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加藤伊三男先生のお言葉

 加藤伊三男先生のお話は、武道の技だけではなく、人生や哲学、その考え方についても、大変勉強になることが多くありました。もちろん春風館で長年稽古されてきた先輩方にとっては、耳にタコができるほど聞いてきた内容ではあると思いますが、自分が入門した当初、今までこのようなお話される先生には出会ったことがありませんでした。一言も聞き漏らしたくないという思いから、ノートにメモを取り続けましたし、音声に記録させていただいたこともありました。しかし、後に言葉自体は何度も何度も言われることだと分かり、あまり語録はノートには取らなくなりました。むしろ言葉を覚えるよりも練習によって、体で覚えなければならない、言語化が難しいことの方が多いと思うようになったからです。それでも、非常に心に残っているお話は数多くあります。備忘録および自戒として、いくつか記述したいと思います。

・一生研究だ。
 そしてそれまでどれだけ大きなものを残せたか、流儀に貢献できたかだ。
こうすべきだ、なんていう教え方はこの道場では無いんだ。お互いに研究する所だ。一つ軸となる教えがあって、皆が研究するんだ。だからここは「研究所」となっている。武道をやるのに皆が楽しく稽古できる場であるべきだ。だから下手でも上手でも差別してはいかん。
 先輩にこうしなさいと言われて素直に聞いてやるだけではいかん。だからと言って反抗しろという訳じゃない。参考として聞けばいいんだ。研究するんだ。
 手取り足取り言ってこうして、ああそうか、と、分かっても、人から言われて聞くだけじゃ、それまでだ。自分でああそうだったのか、と分からんといかん。結局それが一番の近道なんだ。だから言わない。
 人から教えてもらってわかるようなものじゃない。稽古の中で自分で見つけるものだ。「教えない」ということが教えなんだ。うまくいかないのはなぜか、自分で気づかないといかんのだ。教えたくなるのをあえて言わないようにしているんだ。(門人の中には)すぐに教えたがる(人もいるの)で良くない。だがそれも私は言わない。人に教えるばかりで自分の稽古が出来てないことに、自分で気づかないようではダメだ。自分で気づかんといかんのだ。

・自分は人とは違った特別な才能があるものだと思いがちだ。
 多くの人がそう思ってしまいやすいが、そんなことはない。そんな人はごく限られた人だけだ。誰だって最初は下手で始まるんだ、古い門人達だって皆最初はそうだった。お前はここがまだまだだ、なんて後輩に言って稽古するものじゃない。お互いに研究するんだ。
 社会人で自分のお金でもって皆稽古に来てるんだからそこに上下なんてない。そりゃ人としての礼儀はあるが、稽古はみな平等だ。子供や学生はまた教え方が違うが、社会人は自分のお金で稽古に来てるんだから平等に稽古すれば良いんだ。

・試合では先輩も後輩もない。
 相手が先輩だから負けてもしょうがない。なんて思ってやってはいかん。それならやらん方がマシだ。

・名人や達人なんていない。
 自分が名人だ達人だなんて思ってあぐらをかくようになってはダメだ。私ももっと抜刀が早くなる。本当にすごいものは分かる人にはわかる。その目で耳で、感覚で分かる。最近はインターネットだとかでいろいろ公開している人も多いが、「あなたは上手くつかえる大したもんだ」と低レベルな人たちに言われて満足しとったらいかん。分かる人には分かるんだ。

・目録をもらったら一人前だと思ってしまう人が多くいた。そんなことならやるべきではなかった。目録をもらったら流儀をしょって稽古していくと言うことだ。これができたら一人前ということはない。研究なんだ。

・先代の神戸金七先生はビデオや写真を残そうとしなかった。
 私が残すとそれがお手本になってしまうからだ、と。私、欠点だらけだ、と(おっしゃっていた)。柳生厳周先生に至っては書物すら残さなかった。コピーになってしまうからだと。コピーなんてなれる訳ないんだ。5人いたら5人皆違う使い方になる。それで良いんだ。コピーではダメなんだ、武道は生き物なんだから。絶対に同じように使うことは出来んのだ。その人がそれまでやってきた稽古で到達できたものなんだから、同じにはならん。こうしなくちゃいかん、と縮こまって使うよりも、伸び伸び使える方が良い。
 球のように使うのが良い。硬球じゃなくてやらかい(柔らかい)球だ。楽しく伸び伸びとやらかくやるもんだ。その方が自由に使えるだろう。

・上手い下手ではない、どれだけ一生懸命やっとるかだ。
 この道場で完璧に使えている人なんて一人もいない。下手でも良いんだ。最初はみんな下手だ。下手だから上手くなれるんだ。

平成28年(2016年)5月18日(土)稽古ノートより


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