然景観が、人為的に替えられます」。
「私は、今回の訓練施設の設置によって失うものの方が大きいと考えます。先人の知恵を歴史に学び、祖先から受け継ぐ故郷を次代にしっかり伝えなければなりません。静かで豊かな環境を守り、地域本来の力を信じて進む道が、常に私たちの目の前に開かれています」
そして基地建設には「同意できない」との考えを明記している。
読み返すと、冒頭にある「安全保障の課題であるとともに、日本の独立の在り方も問われる重大事です」が重みを持って感じられる。自然豊かな地をこれからも守り続けたいという土着の思想、そして、今や日本国憲法をも凌駕してこの国の「国是」ともいえる「日米安保体制」に対する懸念が綴られた文章だ。
それでも1月の市長選での勝利は僅差だった。
和田香穂里さん
市長選と同じ日の市議選で、和田香穂里さんは次点だった。基地建設に強い疑問を抱き、4年前の選挙で初当選。市議として政府の動向を注視しながら、反対の声を上げてきた。惜しくも敗れたが、それでも基地建設反対の意思は変わらない。
2011年に埼玉から夫の故郷である種子島に移住した。自然豊かで星空もきれい、観光地として「手垢」がついてなくて、海も森もそのまま残っている。なによりも都会ではなかなか味わえない人と人のつながりが魅力だった。だが、その年に馬毛島基地化の日米合意が発表される。なんとしても止めなくては、と思った。
「当初は反対の声が圧倒的に多かったです。心情的には8割ぐらいの人がいやだと思っていました」
防衛省の計画は進み、地権者企業との買収合意がなされても、防衛省からは住民の不安を取り除くような、納得のいく説明はいまだにないという。
同省の説明資料によれば、米軍のFCLPが行われるのは年間10~20日間ほど。自衛隊の訓練は、騒音を伴う航空機の訓練だけでも延べ日数は年間250日を超える。心配されるのはその騒音被害だ。
「種子島からは12キロ離れていますが、その間は海があるだけで、音を遮るものはありません。防衛省は『馬毛島では騒音被害を限定できる』と説明します。種子島の人口は約3万人。つまり、それは厚木や岩国に比べて騒音被害を受ける範囲の人口が少ないという意味ではないか、と思うのです。だから我慢してくれ、と?」
種子島上空は飛行しないという説明だが、果たして米軍機がそれを守るかどうかは疑わしい。もちろん心配は漁場の被害や騒音だけではない。馬毛島は紛争が起きた際の兵站拠点となることは間違いない。
「有事の時には真っ先に狙われる。隊員宿舎など関連施設が種子島につくられれば、それも標的に。沖縄戦の記憶を語る方々は、軍隊がいたから狙われたと言われます。しかも自衛隊は住民を守ろうとはしない。住民は狭い島の中を逃げまどわなくてはならないのです」
賛成派からは基地関連の交付金で市の財政が豊かになる、という喧伝もなされ、国からの支援を期待する声も出てきているという。種子島には3市町がある。6月、同じ種子島の南種子町は自衛隊関連施設を町内に誘致する意向を表明。中種子町も施設誘致を進めている。さらに西之表市議会では6月定例会で、馬毛島へのFCLP移転と自衛隊基地整備計画に賛意を示す意見書が可決された。
だが、和田さんは「今も反対の市民の方が多いと思います」。そして「本当の豊かさにあふれた馬毛島・種子島を未来に繋ぎ、ここから平和を発信し続ける意味でも、現市長を支え、市民の力で基地建設を止めたい」と訴えながら、こう呼びかけた。「全国各地からの応援をよろしくお願いします」
(川村貴志さん撮影)
前述のように、馬毛島にはニホンジカの亜種マゲシカが生息している。この島だけに住む固有種ではないが、狭い島域の中で生態系を維持し、「絶滅の恐れのある地域個体群」に挙げられている。屋久島に住み、馬毛島関連の記録を続けている川村貴志さん、未菜さん夫妻に話を聞いた。
