札幌に、なぜ「俊カフェ」ができたか (4)

勢いでもう1本書きます!なぜ私が「とても個人的な谷川俊太郎展」を開催したか。(1)で書いた通り、詩、音楽、グッズにハマった私は「常設の場を持ちたい」と強く思うようになり、それを見たSYMBIOSISの友人が「いきなり店を持つのは大変だから、まずは企画展をして体験してみては?」と提案してくれたから、なのでした。

あとで聞いた話では、友人は「店をやるのは本当に大変だから、企画展をすることでそれを体験して、諦められたら…」という親心があったそうです。ただ、大きな反響に手応えを感じたことで、親(友人)の心子(私)知らず、勢いに乗って「常設の場をやっぱり持ちたい」と強く強く思うようになりました。

2017年9月。企画展から約2カ月経ってもなお興奮冷めやらないまま、私は企画展への多大なご協力への感謝と、どんな雰囲気だったかをお伝えするため、俊太郎さん宅を訪ねました。

どんな方々がいらしたか、どのような反応があったか、まこりんのライブがどれだけ素敵だったか、思い出せる限り、話し続けた気がします。(←なぜに「気がします」なのか。それは興奮していたので記憶が薄いのでした…)

そして俊太郎さんに「やはり常設の場を持ちたいと思います」と言ったところ、「うーん…それは大変だからやめたほうがいいんじゃない?」と俊太郎さん。

今ではこの俊太郎さんの言葉の意味はよくわかります。そして、心配して私を止めようとしてくれた友人の心も。店を開き、それを続けるということはとても大変。でも、夢見心地だった私にはそんな思いやりは通用しません…(滝汗)。

俊太郎さんに止められてもやめようという気持ちにならなかった私は、その後もカフェの勉強をちょこっとだけしたり、場所を探したり、人に話したり…。そんな日々を過ごして1年以上が立ちました。

そして2017年の1月。20年来の知り合いから「ちょっと相談がある」と連絡があって、一緒に近所のカフェへ。そこで「実はKAKU IMAGINATIONの2階が開くのだけど、谷川俊太郎さんの常設の場をやってみる?」と、思いがけない提案をいただいたのでした。


(続く)

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