貴志さんは画家。自然環境の豊かな屋久島に惹かれて住み始めた。長年シカの研究を続けている立澤史郎・北海道大学助教(保全環境学)の屋久島での調査を手伝ったのがきっかけで、馬毛島の調査にも協力するようになった。今はアルバイトをしながら未菜さんとともに種子島の人々のインタビューを撮影し、馬毛島の記録を残そうとしている。
川村貴志さんと未菜さん
馬毛島の魅力をこう語る。「せまい所に生き物の多様性があり、先史時代の遺跡や遺骨、戦争遺跡もある。子供たちが学ぶ場所には最適だと思う」。そのうえで基地建設について「自然環境がひとつ失われてしまう。遺跡も失われ、私たちが過去を振り返ることができなくなる」
シカは種子島にも生息しているが、馬毛島のマゲシカは、せまい島の中で独自の生態系を維持していて、それを観察できることが、世界的にも希少な存在なのだという。農業者にとってシカは害獣のイメージがあるが、無人島の馬毛島では農作物を荒らすことはない。
「現状ですでに絶滅が危惧されている。基地建設によって島の『地面』に手を入れれば、エサがなくなり、移動も不可能になることから危険性はさらに高まります」
クラウドファンディングで資金を募り、撮りためた映像を映画にまとめたり、youtubeで公開したりすることを計画している。「馬毛島の環境を守るには『軍事問題』に取り組むしかない。問題提起をし、多くの人にこのことを知ってもらいたい」との思いからだ。
未菜さんはこう語った。「今活動しているのは、将来、空を飛ぶ軍用機を見てから後悔したくはないから。防衛省は住民の問いかけに論点をずらさず、ちゃんと答えてほしい」
5、 「対米従属」の風景
日本は民主主義国家――。確かにそれは、否定はできないだろう。「小選挙区制」といういびつな仕組みとはいえ、選挙は決められた通りに行われているし、国民が「主権者」であることは憲法にも明記されている。しかし、である。その国民が今まさにこの国で行われていることに目を向けないとしたら、そもそも「民主主義」など正常に機能するはずがない。
馬毛島という日本列島の南の果ての小島で権力中枢が目論んでいることは、この国の命運をも左右する重大事だ。希少で多様な「生き物の楽園」を潰して、日米両国の軍事機構が自由自在に使うことのできる、いわば「軍事の楽園」にする。むろん訓練をするだけではない。万一、アメリカと中国の間の確執が紛争に発展すれば、最前線の拠点になり、当然、相手からの攻撃目標にもなりうる。
沖縄の宮古島や石垣島、鹿児島の奄美大島など、南西諸島の島々に配備されている自衛隊の部隊が、島民の安全を守るためのものではなく、アメリカ軍による対人民解放軍作戦構想を下支えするものであることは前回の記事で書いた。馬毛島に造られようとしている基地はその一角にあって、補給を担う最重要拠点にもなり得るのだ。
もし仮に、これが自衛隊だけが使う基地であったならば、政府もこんな進め方はしないかも知れない。しかし、アメリカ政府との「約束」になれば話は別だ。わが国の政府が「アメリカの御意向」を仰ぎ見るとき、「地元住民の声」など耳に入らず、ものの数ではなくなることは、沖縄・辺野古の米軍基地の埋め立て工事で、いやというほど思い知らされている。このままいけば、辺野古と同様、「敗戦後日本」の「対米従属」の風景を馬毛島でも目の当たりにさせられるかも知れない。
だが、政府のせいにしてはいられない。もし「主権者」たる国民がこの事態に無関心を決め込んで見て見ぬふりをするならば、その責任こそがなによりも問われるべきなのだ。今、私たちの国は何を行おうとし、どこへ向かおうとしているのか。もう一度、見つめなおし、考え直すことは、ほかならぬ日本国と私たち日本人自身を守るためにほかならない。
川端 俊一(かわばた しゅんいち) 元新聞記者